ワーグナーと笑い顔。

初めて夫に会ったのは、

彼が私の住む街の大学に、学会のために来るという日だった。

近くの喫茶店でも探して入ろうということで、

待ち合わせは大学の「○○講堂」になった。


真っ白に雪が積もったキャンパスを○○講堂へ向かって歩いていると、

夫も中から出てきて、こっちに向かってきた。

お互い、すぐにわかったよね。

ほかに誰も歩いてなかったんだけれど(笑)。


初めましての挨拶のあと、夫が言った。

「○○講堂がすぐわかったってことは……?」

「はい、私もここの出身です」

「あぁ、同じですね」

「え、そうなんですか!?」

歩きながら、そんなことでふふふと笑っちゃった。


三つ歳が違うけど、私は一浪してるから、

もしかしたら、学生の時にキャンパスのどこかですれ違っていたかもしれない。

専攻はまったく違うけど、同じ文系の建物にいたんだし。


私は中学生のころからオーケストラに入ることに憧れていた。

そんな楽器、何も弾けないのに。

親に、バイオリンを習わせてくれればよかったのに、なんて、

文句を言ったこともあった。

父が亡くなってからは、そんな余裕なかったのはわかってるのに。


だから、夫のプロフィールにアマオケに入ってるって書いてあったのも、

私にとってはすごくポイントが高かった。

うらやましいし、話を聞きたいし、演奏も聴きたいし、

それだけで惚れちゃうくらいだ。

夫は、弦楽器を弾くのだけど、それも大学のオケに入ってから始めたそうだ。

私も入学したころ、初心者OKと知って入りたいなと思ったものだけど、

お金がかかるのでムリだと諦めたんだった。

やめてよかった。そのころオケで知り合っていたら、

こういう運命にならなかった気がするから。


喫茶店で、お互いに示し合わせたかのように持ってきていた贈り物を渡し合ったあとに、たくさんそんな話もした。

「タンホイザーとか聴いてると、ハラハラドキドキしちゃうんです」

「どうして?」

「弦楽器が伴奏のところで、金管の主旋律とズレちゃうんじゃないかって。

もちろんズレそうでズレないんだけど、気づくと手に汗握ってるんですよね(笑)」

「あぁ、それね、アマオケだと実際、ホントにズレちゃったりするんですよね」

夫はそう言って、その日初めて小さくふっと笑った。


あぁ、かわいい、その笑い顔!! 笑うと、こんなふうなんだ!?


自分のこと、無愛想だとか、無表情と言われるだとか言ってたから、

初対面では笑ってくれないと思っていたのに、笑ってくれた。

ただそれだけで、ものすごくうれしかったんだ。







〈※この6話めからは、昔書いたものではなく、いま振り返って書いていくものになります〉

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