第3話 天球儀船

 午後一時零分

 第四共有区画、研修ルームB3


 船内全域に、澄んだ鐘の音が響き渡っていた。

 その間、神の名を冠した移民船ノルン=サン号の船民はすべて足を止め、閉じた目を天に向け、祈りをささげていた。

 鐘の音がやむと、人々は再び活動をはじめた。ある者は椅子に座り事務作業を行い、ある者は農場プラント室に向かう。ある者は商談を再開した。

 キアラの隣ではまだ琴音が手を合わせて、なにかつぶやいていた。

 ほかの生徒たちのおしゃべりが飛び交う中、耳を澄ませると、

「また宇宙に放り出されませんように」

 と繰り返し、つぶやいていた。

「みんな、そろっているわね。それじゃあ、授業をはじめます」

 午後の授業も教室ではなく午前と同じ部屋だった。この部屋を使うということは、仮想空間に行く可能性が高い。

「先生、こんどはどこに行くんですか?」

 フィリッツの質問にシンディは、みんなに向かって言った。

「午後の授業はノルンの神さまについてでしたね。これから行くところは、それにちなんだ場所です。そこはホログラムでの情報公開は最近まで禁止されていたから、見たらきっと感動しますよ。それじゃ、さっそく行きましょう」

 それから部屋全体が一瞬にして、別の光景に置き換わった。

 閉塞的な部屋からの開放感――装飾の施された壁や天井が遠くに見える。

 生徒たちは例のごとく、「おぉ!」と感嘆の声を上げた。

「せんせい……もしかしてここって……ノルン聖堂神殿?」

 たずねたのは琴音だ。

「そうです、正解です! すごいわ琴音ちゃん。よく知っていたわね」

「はい!」と答えて振り返るや――、

「すごい! 見て見てキアラ。ノルン聖堂神殿よ!」

 さっきまで青白かった頬を薄紅色に染め、瞳を輝かせていた。

 やれやれ。

 姉は超古代文明とか神話、伝承の類が大好物なのである。

 移民船には、いろんなメディアが存在する。本やラジオはもちろんのこと、船団相互ネットワークをインフラとした2Dテレビ放送。3Dのインタラクティブ分野では、この部屋でも使われているリアリスティック・ホログラム。ほかにもスマートビジョンといったものがある。

 これらのメディアを通じて、琴音はオカルティックなうんちく――もとい、超古代文明やノルンに関する知識をたくわえ続けている。

 そんな彼女の前に、ご馳走が現れたのだから、じっとしていられるはずもない。

 キャプテン・ヴェガのほうがぜったい、いいのに――。

「落ちつきなよ琴音。見ればわかるって」

「なに言ってるのよ。だって本物よ!」

「いや、バーチャルだし……」

 と言ったものの、眼前に広がる美しい光景――ステンドグラスから降りそそぐ自然光に包まれた壁画に美術品の数々。壁や床にも緻密な装飾が施されている。

 視覚情報に限っていえば、現実世界となんら変わりはない。

 リアルスティック・ホログラムが映し出す映像は、上下左右関係なく、回り込んで見ることもできた。

「ああ……見てるだけだなんて、なんてもったいないの。実際にさわれないなんて……はっ! もしかして、わたしがバーチャルになれば、さわれるんじゃないかしら?」

 琴音はさらに興奮しているようだ。

「いまさっき、本物って言っていたのに……」

「なによ?」

「なんでもぉ……」

 余計なことは言わないほうがよさそうだ。

 タイミングよく、シンディが話しはじめた。

「ここノルン聖堂神殿は、今から一万二千年以上前、現実と仮想の狭間に存在した〈界面世界〉アトゥイの首都、ナトゥーラにあったと云われています。わたしたちノルン教徒にとっては重要な場所です」

