第48話 いつか見上げた空




 ライレンが金久保の首根っこを掴み、引きずりながら廊下を歩いていく。

 止血をしたのか、金久保の裂かれた目元から血が出ることは無かった。小さなうめき声をあげてはいるが。

 まあ、わざわざ治してやる義理はないしね。私もライレンの立場ならそうしたと思う。正直、血を止めただけ情があるよ。

 

 ライレンは奥の部屋をしばらく眺めていたが、そのまま止まらずに地下へ続く階段の方へ足を進めた。


「ありかちゃんの部屋、見ていかないの?」

「……ああ。無断で入ることもない」


 つまり、不在ってことか。

 残すところは地下へ降りた座敷のみ。時間は……まだ二時間近くはあるな。

 ありかちゃんの部屋を通り過ぎると、足元でLEDライトが光った。

 近付くと勝手に点灯する、センサー付きのタイプみたい。


「そう言えば……本堂とか他の施設と同じロウソクじゃないのね?」

「ここは来客を含めた生活の場だからな。蛍光燈やこんなのを使っている。というのが表向きの話だ……昔、ありかが火事に巻き込まれたことがあって、ランプやガスコンロの類いはパニックになるから、と源十郎が取り替えたんだが」


 ちゃんと親心、親子の愛があるってことかな?

 いい奴だ、なんて思わないけど……それとも今に至る何処かで、源十郎は大願という叡智と野望に狂ってしまったんだろうか?

 ありかちゃんからは、しっかり家族に愛されていたんだなって感じがした。母親が幼い頃からいないのなら、それこそ片時も離れないってくらいの父性の愛情がいるはずなのに。


 ……いや、今は気にしなくていい。

 それよりもこの部屋だ。ライレンはああ言っていたけど、息を潜めたありかちゃんが隠れてるってことはあるんじゃないのかな? 一応、調べてみるか?

 法眼、というよりライレンが見落とすなんて無い事だとは思うけど。


「待って、ちょっとだけ確認するわ」

「そうだな。頼む」


 部屋の前で目を閉じて、においを探る。

 座布団に木製のテーブル。本棚もある。女の子の……というより子どもの部屋みたいだ。絵本やぬいぐるみが出すだけ出したまま片付いてない。

 テーブルの所で行儀よく座っている少女がいた。あの長い黒髪とにおいには覚えがある。ライレンや私が心底探していた、


 え、え? ありかちゃん居るんだけど!?


 声が出そうになるが、もう一度よく見てみる。

 炯眼の距離感やテーブル、本棚と比較すると、かなりちっちゃい。ありかちゃん縮んだ? それとも妹とか? ライレンからは聞いてない……ただにおいは紛れもなく同じだ。まったく同一の匂いがする人間なんているのだろうか?


 ありかちゃん(小)はテーブルに向かって、なにかお絵かきをしている。4、5歳くらいに思えるが、その年にしては姿勢よくじぃっと集中してる感じ。


 遠くを眺めるような意識に切り替えると、より鮮明に色が付き、クレヨンのなぞる音や彼女の息遣いまで捉えられた。……あの夜、あの路上で見かけた、迷い犬シロのポスターだ。もうほとんど完成している。細かい塗り残しがあるくらい。

 ということは、これはシロの記憶か?

 私の魂に混じったシロが見せている過去の光景なのか?

 だとしたら、何のために――

 

『あ、やっときた』


 幼い声でこっちを振り返って、無邪気な笑顔を見せた。

 天使だ。あ、あと両眼が今よりもずっと濃く青みがかってる。 

 ……私? 私に言ってるの?

 

 ありかちゃんは自分の変顔に少しも反応せず、ふいっと目を反らすと、絵やクレヨンを所定の箱にしまい始める。あらかた片付けると、本を一冊胸に抱えて私の前に立った。


「え、えっとその……」

『悪いな……少し遅れた。ありか』


 帽子を取りながら部屋に入って来るライレンに、ありかちゃんが駆け出して頭突きみたいに抱き着く。少しも揺るがずに受け止めた後で、頭をなでた。


『おかえりなさい』

『ただいま帰った。少ししたら夕食を持ってこよう』 

『ほん、よんで』

『もちろんいいとも。だが俺のひざに乗るなよ? 痺れるし痛いからな。読み聞かせってのは正面で座って聞くモンだ、紙芝居みたいに……ってお前は紙芝居知らないか』


 ライレンはあぐらの姿勢で座り、渡された絵本を持ち替える。

 ……へえ、やるな。足を崩しているところ以外は子どもの読み聞かせとしてほぼ完璧。声も張れるいい声だし。ん、あの絵本。他の本よりずっと読み込まれているみたい。汚れや折り目で分かる。きっとありかちゃんお気に入りの本なんだろう。


