彼女が世界を破壊する!

えまのん

#01 発端

 その少女は2階のベランダに出た。

 月明かりにしなやかなシルエットが浮かぶ。

 向かいには鏡映しにしたような酷似した作りの家が見える。

 正確に言うと、似てはいるが異なる作りの家だ。

 彼女は、そのベランダのある部屋のカーテンが開いているのを確認して小さく頷いた。

 胸の辺りまである手すりに乗り出して左右を見、人目がないことを何度も確かめた。

 そして彼女は手すりを踏み台にして、ポンと高く舞い上がる。

 まるで見えない羽のあるような高く鮮やかな飛翔。

 大きく反らせた彼女のシルエットが満月と重なる。

 スレンダーで均整のとれたプロポーション、後ろになびく長い髪。

 重力すら感じさせないその動きは、まるで異世界の住人のように思われた。

 そして彼女は向かいの家のベランダに、鳥のように音もなく舞い降りた。


 コンコン……。

 今日もベランダにあいつがやってきた。サッシの鍵を指さして、開けてくれと主張している。

「ちょっと待ってくれ。今、手が離せない」

 俺の言葉はあいつに届いていないようだ。

 ムッとした表情となり、再度窓を叩いてくる。

 コンコンコンコンコンコン……。

 しびれを切らしたあいつが、突然サッシの端に両手をかけた。

「わー、ちょっと待て! 今すぐ開けるから」

 慌ててゲームパッドを左手のみでコントロールし、空いた右手でサッシの鍵を外す。

 視線はモニターに集中したまま。ゲームキャラは意味もなく逃げ回るだけだ。

「ありがと、何やってるの?」

 部屋に入ってきた少女、藍奈(あいな)はサッシを閉めながら問いかけてくる。

 スレンダーな身体にピンク色のパジャマがよく似合う。彼女は俺の部屋に置きっぱなしの自分専用のスリッパを履いて近づいてきた。

「『リアルワールド・フロンティア』ってゲーム。招待状が送られてきたからやってみたんだが……結構クソゲーだな」

「ふーん、その割に操作は手慣れたものじゃない?」

「いやいや、一発でも当たると即死なんだ。とりあえず逃げ回って、アイテムで何とかするしかない。

 リアルタイムバトルだから何とかなってるけど、ターン制ならとっくに死んでるな」

 モニター上のゴブリンが襲いかかってくるのを、素早く避け、一発だけ反撃する。

「うわぁ、それしかHP削れないの? 確かにクソゲーだねぇ。

 アイテムなんかすぐに無くなっちゃうじゃない?」

「それがこのゲーム、変な所に凝ってて……っと。

 アイテムはその場で合成できるんだよ。この辺にも素材が落ちてる」

 隙を突いて薬草を拾うと、木の陰からもう一匹のゴブリンが現れた。

「なるほどねぇ。魔法は使えないの?」

「職業変えないとダメだ。でも、生きたまま転職できる気がしない」

「そうなの? でも楽しそうだよ、マー君」

「そうか?」

「そうだよ。ピンチを楽しんでるように見える。

 それにアイテム合成も手慣れた感じ。今日、始めたんでしょ?」

「ああ。まとめサイトがあったんで助かったよ。

 513種類の素材があって、その組み合わせで無数のアイテムができる」

「513? もしかして、それ全部覚えたの?」

「……ああ。っていうか、それ覚えないとコイツと戦えないよ。アイテム買うにも金がない」

「なにそれ。普通、初心者向けに最初はお金とか余裕を持たせてるんじゃないの?」

「そうなんだよな。とにかくこのゲーム、バランスがおかしいんだよ。

 それにほら、見てみろよ。ゴブリンもひとりひとり体型が違うだろ?」

「……あ、本当だ。こっちは目の下にハート型のアザがあるし、こっちは左耳が欠けてる」

「……よし。これで爆弾ができた。これでも喰らえ!」

 できたてのアイテムをハートのアザがあるゴブリンに向けて投げつける。すると巨大な爆発が起き、二匹のゴブリンと俺の分身が吹き飛ばされる。

「うわぁ、すげぇ威力だ。こっちまでダメージ喰らっちまった」

「でも、ゴブリン一匹倒したみたい。あ、もう一匹が逃げ出しちゃうよ」

「まずい! あいつら仲間を呼んで戻ってくる事が多いらしいんだが……逃げられた」