 琴音を除いて皆、口をぽかんと開けていた。

「いきなりなに言ってんのか、わかんないんだけど……」キアラはお手上げというポーズをした。

「ぼくも」「わたしも」とまわりの生徒も手をあげてアピールする。

「〈界面世界〉って? そもそも仮想って行き着くところ、たんなるデータでしょ?」と十四歳になったばかりの女の子、シモンが言った。

「順番に説明するわね。ここで言っている仮想っていうのは、わかりやすくいうと、コンピュータゲームに登場する世界と思ってくれればいいわね」と、シンディは言った。

「仮想はゲームの世界……」キアラはつぶやく。

 すると琴音が嬉しそうに、キアラに説明しようとした。

「あのね。ほんとうはゲームの世界だけじゃないの、ほかにも――」

「ストップ! 今はゲームと同じということで十分だ。あとで教えてよ」

「そう? 仕方ないわね。じゃ、あとで教えてあげる」

 あぶなかった。これ以上、ややこしくなるのはごめんだ。

 シンディは続けた。

「そして、界面世界というのは、現実世界と仮想世界の間にある世界。水と空気が触れあっているところに存在する世界。ゲームの中だけど、現実世界と同じように匂いがあり、直接触れることもできる。もちろん、物体オブジェクトとしてね」

 みんな、「う~ん……」とうなっていた。

「琴音はわかるの?」と、キアラは腕組みしながら訊いてみた。

「界面世界っていうのは、人の目には直接映らないけど、ノルンの神さまが住む世界と思えばいいのよ。そういうものだってね」

 フフン、と琴音は得意げに片眉をあげて見せた。

 なんか、むずしい言葉が混じっているのは、どこかの番組か本の影響だろう。

「仮想世界がゲームの世界で、界面世界は人には見えない……。そうか! つまり、界面世界はお化けの世界だ」

「ちょっと! どうしてそうなるの? 怖いじゃない!」

「え? だって見えないのにいるんだろ? それってお化けじゃん」

「いや! やめてよね。だいたいなによ、キアラの仮想世界と界面世界って、あわせるとホラーゲームじゃない」

「お? ほんとだ。ちょっと興味あるかも」

「いやよ! だいたい神さまに失礼でしょ。界面世界は神さまの世界なんだから」

「はい、琴音ちゃんにキアラくん。そこまでにしましょうね」

 シンディが釘をさす。

「あ……」と、双子は同時に固まり、「ごめんなさい」と謝るのも同じだった。

「うん、でも今のふたりのやりとりを聞いて、なんとなく理解したかな」と、フィリッツはうなずいて、「すると先生。ぼくたちはいま、ノルン聖堂神殿のモデルを目のあたりにしているわけですが、これは、誰かがアトゥイで映像や設計図といった記録を残したからですよね? そうであれば、かつて人類は、なんらかの方法で可視化し、アトゥイに行くことができたのではないでしょうか?」

 さすが年長組で成績優秀なフィリッツだ。

「そうね。〈キューブ〉に記録されていたデータによれば、いま目の前に映っているのはまぎれもなく本物のノルン聖堂神殿です。ただ、フィリッツくんの言った可視化については、いつ、誰が、どうやって可視化したのかはわかっていません。そのような記録は見つかっていないのです」

「せんせい。キューブってなに?」

 キアラが質問するとシンディは、手のひらを上にして、

「みんな。手をこう前に出してみて」

 キアラは手のひらを前に差し出した。

 すると、生徒たちの手のひらに、大きさがキャンディーほどの黒色の立方体が現れた。リアルスティック・ホログラムが映し出した3Dオブジェクトだ。

 オブジェクトが手のひらのうえで、ぷかぷか浮いている。

「それがキューブ。その中には一万年以上前の文明の叡智が詰まっています。わかりやすくいうと、動物図鑑とか科学技術、当時の人たちの間で流行っていたもの、ニュースなどの情報がテキストや映像、音声データとして、たくさん入っているの」

