第49話 深淵にひそむ者

 



「45分。それに数分の誤差……それしかないの!?」

 

 炯眼で見通した空は、鮮やかな夕焼けとじきに迫る夜が混じっていた。夢見の空と現実の空は違う。いまどうなっているのか?

 

『残念だけど誤差まで正確だよ。頼廉らいれんの見込みは、門から這い出る白い糸の束……それがあらゆる生命を埋め尽くすまでの時間だ。繋がれた精神から別の精神へ、ネットワークのように糸を繋げて行ける速度は考慮していない』

「はやくライレンに伝えなくちゃ……」

『その必要はない。あいつだってボクほどじゃないが、予想とかなりズレてるってことは分かってる。敢えてキミには伝えていないだけだ。焦らせても仕方ないって意図だね』 

「……そう、時間がないってことはよく分かったわ」

『手短に勝利条件を伝える。現実の空。いま紫雲山の頭上に開く外なる宇宙に繋がる門。

 

 門の創造をした人を殺すか、門の消失、みたいな呪文を唱えさせるか。どちらでも……いや、命を奪わなくてもいい。炯眼で従わせれば済むことだ。

 シンプルなのは幸いだが、はやくやらないと。


『ボクは一度向こう側に戻ろうと思う……めぐ。キミの中にある裏口の門を通ってもいいかな? 出入りには許可が必要なんだ』

「いいけど……なんで」

『キミ達は大願を阻止するために動く。ボクは支配者サマを少しでも食い止めて時間を引き延ばせるか試みる。ここにいてもあまり役に立たないし、めぐへの負担になるっていうのが大きい。人間という魂の入れ物は、二つも三つも入れておけない形をしているからね』

『負担? あんまり感じてなかったけど』

「こっちで和らげたり消したりしてた。ただ、その辺の維持もお互いの精神を削ってしまう。やはり長時間ボクが占拠することは合理的でないよ」


 琥珀の力を使った時は、膨大な範囲のわりにぜんぜん疲れなかった。

 ほんとはシロが肩代わりしていたのかも。

 

『元はと言えばボクたちの度し難い好奇心が、こんな災いを招いた。ずうっとずっと昔、不幸な事故とはいえ、こちらとあちらを。ここで大願が叶えば、長い間取り残されたこの場所まで失うことになる。それは絶対にさせない。止めてみせる――さあ、許可をお願いするよ』


 シロの価値観は分からない。でも、ちゃんと自分の命を認識している。

 私と同じだ。分かっていながら、困難に挑もうとしているんだ。それは合理的な思考から、もっともかけ離れたものかもしれない。大願をもたらす毛玉……不条理の塊のようなものに立ち向かうことは。

 

 シロはいま感情的になっている。燃え上がるような強い意志と……私が否定すれば、あっさり文句ひとつも言わず了承することまでも読み取れた。

 私が頷くと、シロは予定調和のように喋りだす。


『ありがとう。何もかも片が付いたら、みんなでティータイムをする……そんな光景をまだ信じさせてくれるめぐの魂に、ボクも染められた。炯の力なんかよりも強力にね。だから、今度は諦めない。希望キミとともにある限り』


 シロの小さな身体から輝きが漏れる。

 ひとすじの白い線が、流星のように炯眼へ飛び込んで……私の魂、その奥で開く門に吸い込まれていった。

 

 今見ている景色が、少しずつゆらいで遠くなっていく。私一人じゃとても夢見を維持できない。同時に誰かが近くにいるような、人の気配を感じた。夢から醒めて起きる感覚がある。


 ちょうどライレンの読み聞かせが終わった所みたいだ。

 ありかちゃんが興奮気味にもう一冊の本をぶんぶんと振り回している。


『つぎのほんはこれ!』

『ああ。この絵本を読み終わったら、夕食にするからな? 約束できるか?』

『うん!』

『よし分かった。むかしむかし、ある街の柱の上に――』


 ライレンが危なげなく絵本を取り上げて、読み慣れた風に言葉を紡ぎはじめた。いつの間にか小さいありかちゃんはライレンの膝の上を独占し、にこにこ笑いながら絵本を見上げている。ライレンも観念して座られていることを受け入れているようだ。

 どこをどう見ても幸せな光景と言い切れる……ただ、この場に源十郎は出てこない。ライレンは信頼できる男だ。でも親が一人娘を任せっきりにするものか? 記憶の断片だから、と思えばそれまでだけど。


 かすかな疑問は覚醒の兆しに上書きされ、過去の夢見に取り残されていった。








  ҉     ҉








「……んっ」




 一度大きく身体を揺らし、両足で踏みとどまる。

 よだれが大量に垂れていたので拭った。反対に口の中は乾いていて、吸った息が肺にすぐ行き渡らない。何度か深呼吸を繰り返すうちに、立ったまま夢を見ているような意識の混濁は薄れて消えていく。

 

 誰かがずっと、背中を支えてくれた感覚がある。

 きっとコウちゃんだ。今も倒れそうになった時、助け起こそうと手が伸びていたから。コウちゃんに顔を向けると安心した、あるいは呆れた微笑みを向けてくる。


「めぐみ、大丈夫か?」


 もうのんきにしていられる時間は無いのに、ライレンから焦っている気配は微塵も感じず、ただ悠然と佇んでいるように思えた。地下座敷へと続く階段からは、ありかちゃんのにおいが漂っている。私でも分かるくらいだ。ライレンはとっくに気付いていたはず。


「……うん。行けるよ。待っててくれてありがとう」


 まっすぐにライレンとコウちゃんを見据える。いま頭上にある門や空がどうなっているのか気になったが、足を止める理由にはならない。意味が無いんだ。やるべきことを粛々と終わらせればいい。


 地下へは一段一段にLEDライトが置いてあって、降りるたびライトが自動点灯した。眩しすぎる……というかこんなに必要か? 暗闇になったら発狂して死んでしまうんじゃないかってくらい病的な量。

 足元が明るい分、階段奥の暗闇が濃く見える。地下座敷の電気は消えているみたいだ。それかLEDライトでもまたたくさんあるんだろうか?

   

「このライト。誰が置いたの?」

「分からないが、一週間ほど前には無かった。金久保も知らんはずだ」


 金久保はぶんぶんと首を縦に振る。

 顔中の血が固まってなかったら、勢いで飛び散ってたな。

 血……? そうだ。


 地下からはありかちゃんのにおいと、血の臭いがする。


 ありかちゃんが眼を傷つけられた時の出血だとばかり思ってた。。量が多すぎる。それに血以上に……嫌な臭いが紛れている。

 なんだろう。肉が腐ったような。鶏肉とか、死んだ動物って感じじゃない。生きたまま膿んでただれていくみたいに、腐敗した肉の臭い。


「ひぅ……!?」


 何なんだ? このにおいは!?

 ぞくぞくと寒気が走る。これヤバい。


 ここ数日、私は炯眼を通じていろんな感情のにおいを嗅ぎ取ってきた。

 好ましいにおいから喜怒哀楽のにおい。敵意や殺意。性的な眼で見られるにおいはさすがに気持ち悪かったけど。

 でも、こんなのは知らない……知りたくもなかった。


 すでに地下にいるものは、私たちを認識している。

 階段を降りる音、五感のうちのどれかか、私の炯眼みたいなものかは判別しないけど、向こうは待っているらしい。

 



 原始的な感情。単純な知性。

 翻訳なんてしたくないが、言い表すならこの五文字。

 






『た べ も の だ――』



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る