九鬼龍作の冒険  黒いヒゲのサンタクロース

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

その男は、灰色の空を見上げた。男の口の周りは黒い濃いヒゲで覆われていた。ついさっきそのひげの間をすり抜け、冷たいものを頬に感じたのだった。

 「雪・・・か!」

 小さく呟いた。左手を顎にやり、ゆっくり撫でた。

そして、口元を緩めた。

 「今年は、いいクリスマスになりそうだ」

 男はゆっくり改札口の方を振り向いた。

 「もうじきやって来るはずだ。五歳の男の子は私を知らないが、母親は私を知っている。だから、ここで立っているわけにはいかない。この城跡のある小さな町で、今からちょっとしたゲームをしなくてはいけない」

 男は、にやりと微笑んだ。古い駅舎の時計は、その時、

 十一時十分

になった所だった。


 これより一時間ほど前、城跡のある小さな町から南に下った町に住むある少年は、一人で玄関前の石段に座っていた。少年の住む家は小さく、平屋建てだった。だが、母と五歳の男の子が住むには、十分の広さの家だった。ただ、土地は家の小ささに比べ、広かった。裏の庭には草花が植えてあり、季節によってまちまちだが色とりどりの花が咲く。玉ねぎやキュウリなど野菜も隅っこの方に作られていた。でも、一番多くの場所を取っていたのは、ひまわりの花だった。今もビニールハウスの中で咲き、それ程大きくないハウスだが、中が黄色く染まって見えた。

(あなたが生まれる前からあったのよ)

と、少年は母から聞いていた。彼が生まれた時にはすべてのひまわりの花が開き乱れ、男の子の誕生を喜んだ。少年は七月に生まれた。

男の子は二つか三つの時、母に聞いたことがある。

「どうして家には、こんなにたくさんのひまわりさんがいるの?」

って。

その時、母は男の子に、にこりと微笑んだ。

「どうしてなのかな・・・?」

母の微笑みに、

ねえ・・・どうしてなの、と母に甘えた。母のその笑みに、男の子は母が何かを隠しているように感じたのも知れない。でも、それ以上、母は何も話さなかった。

今の少年の記憶から、その時の母とのやり取りは消えていた。だけど、ひまわりだけは、以前として裏の庭にあり、夏の季節が来れば、ハウスのビニールの屋根は開放され、黄色い花は咲き誇っている。他の季節には、ビニールハウスは閉じられて、中は適度の温度に保たれていた。

少年は時々後ろを振り向き、玄関が開くのを待っていた。少年はそんな仕種を、ここ三十分以上何回となくやり続けていた。

「お母さん、遅いなぁ。何をやっているんだろう?」

少年の名前は、城倉陽太郎と言う。五歳だった。幼稚園の友達は、陽太郎君とかようちゃんと呼ぶ。でも、少年が気に入っている呼び名は、ゆう、だった。母も、ゆうと呼ぶことが多い。

(ようたろう)

が正しい読み方だが、少年は、陽太郎をゆうたろうと読んでしまうことがある。よ、と、ゆ、がうまく発音できなかったのだ。

幼稚園の友だちの中で、ゆう・・・そう呼んでくれるのは一人だけだった。その友達は女の子で、ゆうが一番好きな友達だった。

「遅いな、お母さんは」

陽太郎はまた振り返った。だけど、玄関は開いていない。座っていた石段は初め冷たかったけど、今はもう気にならなくなっていた。

「ゆう、もう我慢出来ない」

陽太郎は立ち上がって、くるりくるりと玄関の前を二三回歩き回った後、

「お母さん」

と、玄関を開け、家の中に向かって、叫んだ。

「もう少しよ。もう少し待っててよ、お願い」

母美千代の声が聞こえて来た。あぁ・・・だめだ。すぐに来てくれそうもない、いつもゆうをがっかりさせる、美千代の抑揚のない声だった。

「早く来てよ」

陽太郎はぽつりとつぶやいた。

毎年、十二月二十四日は隣のM市へ行く。ゆうは、今日の日を何よりも楽しみにしていた。というのは、クリスマス・イブのプレゼントを、母美千代と買いに行くのが毎年の行事になっていた。もちろん、陽太郎へのプレゼントが第一の目的である。

(嬉しい)

に決まっている。しかし、ゆうにはもうひとつの楽しみがある。

それは、美千代以外からプレゼントもらうことになっている。

(いる・・・?)

というが、確かではない。郵便で送られてくるのでも、宅急便で届くのでもない。誰かが陽太郎の家に届けてくれる。

何処の誰かわからない。陽太郎は、もう少し小さい時にお母さんに聞いてことがある。

「さあねぇ、誰だろう?お母さんにも分からないよ」

美千代は微笑み、首をひねって見せる。

陽太郎はそんな美千代を見て、ひょっとしてお母さんは誰だか知っているのかな、とちょっと思ったりもした。

陽太郎はこの何処の誰だか分からない人を、ぼくのサンタクロースと呼ぶことにしていた。

「そうだね」

美千代も喜んで賛成してくれた。

だから、陽太郎は、サンタクロースは本当にいるんだと、いつの間にか信じ込むようになった。《ぼく》だけのサンタクロースは、ぼくだけの秘密で、誰にも言ったことがない。そんなことを言ったら、年長組のみんなが笑うと分かっているからである。

十二月になると、年長組のあちこちでクリスマスの話になる。その話題の先にあるのは、

(サンタクロースは本当にいるのかな?)

という話し合いがあっちこっちから聞こえて来る。


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