かけて引いたり、足して割ったり⑩

 葉月が瀧内くんに押される格好で一歩前に出ると、その気配に気付いた伊藤くんが顔を上げてそちらを見た。伊藤くんは驚きのあまり座ったまま後ずさり、葉月は恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。

 瀧内くんは透かさず葉月を伊藤くんの隣の席に押し込んだ。


「伊藤くんって駆け引きがヘタだよね。葉月の気持ちを知りたいってだけの理由で、私と結婚する気もないのにプロポーズするし……。あれじゃ葉月は余計に意地になっちゃうよ。ヘタに葉月の気を引こうとしないで、素直になって自分の気持ちを今みたいに正直に言ったら?」

「素直になれば周りを巻き込まずに一言で済むんですよ。木村先輩にも言えることですけどね」


 瀧内くんはそう言って私の隣の席に座り、何事もなかったようにメニューを広げる。


「そうだよ。葉月も私と話したときみたいに、思ってることは伊藤くんにちゃんと言った方がいい。お互いに誤解してたり行き違ったりしてるところもあるみたいだから、落ち着いて話し合ってみたら?」


 伊藤くんと葉月はお互いの顔をチラッと見て、目が合うと慌てて目をそらした。まるで付き合いたての中学生カップルだ。


「伊藤くん、さっきの勢いはどこに行ったの?目の前に本人がいるんだから、逃げられないうちにちゃんと言えば?葉月が好きだって」


 ちょっと意地悪をして冷やかし半分で言ってやると、伊藤くんは「勘弁してくれよ」と呟いて、恥ずかしそうに目元を右手で覆った。


「木村先輩もホントは今でも伊藤先輩のことが好きなんでしょ?いつも周りに気付かれないように伊藤先輩のことを見てますもんね」

「なんでそんなこと知ってるねん?!」


 葉月は思わずそう言ってから、自分が伊藤くんを見ていたと認めたことに気付き、慌てて両手で口を押さえた。しかし時すでに遅し、覆水盆に返らずだ。


「続きはお二人だけでゆっくりどうぞ。それより早く注文しませんか?」


 瀧内くんはこんなときまで、どこまでもマイペースだ。私としてはもう少し二人にお節介を焼きたいところだけど、それは野暮ってものだろうか。

 伊藤くんはテーブルの端に立ててあるメニューを取って広げ、照れくさそうに葉月に差し出した。


「……さっきのは本心だから」

「……うん」


 いけないと思いつつも、ひとつのメニューを一緒に見ながら二人が小声で交わしている会話に、老婆心からついつい耳をそばだててしまう。


「あいつと別れて俺のところに戻ってきて欲しい」

「……別れろって言われても……」

「やっぱり俺よりあいつの方が好きか?」

「ちゃうやん。付き合ってへんから別れようがないねん」

「えっ?付き合ってないって……プロポーズされたんだろ?」

「されたけど……元々、幼なじみ以上には思われへんから断るつもりやったし……」


 チラリと横を見ると、私と同様、瀧内くんも二人の会話がやはり気になるらしい。メニューを開いてはいるものの、さっきから視線は一点に集中したまま止まっている。


「だったら俺が会いに行ったとき、あいつはどうして上半身裸だったんだ?俺はあいつに『葉月は人前に出られる状態じゃない』って言われて、部屋の奥から葉月が『要らんから帰ってもらって』って……」

「はぁ?ホンマになんのことかサッパリわからんねんけど、それいつの話?だいたいシゲがうちで服脱いだことなんか……あっ」

「あるだろ!さっきから言ってんじゃん、俺は見たんだから!」


 伊藤くんが思わず語気を強めてそう言うと、瀧内くんが思い切り音を立ててメニューを閉じた。葉月も伊藤くんも驚いて瀧内くんの方を見る。

 そして瀧内くんが仏頂面で店員を呼ぶベルに手を伸ばしてボタンを押そうとすると、伊藤くんが慌ててそれを止めた。


「瀧内、勝手に押すなよ!」

「お二人ともメニューそっちのけで口論を始めたので、もう決まったのかと思いまして」

「あ、いや、それは……」


 瀧内くんに無表情で切り返され、伊藤くんは返す言葉もなく、かなりたじろいでいる。


「続きはお二人でって、言いましたよね?」


 伊藤くんと葉月は思わず顔を見合わせてから、瀧内くんに頭を下げた。


「悪かった……」

「ごめん……」


 思わず吹き出しそうになるのを、メニューで顔を隠してなんとかこらえた。

 瀧内くんってもしかして仲裁の達人なんじゃないだろうか。確か昨日も同じような光景を見た気がする。


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