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桐谷瑞浪

#01 面影ある人

 京都で仕事を始めて三年。


 今助はどうにも、様にならない気持ちながら格好だけは付けるため、そう高くないアパレル店に足を運んでいた。


「っしゃーせ」


 いらっしゃいませ、を縮めつつ言ったのだろう店員を尻目に、適当に厚手のストールとファー付きのジャケットを買っているのが牧積 今助という男だ。


 新進気鋭。その4字が実に似合う、ギラギラとした目の力みが印象的な若者だ。


「これ、ください」


 子どもの頃の癖がうっかり出てしまい、今助は内心ヒヤリとした。

 仮にも京都という大都会でそんな芋みたいな言動は、どんなに誰も気にしていなくても慎まなければならない。


 それが都の掟と、誰もそこまでは本当に気にしないのに大袈裟に頭を掻きむしり、今助はひどく狼狽した。


「3万2900円す」


 アパレルとは名ばかりで、格安の中古ばかり揃えてはいるものの値段より随分と見映えの良い品が揃う店だ。

 まあ、安いだけあり「もたない」のがネックだが、変に高い品で見栄を張っては盗まれる、悪戯されるなんて当たり前のファッションという無駄に今助は関心が薄い。


 きっかり支払ったのを今度は店員に現実に笑われ、赤面しながら彼は店を出た。


「2020年4月1日。俺は今……」


 エイプリルフール、というありふれてはいるが死語になりつつある季節言葉がよぎったが、しょっちゅう嘘を吐いてしまう今助には関係ない概念だ。


 イラストを描かない時間はごく普通かそれより少し下の、へなちょこ。

 彼は自らをそう自己評価している。


 そして、へなちょこが生き急ぐ以上は嘘も方便で、死ぬまで終わらない未熟さからの逃避なんだと大それない思想を持つ今助は次にカフェに向かった。


「うぃっす~」


 行きつけの小ぢんまりした喫茶店。

 ただ内装は雑誌などにもちょくちょく紹介されるほど洗練されていて、今助以外の客はカップルや若い女性が目立つ。


「えっと、何だっけ注文」


 まだ今助は注文してないのだが、アートカフェ「カスピ海」の老主人は咳き込みながら銀縁眼鏡をずり上げ、上目気味に彼を見た。


「ふん、ブラックだろ」


 おしゃれが売りの店で粗野ですらある選択だが、それが今助の常だ。


「腹黒いもんね」


 そう毒づく店主もいつもの人なつこい笑みを滲ませ、他のテーブルの食器を下げに向かった。



 そこで「あれ?」と今助は妙な感覚を覚えた。その感覚が何かは分からないが、今までに一度か二度しかない感覚だという直感が今助に働いた。


「あ。ご、ごめんな……さい」


 遠慮がちに謝罪する若い女の声が、広くはない店内に異様に大きく響いた。

 遠慮がちなのに大きいというのは矛盾しているが、実際そうなのだ。


 何を謝ったのかは分からないが、とにかく今助は、そうする必要もないのにその女性のテーブルに向かった。

 カウンターにいた今助からは最も遠いテーブル。普通なら決してわざわざ近付かないのにそうしたのは、先ほどの感覚がその女性の面影に起因していたからだ。


「何か?」


 テーブルに近づききるより前に女性は明らかに警戒した。それこそ道理で、面影と言って も今助自身、知っている人物か確信が持てないでいた。


 そこで今助は後ずさりした。

 情けないとは思う。ただ彼は動いてしまった以上、軽率さを謝るのも不自然な以上、そうするより他ない。


「こんにちは……」


 ぼそり、と今助は呟いた。

 他の客の話し声に負けるほど弱々しい挨拶で、運命の人との邂逅というシーンならばリテイクは必定だ。


 女はスマホを取り出した。

 おそらく警察だろうな、と今助は考えた。それはそうだ。不審な人物が歩んで来たら通報する。ごく当たり前である。


 店主は我関せずと食器を下げ、そそくさとカウンターに戻った。


「俺、今助です!」


 先ほどの女の謝罪よりずっと大声で今助は名乗りを上げた。

 自己紹介のつもりで、結果は武士みたいに猛ったのだ。


 気違いと思われたのか、女性はスマホを片手に外に向かい出した。だが、不思議なことに女は手招きした。

 今助というイレギュラーにこっちだと合図したのだ。



「あのね、行動には気を付けるべきだわ」


 女が連絡していたのはやはり警察。

 今助は危うく逮捕されるところだったのだ。


