素敵な人魚の飼い殺し方

朱音海良

水の中で揺れる小宇宙

「かぁすみぃ~、焼いてないチーズケーキ食べたいぃ~」

「毎日そんな物食べていたら太るからダメ。あとそれ、レアチーズケーキだって何度教えたら覚えるの。」

バシャバシャと尾びれで水面を揺らし煌水が近寄ってくる。

「カタカナ覚えにくいんだよ、うるさいなぁ。」

白い肌に仄朱い頬を膨らませて不服を訴えてくる。全くあざとく愛しい生き物だ。少年の柔らかな筋肉を持ちその肢体を緩く動かし泳ぐ姿、可愛らしい顔をして口が悪く私より低い声。私はそんな煌水が好きだ。

自分の少年性愛を実感したのは高校生の時だっただろうか。周りが年相応に同年代の男子と恋をし春に浮かれているのを見て決してそれを不快とは思わなかったが自分がそうしている姿は想像出来なかった。女子が好きなのだろうかと思い悩んだこともあったが、同性に対してそのような感情を持ったこともなくその気はなかった。

が、ある日悟ってしまった。通学中に混み合う電車の中たまたま他校の男子と向き合うように立つことになった。その子は中学1年生になりたてのようでまだ体も小さく人が押し合う波に翻弄されていた。駅が近づきブレーキで一際大きく人々が揉み合ったとき私はバランスを取りきれずその子を扉にぎゅっと押しつけてしまった。

「う、わぁ、ご、ごめんなさい。」

咄嗟に謝るとその子はこちらを見上げふにゃりと顔を緩ませて笑い「大丈夫です。」と言った。

電撃が走ったように感じた。確かに異性であるのに華奢で私より小さな体、窓から射す陽射しにキラキラと光るまつげに透き通る瞳、チークを塗ったような薄桃のほほ、その全てにこの手で触れてみたいと思った。

その子とそれ以上何があったわけでもない。名前も知らないし、その後会うこともなかった。ただあの日の記憶が心の中で残響し幾度も警告のように光り輝く。私は自分より年下で庇護されるべき頼りない生き物が狂おしく好きなのだ。それは本来許されることではなく異常であると。

男性は年下の少女を好む者が多くメディアや風潮としてもそのような年頃の女子に価値があり特別な物のように取り扱いそれを越えた女性はまるで旬が終わったかのように見られそれでも抗い若々しくいようとすることが正しいと誘導されることが多いが、私のように年下の男子を強く求める者はとりわけその「旬が終わった」カテゴリの中でも異常者として扱われやすい。全くくだらなく程度の低い人間が多く居ることを実感させられるが、長い人間史において少年だけに好意を持つ女と言うのは厄介な存在であるという位置づけは確固たる物であり私一人が騒いだところでオセロの駒のようにくるりと色を変える物では無いことはもちろん分かっている。

だがこの世界で許されている生き方で賛否はあれど許容されている行為がある。

そう、人魚の飼育だ。

人魚を飼うことは合法であり飼っている人魚の年齢や性別に不信感をもたれることはない。大手を振って少年を部屋に囲えるなんて夢のようだと思った。

大学を卒業し外銀に勤めることが出来た私は人魚の飼育に必要な機材を揃え人魚の販売店に足繁く通った。

自分の求める可愛らしい少年を値踏み出来るだけで心の奥から甘い衝動が湧き、つい笑みが零れることもあった。思ったよりも理想の少年を探すのは時間がかかり思い立ってから何年も経ってしまったがそんな時に煌水と出会った。不機嫌そうに水槽の中で漂う姿は私の求める少年の態度とは異なっていたが、何よりその見た目に惹かれた。

碧い髪に黄色い瞳、少し体長は大きいが少年らしい肢体に急に切り替わり伸びる宇宙のような色のひらひらと水に揺れる尾ひれ。

店員は色々と煌水の説明をし、グッピーがどうの色の入り具合がなどと言っていたがどうでもよかった。私は魚が欲しいのではないし興味も無い。欲しいのは理想の少年である。

その日そのまま煌水を連れ帰りたかったが輸送してもらわないといけなかったため次の休日に運んで貰うことになった。

いざうちに着き水槽に入れられ対面すると最初に見たのと同じ不機嫌な顔でこちらをチラリと見てその後隅で丸くなっていた。

見た目は欲しかった少年そのものだったが全くこの態度は頂けない。最初はそう思っていたが、この時私はまだ自分の中で燻り隠されていたもう一つの嗜好に気付いていなかった。


「おい、聞いてんのか?香澄ぃ~。テレビのリモコン取れよ。」

ハッとなって水槽から身を乗り出しこちらに手を出す煌水を見る。

またラグが水に濡れるじゃないかなどと思うが言ったところで一応喋り考える知性はあるがあまり頭が良いわけではないこの生き物にそう言ったことを過度に求めてもストレスが溜まる一方なので「はいはい、水に落とさないでよ?」とリモコンを手渡した。

ストレスの捌け口にストレスを与えられたくはない。


……私のもう一つの嗜好は加虐的な愛である。

煌水が来てから気付いたことだったが冷静に分析すれば電車の中であの少年に抱いた感情の中には壊れそうな物に触れる背徳的な想いがありそれは壊したいという欲求でもあった。

この可愛らしく私が居なければ死んでしまう狭い水槽で生きるだけの生き物を支配し私が生殺与奪を握っている事は人間が嫌いだと言う煌水にとってどれほどの屈辱かと思うと全身が震えるように歓びに満ちる。

パチパチとチャンネルを変えつまらなそうに画面を見るのを見てそうしてどこへも行けずどんなに反抗的な態度を取っても私とこうしてこの部屋に居るしかない煌水にふっと笑ってしまった。それが嫌だったのかそのままの表情で「……なんだよ」と言ってきた。

「別に。久しぶりに煌水にピアス増やしてあげようかな、なぁんて思っただけ。」

「え、な……俺なんもしてねぇだろ。いやだよ。」

びくりと体をこわばらせて警戒してくる姿を見てやはり間違いなく愉悦を感じさせてくれる存在だと再認識できたのが楽しく煌水は私の求める愛玩生物だと実感でき嬉しさと喜びが燃えてゆく。

「今日のところは冗談。怖がりだなぁ、煌水は。」

「ふざけんなよ。全くもう……うるせぇよ……」

人魚の寿命は様々で個体によっても違うらしい。

この生意気で愛しい生き物とあと何年いられるのかは分からない。

だがその命の果てまで私は煌水を愛し続けていくつもりだ。ゆらゆらと水槽の中を泳ぎ部屋の灯りに反射して煌めく小宇宙は今日も素直にこの手の中に納まってはくれないがはみ出し者の私にとってはそれがこの上なく気持ちが良く私がこの生きにくい世の中を生きるただ1つの光のように思える。

私の春は水槽の中で過ごし続けるのだ。

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