「雑魚のくせに足が速いんだ」

 藍奈は笑いながらベッドに腰掛けた。

 この部屋には物が少ない。机とPC、そしてベッドくらいか。

 本棚もなく、教科書は一度読んだきりで隅に投げ出したまま。後は、壊れたゲームパッドとキーボード、そして栄養ドリンクの空き瓶が山積みされているのが目立つ所か。

「こっちの方が雑魚だよ。

 まぁ、所詮ゲームだからな。死んでもやり直せば良いんだが……これは複雑なだけで面白くない」

「複雑で面白くないくせに、アイテム作りは覚えちゃったんだ」

「まあな。引きこもってるとヒマでヒマで仕方ないんだよ」

「あ、そだ。明日から中間テストだった。どーする?」

「お前なぁ、今頃……。分かった、行くよ」

「まぁ、テストで100点取ってれば文句言われないしね。まぁ、体育はダメだけど」

「僕、身体弱いねん」

 Tシャツと短パンから伸びる白く細い手足がそれを物語っている。どこに出しても恥ずかしい立派な“ガリガリ君”だ。

「……何言ってるんだか」

 ため息をついて藍奈がそっぽを向く。

「お前だって引きこもりの世話をする優しいクラス委員長として点数稼げるじゃないか」

「……違うよ」

「え?」

「先月から生徒会長。言わなかったっけ?」

「聞いてない……けど、あんまり大した問題じゃないな。

 お前には感心するよ。

 よく優等生を演じきれるよ、ごく普通のな」

 モニタ内に敵がいないことを確かめて、ゲームパッドを置いた。

 振り向くと、藍奈は俺のベッドの上で無防備に寝ていた。

「何か帰るの面倒くさくなっちゃった。今日、泊まっちゃおうかな?」

 俺はため息をつき、PCに向かった。

「あのなぁ。用が済んだらとっとと帰れよ」

「別に良いじゃん」

「襲うぞっ!」

「えっ!? 本当?」

 藍奈はニッコリ笑って身体を起こす。

「嘘だよ。誰がお前なんか襲うかっ!」

 その言葉に藍奈は少しむくれたフリをする。まあ、いつものたわいもないやりとりだ。

 少しの間があってから、藍奈が言う。少しだけ口調を重くして。

「マー君ってさ、“えーこ”みたいな娘が好きでしょ?」

「……興味ねーよ」

「ああいう、ほわっとした。おっぱいの大きい娘」

「ちげーよ」

「ふーん。……最近えーこ、また大きくなったらしいよ。

 Fカップじゃキツいって」

「マジか!」

 つい振り向いてしまう俺。

 にんまりと笑う藍奈の視線がモロに突き刺さる。

「やーっぱりそうだ」

「うっ……」

 慌ててPCを操作するが、もう遅い。

 藍奈が勝ち誇ったように歩いてくる。

「白状しろっ! キミの好きなのは……キャッ!」

 俺を責め立てるセリフを遮るかのように窓が光る。

 カミナリだ。思わず藍奈がしがみついてきた。

 しなやかな感触と甘い香りが俺を包み、小さな胸の鼓動が背中から伝わってくる。

「ほ、ほら、変な事言うから、えーこが怒ってるぞ」

「そんな事、あるわけ……キャッ! ごめんなさいぃ」

 続けてやってくる雷鳴に藍奈は身を強ばらせる。

「ほんと、お前は昔からカミナリは苦手だな」

「だって、あれ聞くと身体が言う事きかなくなるんだもん……キャッ」

「でもおかしいな。さっきまで晴れてたのに、雨まで降り始めた」

 いきなり降り始めた雨は洪水のようになり、近くにいる俺たちの会話すら聞き取れないほどの勢いだ。

「ごめんね、マー君。大丈夫?」

 耳元で藍奈が囁く。

「問題ない。それより雨が止んだら送るよ」

「やだ、怖い。やっぱ、泊めてよ」

「ダメだよ」

 藍奈を無視するようにゲームを再開する。

 藍奈にはそう言ったものの、俺も少し目眩がする。

 なんだかモニターに身体が引っ張られるような気もする。

 今日の食事がドリンク1本というのは無理があったか……。

「マー君、前! 前!」

「……っと、敵か?」

 ゲーム画面に、人影らしき物が現れた。先ほど相手したゴブリンよりも背が高い。

 俺はナイフを構えた。

「……あれ? 女の……人?」

 藍奈が画面を指さす。

「みたいだな。他のプレイヤーらしい」

