ピクニックトラック
元治は愛車の10tトラックのコンテナの屋根の上で、コンビニで買った弁当を食べながら海を眺めていた。
この場所で長距離運送のつかの間の一息を楽しむのが、彼の密かな楽しみになっている。
コンテナにビニールシートを敷いて、そこにお茶を入れたポットと弁当を並べ、あぐらをかいて緊張を解く。
彼の頭のてっぺんは既につるつるにはげ上がっているが、側面と後頭部に残った毛髪は十分に風に揺られている程度には残っている。
元治は無精故にざらついた顎や頬を右手でじょりじょりと撫で付け、その感触を楽しんだ。
彼の目は少年のような煌めきがあり、このひとときを楽しんでいる表情はいたずらな少年のように不敵な雰囲気が漂っている。
カップのみそ汁をすすっていると、別の10tが元治のトラックのうしろに停車した。
元治はちらりとそっちを向いて、ビニールシートの中央から少し横に移動する。
うしろのトラックから降りた女性は弁当袋をぶら下げて元治のトラックの方へ小走りにやって来ると、ハシゴを上って元治の隣りに腰掛けた。
「ああ、良かった、間に合ったわぁ」
見た所、彼女は元治よりふたまわりは若く見える。
「なんじゃ、ゆっちゃん、途中で何かあったんか」
「東名で事故渋滞に巻き込まれちゃって。もう、時間かかったわぁ」
「そうか。あんまり無茶に飛ばしたら行かんぞ」
「はぁい」
元治は優希の屈託の無い笑顔のほだされて頬の力が抜けてしまう。優希はいつの間にか元治の憩いのひとときに入り込んで、今では底にいるのが普通の事のようになった。いつもここで休憩している元治の姿がとても気持ち良さそうで、ついつい話しかけてしまった、というのが始まりだ。
初めは何となく鬱陶しがっていた元治も、優希の無邪気ともいえる遠慮のなさと素直さに、こわばっていた心が緩んでしまった。
(ひょっとしたら俺自身、一人でいるのに飽きていたのかも知れん)
元治はそう思う。
仕事仲間というのはそんなに多くない。運送会社の事務所に行けば同僚達は大勢いるが、個人的な付き合いを積み上げていく事は敢えてしてこなかった。
二十年連れ添った妻を病気で亡くしてからは、人付き合いそのものが煩わしくなってしまい、仕事も辞めて今の職に落ち着いた。
服装にも、身なりにも、あまり気を遣わず、ただ淡々と仕事をこなす毎日を続けた。
ある時から気分転換のつもりで海を眺めるようにしていたら、それが習慣になってしまったのだ。
優希が横にいても、特に元治が気を遣うような事は無く、相変わらず海を眺めている。
どんなに平穏な天候が続いたとしても、海の表情は一日ごとにまるで違う。それは至極当たり前の事だとしても、不思議でならない。
どんなに見続けても見飽きる事は無かった。
むしゃむしゃとコンビニのおにぎりを頬張り、遠くの波の動きや空を駆ける渡り鳥と風の戯れ、群れなして漁をする漁船同士の船の間隔がどのくらいなのかなど、海に現れる状況をぼんやりと観察していると案外きりがないのだ。
優希も元治と同じように海を見る。人懐っこい性格ではあるが、余計な事は言わず、元治の隣りにいる。
「ゆっちゃんは、彼氏はおらんのか」
「ええ?いきなり何ですかあ」
「いや、何となくな」
「珍しいですね、元さんが質問なんて」
「うん、いや、いいんだ」
優希は海を見たまま会話を続ける元治の横顔を見て、ふむ、と頷いた。
「ちょっとね、今彼氏どころじゃないから。これでも家族を支えてるんですよ、私」
「今いくつだい」
「今年で二十歳」
「そら大変だなあ」
何がおかしかったのか、優希は元治の横顔を見たままけたけたと笑った。
その笑い方が、妻に似ている、と元治は思った。
(そうか、そういうことか)
「うちの親父、借金放り出して逃げちゃってね、ほんと、もう大変よぉ」
「その割には楽しそうじゃないか」
「いちいち落ち込んじゃいられないしね。うちの残された家族は、みんなしこたま働きまくってますよ。大変だけど、楽しいよ」
「強いなあ」
「そう?」
「とてもかなわん」
「やめてくださいよお。元さんは人生の大先輩だと思ってるんだから」
元治は優希の顔を見た。笑っているが、目に真剣さがあった。
「俺はそんなタマじゃねえよ」
「そんなことありません」
「何でそう思う」
「顔に出てるから」
そう言われて、元治は無精髭の伸びて来た顎を右手でじょりじょりとさすった。
「そんな顔しとるか?」
「うん。元さんがお父さんだったら良かったのにって思う」
元治は思わず顔がほころんだ。何かが胸の奥でうずいて、元治のこころを揺さぶった。
「そうかい」と元治は言った。
「うん。機会があったらここにうちの家族みんな呼んでピクニックしたいと思ってるの」
「ここって、ここでかい?」
元治はトラックの屋根を指差していった。
「もちろん」優希は答えた。
元治は優希とまっすぐに視線を合わせて、それも悪くないと思った。
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