ムササビ の短い短い青春

 ムササビは空中を移動するが空を飛ぶことはできない。

 そこのところを勘違いしてる奴らがたまにいるんだ。ひどいやつは我々が地面から飛び立つもんだと思ってる。全くわかってない。

 あと、モモンガとムササビの区別がついていない奴もいる。羽って言っていいんだかわからんが、わかりやすいからそういう事にするけど、俺たちの方がちょっとだけ羽が大きいんだ。ガタイもでかい。まあそれが飛距離に影響するかっていうと、どうなんだろうな。身体と羽のバランスにもよるし、飛ぶのが下手な奴もいるからな。その辺は素人には区別がつかないだろう。

 とにかく、俺たちは飛べない。とてもゆっくりとすごく斜めに落ちて行くだけなんだ。そんなんだから、鳥さんたちは本当にすげえなって思うんだよ。あんな高いところをさあ、すいーって行くもんな。風を使ってさあ。見えてんのかなあ、あれ、風。俺たちはだいたい森の中にいるから、木の動きを見れば風が吹いてんなあ、あっちからこっちだなあ、つええなあ、よええなあ、ってなるけどよ。鳥さんたちはそんなのないだろ。あんな何もねえ空のど真ん中で群れを作って崩れねえからさ。いや、そりゃたまに乱れるよ。でも戻るだろ。崩れてはねえわけよ。わかる?この違い。

 まあ憧れてるわけよ。尊敬してんのよ。

 俺にゃあ逆立ちしたってできねえ事だからよ。自分にできねえことをできてるやつをすげえなって思うのは普通のことだと思うんだけど、親父は言うんだ。

「他人と自分を比べるな」

 ってさ。そう言うことかな?違うんじゃねえかな?て思ったけど、俺はふーんって顔して聞き流したよ。そんな親父もムササビ界の中じゃ結構知られてて、なんせ飛び方がかっこいいってモテてたらしい。隣の木のおばちゃんがよく俺に話すんだ。親父と母ちゃんの話を。

 母ちゃんは俺が二歳の時に死んじまった。母ちゃんも飛ぶのが上手くて人気があった。親父のアピールはそりゃすごかったらしくて、ほかのオス達を何匹も蹴散らしたってさ。

 さっきゆっくりと落ちて行く、って言ったけどあれはあくまで縦方向の話で、水平方向にはえらい速度で流れていける。だからスピード競争なんかやったら、そりゃあ迫力満点ってやつなんだ。親父は速かったらしい。森中のメスムササビが毎日入れ替わりに覗きに来るくらいの人気だったそうだ。まあ、今じゃ見る影もないけど。俺の知ってる親父は母ちゃんの思い出と昔の栄光とムササビ社会の行く末を悲嘆する毎日のどこにでもいるただのおっさんだ。だから俺にとっての親父は冴えないおっさんでしかなかった。ほんとにただのおっさん。最近じゃ飛ぶのすら億劫がってやがる。あーあ、って感じだったんだけど、どうしてもその親父に話を聞きたくなってしまう日が来てしまった。きてしまったんだな、俺にも。発情期ってやつが。

 カエデちゃんは楓の葉っぱが大好物でいつの間にかカエデちゃんと呼ばれるようになった。普通はムササビ同士じゃ「どこどこの木の長男」とかそう言う感じで呼ばわっているんだけど、特になんか目立つ癖やら特徴やらがあると何となくそいつだけの名前がつけられていく。そんなことでカエデちゃんはカエデちゃんになったわけだ。

 カエデちゃんと名前がついただけあって気を引こうとして楓の葉っぱをプレゼントしようとする奴が出て来て俺の尻尾に火がついた。

「飛び方を教えてくれ。かっこいいやつ」

 俺は親父にそう頼んだ。

 ゆっくりと振り返った親父は、まあムカつくぐらいのにやけた顔をしていた。お見通しってことだった。だが背に腹は変えられない。俺はカッコ良く飛んでカエデちゃんに飛び乗りたい。

 人が変わったように厳しい指導官の顔になった親父を鬼と罵りながらの特訓の日々が始まった。意外な事に親父は細かい事にうるさかった。指先の伸ばし方だとか前足の角度が違うだとか木に移る時は優雅にやれだとかいろいろいっぺんに言いやがるからついていくのが大変だった。そして俺が上手くできないとあのにやけた顔で「カエデちゃんあきらめる?」とかいってくる。我が父ながら本当に嫌な奴だ。何でこんな奴がもてたんだ。いや、こんな奴がモテるくらい、それくらいムササビにとって飛ぶってことは大事なことなんだ。隣の木の巣穴から生暖かい目で見守っているおばちゃんの視線にも耐えながら、俺は何回も飛んだ。

 特訓の過程で親父のことを見直したのは、他のオスの蹴落とし方も教えてくれたことだった。「カッコよく飛ぶなんて当たり前で、強くなくちゃ話にならねえ」さらりと言ってのけた親父を、俺は初めてかっこいいと思った。

 かくして俺はカエデちゃんの発情期を待ち構え、群がる他のオスどもをコテンパンに蹴散らす事に成功した。いろいろやり切ってスッキリした俺はこれで大人の仲間入りを果たした事になる。人間なんかにはわからないだろうが、ムササビのオスは家に帰ったりはしない。外に自分の巣穴を作って自由にやるんだ。それが俺たちの常識で、カエデちゃんが孕むかどうかも分からない内に俺は早速自分の部屋を作りにかかった。ひと通り部屋作りを終えたところでふと俺は疑問に思った。

 親父は何でずっと家にいたんだろう?

 そのうち聞いてみようと思った。

 自分だけの巣穴はとりあえず実家の近くに陣取った。作り方はわかって来たので気が向いたら引っ越してもいいだろう。巣穴から顔を出してのんびりと子供時代のテリトリーを眺めていると、ふと気がついて空を見た。鳥が一羽、上空を旋回していた。相変わらず凄えな、と思いつつも以前のような焦がれる想いは浮かんでこなかった。

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