ごちゃまぜ怪文書s

かわいいねこ

　落ちてゆく。ゆったりゆっくりと。ふわふわとした感覚で。

　人が重力を感じなくなったのはいつからだろう。地球が寿命を迎えたのを感じてから？宇宙に進出し始めてから？地球外人口が100億人を突破してから？わからない。たぶん全て正解だ。とにかく人間は重力を受けずに生きている。

　だから落ちるなんていう感覚は遺伝子からしたら数百年ぶりに感じているんだと思う。わくわくしているしどきどきしているし不安定で不思議でなんだか心地よい。ああ、人生の最後にこんなこと感じられてよかった。私はいつぶりの突き落とし殺人被害者なんだろう。これは明日の新聞の一面を飾れる。私もついに有名人か。生きているうちは芽が出なかったのに。やっぱり売れないロックバンドなんてやるもんじゃなかったなあ。宇宙で音が出るわけがなかったのに。そんなことしてるからこうやって殺される。ああやだやだ。

　じわじわと地面が迫ってくる。激突まであと何秒だろう？ざっと10メートルはゆうにありそうな建物のベランダから落ちたから、そろそろ5メートルくらいだろうか。それにしても遅すぎる。なにかおかしいんじゃないのだろうか。いや下に落ちるなんて人生初体験だからこれが正しいのかもしれないけど。もし運良く生き残れたらあいつをぶん殴ってやろうかな。そんて友達に落ちたことを自慢しまくろう。みんな落ちるなんて言葉辞書でしか見たことないだろう。羨ましがるぞ。いやいやこんな自己顕示欲の強い人に生まれついたせいで殺されかけてるんだぞ私は。あんなやつメンバーに入れるんじゃなかった。顔しかよくないんだよほんとにもう。でも顔が良ぎるのがもっとよくない。セックスがうまいのはさらにだめだ。男としたのは初めてだったのにこれではもうもどれなくなってしまう。というかそうなってるから殺されているんだ。なにかいいことがあるとすぐ自慢しまくって、セックスもしまくって、でもバンドは売れなくて、一曲ヒットしたと思ったら調子に乗って金使いまくって、恨まれて、さいごに建物からどん。なんて素敵な人生なんだろう。ちなみにこれは皮肉だ。

　落ちながら見る景色は美しい。逆さまに見える。重力のある天体なんてほとんど爆発したと学校で習ったが、まだこんなところが残っていたとは驚いた。ゆったりと下に流れていく山々。暗い夜空。素晴らしい眺めだ。こんな時じゃなければもっと楽しめたのになんともったいないことだろう。お前の人生はいつもこうだ。誰もお前を愛さない。でもこんな死に方ができるなんてそれはそれで幸せで神に愛されているのかもしれない。なんてったって数百年ぶりなんだから。数百年前の人類が日常的にしていたという飛び降り自殺や突き落とし殺人でこんなに楽しめるのは文明の進化か退化かどちらだろう。よくわからかい。そんなやつが芸術的なバンドなどやるべきではないと？まあその通りだ。

　地面が目前に迫る。強く目を閉じる。衝撃に備える。どのくらいつよい力が加わるのかよくわからない。なにせ数百年ぶりだ。そろそろくるぞ。ああ…私は幸せだ。

数日後宇宙ネット全局でこのようなニュースが流れた。

「T57星雲惑星ペレストロイカで男性の死体が発見されました。調べによると男性の死体には自由落下時特有の内臓の損傷がみられ、高所から突き落とされたものと考えられますが、その場合2150年の事故以来初の落下者となります。なお、死因は転倒による脳挫傷とみられています。」