第46話 瓦釜雷鳴
「賊のうち誰かが痛めば、制圧も容易いと考えていたが……
金久保の狂喜が、廊下に響く。
その言葉を理解して少しずつ悲しみが追い付いてくる。横たわるシロに目を落とすと、涙が次々に流れた。鼻も詰まったように利かないし、誰のにおいも感情ももう嗅ぎ取れない。揺れる心を抑えたくても無理だ……。
「ライレン。いまの貴様には何の価値もないが、俺はずっと羨ましかったんだ。生命を自在に組み替え、好き勝手に造れる法眼の力にな。焼け焦げたありか様を繋ぎ合わせ、足りない部分を埋めて修繕し仕上げた時、どう思った? 神になった気分を味わったか?」
「……あの時のことを言うつもりはない」
「つれないなぁ元同僚? 正直に話すとな、実は俺もその場にいたのだよ。少なくとも、多発外傷の手術を成功させた医者よりは絶頂したんじゃないか? 当時の俺に、病院勤めから出家するほどの光景を盗み見させてもらって、本当に感謝している。有難いことだ」
二人のやり取りを滲んだ視界に写しながら、ぼんやり聞いている。
ライレンが昔、ありかちゃんを助けたってことは確かで、それも命に関わる傷を治した……なら、シロは間に合わなかったってことか? いくら法眼でも、命が終わった生物を元に戻すことは出来ない。ゾンビのように動かせても、それはシロじゃないんだ。
「そこの女。門のショートカットが魂の中にあるな? カギは壊したが、おいおい造り出せるかどうか試してみよう。俺は俺のやり方で、深淵なる叡智に触れてみたい。それまでの五年、十年……
金久保が舌なめずりをしながら私を見ている。
においは分からないけど、なんかすごいギラギラした興奮っていうか、何かを強く欲しがるような眼だ。私の中にある門……そこを調べて、カギを造る? 魔術的な方法を使って私を利用する気なの!?
ライレンが声を漏らして笑った。
取り囲まれ、シロも倒れたこの場面に相応しくない安心した顔をする。
「なにが可笑しい?」
「思ってもみなかったのさ。目も鼻も利かない状態で、心底ホッとしたなんてな。嗅がずに済んで良かったよ……魂も曲がり腐りそうなゲス野郎のにおいを」
「ふん……殺される寸前にしては大した戯言だ。ひとついいことを教えてやろう。なに、貴様の大切なありか様のことだ」
声が出そうになったが、聞き逃さないって気持ちの方が強かった。
金久保はありかちゃんのいる場所か……目のケガを詳しく知っている? もし廊下の向こうに見える部屋に居なかったら、どこにいるんだろう?
金久保はさっきのように、興奮した口調で続けた。
「かわいい声で泣いていたなぁ。俺の気が済むまで楽しませてもらった。治癒も経過も元医者の俺が太鼓判を押せる、傷一つないきれいな身体だったぞ? ずっと貴様の名前を呼んでいた……悔しいか? 悔しいよなぁ!? ヒヒッ、ヒハハハハッ!」
* *
震える手から、熱を感じる。
いつのまにか強く握りしめて、血が出ていたみたいだ。爪先にかすかな鋭さが残っていたらしい。私の力でも手のひらに傷を付ける程度には。
金久保に飛び掛かって、爪を突き立ててやりたい衝動があった。
なんでこんなことになるんだ……!?
ありかちゃんが……シロだって。私が、なにか少し、別の頑張りをしてればここまで残酷なことにならなかったんじゃないか? 無理やりにでもありかちゃんを連れ去っていれば。爆弾を事前に止める方法もあったかもしれない。
私だって、このまま一人生かされて実験台にされるなんて御免だ。
それならこのゴミクズ野郎に、少しでも多くの痛みと苦しみを刻みつけようと思う。でもそれが引き金になり、周りの男たちは拳銃を撃つ……コウちゃんもライレンも助からない。
「めぐみ。気持ちは分かる。よく抑えてくれたな?」
「ライレン……ありかちゃんが……」
「ああ。お前は何もしなくていい。俺の言葉だけ聞いていてくれ」
優しく諭すような言い方に、握りこぶしを緩めて構えを解く。
もう終わりなら。諦めるしかないのなら。それはきっとライレンの役目だ。金久保が受けるべき報いは、彼が与え、私たちの幕を引いてもらうべきだ。
もっとも一太刀どころか、金久保を八つ裂きくらいまでは出来るかもしれない。拳銃の弾が上手く急所を逸れればだけど。
――私はそう納得した。
「金久保」
「んん? 言い残しかね? ありか様に聞かせられないのが残念だ」
「そんな言葉で、俺の心が動くと思ったのか?」
「……なに?」
「浅ましい男だ。生憎だがありかは……泣き喚いて俺の名を呼んだりしない。焦熱や責苦にどう耐えるのか、よく知ってるからな。その口からでる嘘と偽り……これ以上、後ろにいる二人には聞かせたくない」
その瞳は揺れず、ただ射竦めるような視線を対手へ向けていた。
金久保が思わず後ずさりして、私とコウちゃんから一歩、遠ざかる。
「ライレンっ……ならば手足をもぎ、地に這わせた上で、その女もありかも目の前で
金久保が片手を軽く上げると、取り囲んだ男たちが拳銃を構え直す。
祈るように目を閉じた。炯眼の赤は感じられず、まっくらな視界が広がっている。数日前、外を出歩くのも難しかったあの日常に戻ったみたいだ。
コウちゃんが手を握ってくる。
震えているな。私もだけど。握り返すと震えが小さくなった気がした。血だらけの手でごめん。
例え炯眼が使えたって、とてもこの場は切り抜けられないだろう。
繋いで操るにはタイムラグがある。この廊下にいる人全員を支配するのに数秒はかかる。拳銃の引き金に力を込める方が速い。
金久保が眼鏡の奥の表情をギラつかせ、勝ち誇った顔をしているのが分かる。
……目を閉じているのに?
逆だな。不意にそう思った。
いま勝ちを確信しているのは――逆にライレンの方だ。
敵の命が消え失せ、刀を納めるまで油断せず備えるあのライレンが……負けを考えていない。いくつも向けられた銃口が見えているはずなのに。
「めぐみ、目を開け」
「ああん? 笑わせるな。負け犬の瞳を失った小娘に、何が出来るのだ?」
その言葉を、ただまっすぐ信じてみる。
私の中に、いつのまにか何かか混じっていた。
以前ライレンの法眼がその色を移し、燃え上がった黄色いオーラのような何かが、精神をぐるぐる巡っている。まるで夕焼けをかき回しているみたいに。
薄めているのに濃くなっていくような感じと、この色は……!
私の良く知っている色とにおいだ。
「お前たちの力を……見せつけてやれ」
「……うん」
見通せないものがないみたいに、どこまでも意識を広げていける感覚がある。夕焼けの太陽でさえ隠してしまえる巨人にでもなった気分だ。
この廊下も、源処寺も、紫雲山も。
まるごと包んでいくイメージを一気に開け放つ!
「見ろ……私たちを!」
魂の殻をやぶるように――
鮮やかな琥珀色の輝きが溢れ出した。
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