「へえ面白そう。ねえ、せんせい。そのキューブの中身って僕たちでも見ていいの?」と、キアラは言った。

「ざんねんだけど、キューブにはたくさんの大切な情報が入っているから、一般の人が触るのはダメなの。それにキューブはこの移民船団でひとつしかない、たいへん貴重なものです。ちなみにどこに保管されているかは、最高機密なのでわたしたち民間人はわかりません」

「じゃあ、どこに行けばそのキューブって見つけられるの? もしかして地球?」

「地球だとするとそれって、おかしくない?」

 琴音が目を合わせてきた。

「どうして?」

「だって、前にお父さんから聞いたことがあるけど、わたしたちの船は地球から出発したわけじゃないって」

「あ、そうか。じゃあ、ぼくたちの船はどこから出発したんだ?」

「……言われてみれば……わたしも知らないわ」

 宇宙はいったいどうやって生まれたのかと自問するのと同じで、船で生まれて十年。船の中の世界がすべての姉弟に、そんなこと知る由もなかったし、真剣に考えたこともなかった。

 みんなの視線がシンディに集まっていた。

「今年のクラスはなんかすごいわね。でもそうね。それじゃあ、わたしたち移民船団はどこから来たのか、説明するわね。これを見て――」

 生徒たちの前に、全長五メートルほどの小惑星の形をした3Dオブジェクトが現れた。

「あ!」

 キアラと琴音だった。ふたりは顔を見合わせた。

 上部は一見すると小惑星に見えなくもないが、地球図鑑で見た森林、山、川、湖に海があった。海は小惑星の端まで埋め尽くされ、海水は端でこぼれ落ち、水しぶきとなり霧散している。

 小惑星の下部はというと、宇宙船の船体という表現がしっくりくる。

 展望ラウンジで見たものと、特徴が似ている……。

「どうしたのふたりとも。そんなに大きく目を開けて」

「あ、いや、なんでもないよ、せんせい……はは……」

 キアラはかぶりを振った。隣で琴音が胸に手をあてて、ウンウンうなずいている。みんなには内緒にする約束だ。

「そう? まるで、この天球儀船『プトレマイオス号』を実際に見たことがあるという顔をしていたわよ」

「え!」虚をつかれた気分だ。キアラは思わず大声をあげてしまった。

「ん? ほんとうにどうしたの?」

 どん!

 琴音はキアラを押しのけると、

「へー……、天球儀船というんだ、これ……。もしかして、ここからわたしたちの船は出発したということ?」

「……まあいいわ。琴音ちゃんの言ったとおりよ。いまからおよそ千五百年前、わたしたちのご先祖さまと十二隻の移民船は、天球儀船『プトレマイオス号』から旅だったのです」

「せ、せんせい……それからそのプトレマイオス号はどうなったのですか?」と、琴音は言った。

 シンディはホログラムの再生機能を使って、話しはじめた。

「当時、天球儀船は戦争中でした。あ、この戦いの映像はあくまでイメージですからね」

 立体映像で、天球儀船の地表部分で戦争のようすが映し出されている。

「この戦争は世界の存亡を賭けた戦いでした。地球に還ることを願った人類と、世界そのものを滅ぼそうとした人類同士の戦いです。結果は、地球に還ることを願ったひとりの人間がノルンの神々と協力して、還ることを願った人たちといっしょに天球儀船を脱出しました。いっぽう、世界を滅ぼそうとした人類はというと、みんな天球儀船とともに、宇宙の藻屑となって消えてしまったのです」

 3Dオブジェクトは音もなく爆発し、消えてしまった。

「そしてノルンの神々もまた、天球儀船とともに消えてしまいました。一説にはアトゥイに還ったと云われ、いまでは神話として語り継がれていますね。またその神話を元にして作られた物語のひとつがキャプテン・ヴェガなんですよ。どう、わかった? キアラくん」

「なるほどぉ。でも天球儀船って、ほんとうになくなったのかなー……? なんて――」

 瞬間、キアラは琴音からひじ鉄を喰らい、

「げほっ!」とキアラは、ひざから崩れ落ちた。

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