 そのプレイヤーは女騎士の格好をしていた。フルフェイスのヘルメットを被るが肌の露出は高い、いわゆるゲーム・ファンタジーではおなじみのスタイル。

 女騎士は人気のジョブでそれなりの実力と経験がないとなれない物だ。

 こんなクソゲーで高位職業までやりこむなんてちょっと怖い奴かな、とも感じた。

 俺はキーボードを使い、挨拶を打ち込もうとする。変に機嫌を損ねると何されるか分からない。

 それよりも先に、騎士は左手に持っていた何かをこちらに向かって放ってきた。

 何も言わず、高圧的な態度のまま。

「あれ……これ、さっきのゴブリンじゃない?」

 藍奈が指摘する。それはゴブリンの首だった。しかも耳が欠けている。

『ダメじゃない……坊や。こいつが逃げる所だったわよ……。ツメが甘いわ』

 女騎士が話しかけてくる。こちらも応答する。

『すみません、ありがとうございます。初心者なもんで』

 俺は差し障りのない返事をした……つもりだった。

『そう……関係ないわ。招待状、届いたんでしょ?』

『えっ!? じゃあ、あなたが』

 俺がそう言うと、女騎士はいきなり斬りかかってきた。

 紙一重でその攻撃をかわす。が、攻撃は止まない。

 ブンブンと振り回される剣を俺は続けさまに避ける。

『何するんですかっ!』

『ゲームよ。決まってるじゃない』

 藍奈が不安そうに話しかけてくる。

「マー君、大丈夫?」

「まずい、こいつ外道だ」

「外道?」

「プレイヤー殺しを楽しんでる奴だよ。味方も単なる経験値のエサだ」

 素早く身をかわし、ナイフを構え奴の腹に突き刺す。

「やった!?」

「いや、ダメだ」

 俺はナイフから手を放し、素早く後ろに下がる。

 奴は小首をかしげ、腹に力を入れた。急激に筋肉が盛り上がる。

「きゃっ」

「ほら、このゲーム、妙な所がリアルなんだよ」

 膨れあがった筋肉はナイフを押し出してしまう。その皮膚には傷ひとつない。

 女騎士は構えを解き、無防備な体勢となった。そして指をクイッと曲げ、こちらの攻撃を誘う。

 俺はナイフを拾って奴に襲いかかる。

 ナイフ、パンチ、キック……。

 こちらの攻撃を、防御することなく弾き返してしまう。

「レベル差がありすぎるんじゃない?」

「……というか、こいつチートキャラだ」

「チート?」

「ああ。不正改造されたキャラだ」

「つまり?」

「デタラメに強い奴ってことだよ」

「へぇ……。デタラメに……誰かさんみた……キャッ!」

 稲光と雷鳴がほぼ同時に発生した。カミナリが近づいてきた証拠だ。

 しがみつく藍奈のポジションをずらし、抱きかかえるようにしてプレイする。正直、かなり動きづらい。

「よしっ! 喰らえ!!」

 アイテム爆弾を生成して投げつけた。

 ゴブリンに喰らわせた奴よりも、強力な奴だ。画面一杯に爆炎が広がり、その隙に俺は反対方向に向かって走り始める。

「逃げ切れたみたいだね」

「やばい、やばい。とりあえず街に帰ってセーブかな」

「あれ? あいつ生きてるよ!」

 後ろを振り返ると……薄れる煙の中、平然と立っている奴の影が浮かび上がる。

「くそっ、ビクともしないのか」

「全く、何が楽しいんだろうね? 強くなりすぎてもゲームって面白くないのに」

 藍奈が忌ま忌ましげに言葉を吐き捨てる。

 そして奴が動き始めた。こちらの倍、いやそれ以上の速度で近づいてくる。

 走っても走っても逃げ切れない。

 剣を水平に構え、俺の背中から一突き。

 俺の、俺自身の身体をこれまで体験した事のない衝撃が突き抜ける。

「うわぁぁぁ!」

「きゃあぁぁ!」

 嘘だ。

 これはゲームのはずだろう?

 なのに、何でこんな激痛が走るんだ?

「マ……マー君……」

 藍奈の苦しそうな声が雨の音にかき消されていく。

 一緒に巻き込まれたのか。……巻き込まれるって何に?

 なんだよ……。何が起きているんだ?

『まあいいでしょう。合格よ……』

 嵐のような雨音の中、その声だけはハッキリと聞こえた。

 そしてモニターの中から白い手が伸びてくる。俺たちに向かって。


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