 ――むかしむかしあるところに ちいさいかわいい女の子がいました


 ライレンの朗読に、前かがみになりながらも正座でありかちゃんが聞いている。ちいさいかわいい女の子? 目の前にいるよ。ああ、いいなあ。二人はこんな日常を過ごしてたんだな。妬けるくらい幸せな光景だ……


『ちょっと! おおーい、めぐ! ボクを見ろ、めぐッ!』

「ふぇ? ……シロ?」

『確かにここは夢見の範疇だけどね、浸り過ぎじゃないか? キミ、子どもといる仕事の時でもこんな感じなのかい!?』






 *  *






 シロがこちらを向いている。

 狼のような大きさじゃなくて、私の部屋で過ごしていた姿のままだ。

 わう、と一度咳払いみたいに吠え、前足を振った。


『やあ、さっきぶり』

「シロ……!?」

『めぐが今みているのは、ボクの記憶だ。ありかが4歳の頃、ボクが紫雲山に来て間もない時の……』


 この声。

 私が宇宙をはるか飛び越えた先、緑の星で聞いたことがある。

 魂が割れて離れ離れになった、もう一人のシロの声そっくりだ。これは言うなら魂の声、同じなのはある意味当たり前なのかも?

 

 またきっと会えるって思ってたけど、ずいぶん早く叶っちゃった。

 正確にはシロの記憶の中であって、実際に再会したわけじゃないけど。


「たしか火事に巻き込まれたのよね? ありかちゃんの両親も。母親は助からなかったって聞いたわ」

『うん。当初はありかの精神的な傷が深くて……炯の力で別人格を作って定着させようとしたけど、どうにもならなかった。人の精神を模倣しきれないボクの不徳だな。頼廉らいれんに任せっきりだったが、あいつは期待以上に上手くやったよ』


 シロの言葉からは信頼を感じる。長年ともにいた連れ合いのような。

 ライレンとはどれくらい昔から一緒なんだろう? 少なくとも20年近く。いや、そんなんじゃ足りない気もする。

 

 シロが、いくつか伝えるよ、と前置きして口を開いた。

 正確には精神で繋がっているから、口は動いていないが。 


『まず、ボクが身体を失ったことだけど、気にしなくていい。あの場面では最善の判断だった。爆弾を無効化しなければ、みな捕まるか殺されていたし……大願を前にして、ボクの力が戻らないことはほぼ決まっていた。それなら邪魔な肉体を有効活用した上、完全な精神体になる方がだと思ったんだ』


 合理的? 

 私には分からない。肉体を捨てていい、という考え方が。

 そうやって取り戻した力が、敵が取り囲んだ苦境を抜けたのは事実。

 でも、私には出来ない。肉体を捨てるということは、死ぬのと同じ意味だから。トカゲのしっぽ切りのように、自分をそのしっぽのように犠牲になんてしたくない。

 あるいはシロに、あの時自己犠牲という気持ちの欠片すらなかったのか? 精神がある限り死ではない。別の肉体に後で入れば問題ない……そう考えた? 



 

『その迷いは最もだ。そして人間と相容れない価値観だとは思うよ。ただ、問題はね。時間がないということだ。頼廉はあと二時間ほどの猶予があると言っているけれど、実際はその半分もない。そうだな……めぐの分かる言葉で説明するなら、もうサッカー後半戦と、ロスタイムくらいしか残されていないんだ』

「45分。それに数分の誤差……それしかないの!?」

 



 天井を見上げる。

 炯眼で覗いた空は、鮮やかな夕焼けとじきに迫る夜が混じっていた。私が仕事帰りに見れたらいいなって思えるくらい、きれいな夕闇だ。

 伸びる影を星々が見送り、その日のすてきな出来事を振り返る帰り道。

 

 


 夢見の空と現実の空は違う。今は、紫雲山上空は、どうなっているの……?

 いくら見通しても、黄昏に染まる美しい世界しか目に映らなかった。



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