「すみません……」


 店の外で、今にも土下座しそうな勢いで今助は深々と頭を下げた。


「じゃあ、私はこれで」


 女は店内に戻ろうとしたが、ふと足を止めた。


「あー! 思い出した」


 今助はひっくり返りそうになった。体当たりでもされるような勢いで、どんっと背後からぶつかられたからだ。


「今助。牧積 今助だよね?」


 フルネームを知っているということは、どうやら記憶違いではないようだ。

 今助は「あ、うん」とまた弱々しく返事した。知人には草食系と言われることが少なくない彼は何事もすこぶる弱々しいのだ。


「……」


 突然、女は無言で真っ直ぐに今助を見つめた。

 風がそよぎ、垢抜けながらも幾らか殺風景な通りはその無味乾燥な空間をますます薄ぼんやり春らしさもなく彩っている。


 一方で当の今助は緊張し出した。動悸で呼吸が荒くなりそうなのを堪え、あくまで平静を装う。


「2020年4月1日。俺は今……」


 今日、今助は何度となくその台詞を口にしている。今、の後に続くのが何なのか、実は彼自身よく分かってない。

 分かりそうな、端的な何かに収束しそうになってはまた発散していく。


 収束と発散。

 高校で習わなくて独学した、数学の極限が不毛に今助の心に浮かんだが、それもまた本質とは無縁で迂遠なメタファに過ぎない。


「今、私に出会った」


 女が継ぎ足した。

 婉曲から唐突に直接に切り替わった今への印象をもたらされ、今助は頷きかけた。


(……出会った?)


 まるで初対面かのような表現と気付き、今助は違和感を抱いたが深くは気にしなかった。


「あのね、私はあなたを……まあ、いいや。私、今日宮 ハスリ。分かるかな?」


 今助は曖昧に頷いた。

 珍しい名前に思われ、別段に覚えやすい名前とも思えたが今助は地道に、たくさんの人に関わりながら生きている。


 そのため彼は「単に忘れたのだろう」と結論付けた。


「俺は牧積。牧積 今助」


 言ってから、彼は緊張が高まる余りにはすりが知っていることをわざわざ言い直す有り様になった。



 それから二人は別々に「エーゲ海」に戻った。別に恋人でもなんでもないのに連れ立つのは気まずいからだ。


「初恋の人か何かか?」


 ハスリが帰った直後、店主がこっそり探りを入れてきて、柄にもないと今助は面食らった。


「いや、よく分かってない……です」


 今助は今助で、いつになく正直に答えた。

 だがそんな彼の思いなど知るよしもない老人は、突然に封筒を差し出した。


「な、何ですこれ」


 店主は無言のまま、顎で扉を示した。

 暗にハスリを追え、ということなのだろう。


「何なんですか……」


 愚痴をこぼしながらも今助は渋々、千円札をを雑に置いて扉を開いた。



 決してまばらではない人々が行き交う街の中に、ハスリの姿を認めるのはそれなりに困難だ。

 特徴的なエメラルド色の鮮やかなショルダーバッグを頼りにすることで、ようやく今助は彼女を見つけることが出来た。


「なんて言えば?」


 ぽつねんと今助は悩んだ。

 悩んだが、結局は成り行きに任せることにして勇気を出し、ひらりとハスリの前に現れた。


「あわ、これ……」


 颯爽と登場した割にはあたふたと今助が封筒を取り出すと、ハスリは「どなたですか?」と妙に聞き覚えのない声色で返してきた。


「えっ、すみません」


 人違い。

 見ない色のショルダーバッグなのに間違えるなんて、つくづく運のないことだ。


 しかし別に後日、また彼女があのカフェに来店するのを見越して帰れば良いのに、今助は無闇に街を駆け巡った。

 なぜだが、そうしないわけにはいかないような気がしたのだ。


「ストーカーかよ、俺」


 こんなことまでして、友人だとしても喜ばないだろうなんて百も承知のはずなのに、今助は焦っていた。


 正体不明なのに、何か気になる。そして、それは少しでも時が経とうものなら致命的に風化してしまいかねない儚い何かのように今助には感じられた。


 だから、今助はつい叫んだのだ。

 その凡庸ながら個性的な言い回しを。


「2020年4月1日。俺は今……!」


 その時、起きたのは奇跡なのだろうか。

 探し人はすっかり日の暮れた雑踏から、変わらぬ真っ直ぐな眼差しを投げかけた。

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