第28話 来訪者
「保険証、よし! そろそろいくよ。シロ」
「……」
首横のリボンシュシュを手で弾き、シロに声を掛けた。
二週間前。手当やカウンセリングでお世話になった病院に、右肩の縫合でも厄介になる。幸い近くに動物愛護センターがあり、シロを一時預けるにも都合がいい。
……ただ直通電話で受付担当が変わった時に、リストカットのことを真っ先に心配されたのはびっくりした。ちゃんと説明して緊急じゃないこととケガの説明したらわかってくれたみたいだけど。
昼間は搬送以外はお休みらしく午後の始めから、ということだった。
だから――先に、紫雲山の源処寺に向かう。
まず第一に、ライレンの動向を知りたい。
そして大まかな間取りと源十郎たちのタイムスケジュールを掴む。
仮にライレンのにおいがしない……不在状態なら、一気に行ける所まで突っ込んでみるか。あいつの所在の有無は、マジで重要になる。
やられる前にやってやる。先制だ。こんな非日常に道理もなにもない。いつ来るか知れない野郎をお行儀よく待つくらいなら逆襲しにいく。
もう私は、ただ殴られてるだけの弱者じゃないんだから。
……シロはまだ眠たげな眼をこっちに向けている。
武市さんとのハードなやりとりでも寝てたくらいだしな。
せめて何というか、応援というか……吠えたり、立って心配する素振り見せるとかあったらわたし的にグッと来たのにな。
まあ必要な時だけ動く。シロは合理的だ。
「シロ~? 外いくよ? 起きて」
「……わん」
「もう、そっぽ向かないで、よ……?」
スイッチが入ったように、シロが立ち上がる。
何かを追うように壁をぐるりと見回して、ドアの所で止まった。
それはどんな行動よりも分かりやすく、私の精神に警鐘を鳴らし心音を上げていく。あれだけ寝そべってて動かなかったんだ。意味がないわけがない。
「わうっ!」
「……このにおいはッ!? なんで」
冗談でしょ!? どうして今まで気付かなかった?
痛いくらい、よく知ってるにおい。
炯眼の警戒は欠かさなかった。特に知らない人の敵意と……
ライレンの存在そのものに。
家の周囲、かなり遠くまで広げて網は張っていたつもりだ。血を一滴垂らせば、遠くにいる
そしてシロは、おそらく私以上の範囲で覗き込んでいたはず。
なのに分からなかった。ドアの向こう側であいつが足が止まるまで。誤魔化すことは出来ても感情のにおいを絶つのは無理だ。何か仕掛けがあるな?
私と同じ、異能を帯びた瞳。たしか
感情の発露に炯眼が引っかからない理由……人は無心ではいられない。明鏡止水の如く悟りでも開くか——死体でもなければ。
「悪夢の方が目覚めるだけましね」
いま最も混乱してることは、
なぜ、この距離で仕掛けを解いて元に戻したんだ? ってことだ。
不意打ちや機先を制する方法を、いくらでも取れたはずなのに。
もし仮に私と戦いたくないと思ってくれてたなら、シロだけを奪還することだって出来た。なぜそれをしない?
コンコン。
ドアを叩く音が響いた。
私も胸を打たれたように震え、額に汗が滲んでいるのを思い出し、
息を整えようとして呟きが漏れた。
「だ、誰もいませんよ……?」
どうする。
混乱している場合じゃないぞ折原恵。
窓から飛び出して逃げれば、案外何とかなるかもしれない。ここからだと近くに小学校がある。そこに逃げ込んで——どうするんだ? 子ども達を盾にして立ち回るの? それじゃ何のために、今まで足掻いてたのか……分からなくなるぞ。
つまりアレか。《どうあがいても完全に詰んでる》から出て来たって訳?
いくつかの戦略と疑問が頭を行き交っている。
本音を言えば全身全力で、どこか遠くへ行きたい。
でも、ドアの向こう。微動だにしないあいつは……私が逃げないことを確信して立っている。それだけは理解できた。
「ライレン……!」
「先日はどうも。
今日は、よく人が訪ねて来る日だ。それも招かれざる客たちばかり。顔は笑ってるけど心じゃ泣いてるからな……おもてなしする身にもなってみろっての。
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