雪鯨 凍った世界と灼熱の心臓
子夜の読書倶楽部
太陽の瞳
北北西から吹く海風が僕の体を小さくする。
ぶるっと首を振ると視界にどこまでも続く海岸線が入ってくる。
僕がいるこの見張り台からは水平線の一番端っこで優雅に群れを成し泳いでいる雪鯨達の姿が小さく見える。
奴らは半年程前からずっと町の近くを泳いでいる。
雪鯨は怖い存在だ。
奴らがいた場所、そして通った後に動くものは何もない。
そこにあるのはまるで時間が止まったみたいに何もかもが凍ってしまった世界だ。
雪鯨を中心に半径10キロメートル。そこは奴らの絶対領域だ。
雪鯨達に近づくにつれて万物は凍り始めいく。
奴らが確認された公式な記録はないが、約300年ほど前といわれている。
昔から町に伝わる言い伝えでは、それまでは人類の神話の時代だったらしい。
そのときの人類は世界の天候を変える力をもち、空から人を見ることもでき、世界の理を自由に変えることができたらしい。争いはなく、すべての人間がやさしく、まるで天国のような楽園だったという。
それが一転、雪鯨の出現によって180度変わってしまった。
人類は持てる知恵と力の全てを出し、奴らと戦った。
しかし、人類の抵抗をあざ笑うかのごとく世界はどんどんと凍ってしまった。
人間たちはまるで石像のように固まり、心臓の動きを止めさせられた。
世界からは暖かさが消え、極寒と暗黒の時代に姿をかえた。
残された人類はほんのわずかな太陽とともに生まれ故郷を離れ、
雪鯨達が来ない土地に散り散りに逃げ、小さな町を設け暮らし始めた。
そう、僕たちはその子孫で今もその小さな太陽を中心に暮らしている。
「まるで災害みたいな生き物だよ」と幼い僕に母は言った。
僕たちは雪鯨に300年間支配され、囚われている。
ごうごうと強い風が目の前にある穏やかだった海の表面を乱す。
「忌々しい・・・」
口元に巻き付きた布を指でひかっけてずらし、僕はつぶやく。
口と布の隙間から湯気が少し立ち上りそしてすぐに消えた。
はぁはぁと吐息を漏らし、湯気の行先をぼんやりを眺めていると水平線から
光がこぼれ、世界は朝を迎える。僕の見張りの仕事はようやく終わった。
さあ家に帰って暖かい鮭のスープを飲もう。
そう思い僕は海岸線に申し訳程度に建てられている見張り台から降り、町への帰り道を歩く。十年間雪鯨が来るのを見張ってきた。最後の半年は雪鯨達がぐるぐると海を泳いでいるのを見張ってきた。それも今日で最後と思うと少し寂しくなる。
少し歩くと町の門が見えてきた。
「おはよー!セツ!」
はつらつとしたが朝もやの中に響き、うつむいていた顔を上げると
町の門の下でツララという変わった名前の同い年ぐらいの女の子が
満面の笑みで手をぶんぶん振っている姿が目に映った。
背の高さは僕より10センチ下の155センチ。
防寒具がまるで雪だるまみたいにもこもこに膨れている。
タイトなパンツからすらっと伸びる脚はこの町にすむ人間とは別の人種なのだろうと思わせられる。透き通るような真っ白な肌は雪焼けが激しいこの土地でも全くくすむことなく、その透明感をしっかりと保っている。
この曇天の中の弱い光さえもしっかり反射しているキラキラした金髪は鮮やかに艶をはなっている。そしてその両眼は小さな太陽のようにオレンジ色に輝き、昔話に出てくる太陽を連想させる。僕は少し速足でツララのもとに着くとツララは嬉しそうに僕の手を握った。
「セツ!今日はあなたの誕生日ね。おめでとう!」
ツララと出会ったのは半年程前の事だ。
僕が見張りを終えて海岸沿いに作られた町へ続く道を歩いていた時のこと。
彼女はなぜか素っ裸で雪の積もった海辺に倒れていた。防寒具を着ずに外に10分もいれば凍傷になり手足が腐ってしまうこの世界ではありえない状況だった。
慌てて家に連れて帰り、母と僕で介抱した。
その時のツララの両手両足は真っ赤に晴れ上がり、顔はまるで死人のように真っ青だった。母は一目見て、もって今夜だろうと悲しい顔をした。
せめて最後は暖かい部屋の中でと思い、残り僅かな石炭を暖炉にくべた。
しかしそんな僕らの心配をよそにツララはぐんぐん顔色が好くなり、手足の腫れも引いて一日で目を覚ました。
町長にその事を話すと恐らく、近くの町から海に流されたのだろうと渋い顔で言われた。死の淵から奇跡的によみがえったツララはだったが全く歓迎されなかった。
この場所は一年中灰色の雪に包まれたていて食べ物もたやすくは手に入らない。
結局、僕の家は配給を増やさないことを条件にツララの滞在を許可してもらった。
幸い僕も母も質素な生活だったため、何とかツララ一人ぐらいだったら食糧を賄うことができた。近所の人からは「こんな時世にずいぶんとお人よしだねえ」と嫌味半分、尊敬半分の言葉をもらったがこんな時世だからこそ助け合わなければと僕と母は思っている。
それから僕はこのツララに町を案内した。ツララはこの町にある物に対しものすごく興味を示して、楽しそうにした。僕とツララは簡単に仲良くなった。
ツララと一緒に帰りながら町の中央に建っている発電所を通り過ぎる。それまで楽しそうに話していたツララの表情が強張った。
「まだ、この発電所が嫌いなのかい?」
ツララはうつむきながら心配なだけと呟いた。
この発電所はいつも黒い煙を吐いている。町すべての電力を賄っているのだから仕方がない。そういながら発電所から立ち上る黒い煙が空を覆ている雲に吸い込まれていくのを見上げた。
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