第22話夏の終わり
陽が傾き始め、セミの鳴き声が聞こえなくなった頃、僕と桜坂は学校を出た。
結局、幸田も愛衣も学校には来なかった。午前中に愛衣に送ったメッセージは既読すらつかない。
やはり、昨日の件で怒っていたり、傷ついたりしているのだろうか。
「それにしても、篠原くんが赤い糸見えなくなっちゃったのは、少し残念ね」
いつも背筋を伸ばして規律良い歩き方をしている桜坂が、珍しくカバンを前後に振りながら歩幅大きく歩いている。まるで水たまりを避けるような歩き方は、言ってはなんだが彼女にはあまり似合わない。
「どうして、そう思うの?」
「うーん、仲間が減ったから?」
「恋愛不出来同盟的な?」
「そんな感じ」
なんだそりゃという感想を飲み込んで、視線を上げる。遠くに見える雲の帯が夕暮れに照らされて燃えているようだ。
今日は風が強く、いつものようなじっとりとした暑さもなく、とても過ごしやすい。
「なんか、いいわね」
彼女の言う何かは分からなかったけど、偶然にも彼女も僕と同じ心境のようだ。
「そうだね」
「もったいないわ。こんな有意義な下校があるなら、もっと早くから友達をつくっておくんだった」
今日の彼女は一見、機嫌が良く楽しそうに見える。だけど、僕にはそれが素の彼女だとは思えなかった。空元気のようで、少し無理をしている風に感じる。
彼女が咳払いをする。とても自然で、普段なら見逃してしまうような小さなものだ。
「あれ、佐野倉さんと雲宮くんじゃない?」
彼女の指差す先を見ると、交差点で見覚えのある背中が二つ、手を繋いで信号待ちをしている。
「本当だ……。おーい、愛衣! 幸田!」
二人は同時に振り向く。愛衣は驚きと恥ずかしさからか、引きつった顔で幸田から手を離し、幸田はいつもと変わらない笑顔で手を振る。
私服の二人を見るに、やはり今日は学校には行っていないようだ。そして、花火大会の次の日に二人で出かけているところを見るに、愛衣が告白をしているのであれば成功ということになるだろう。
不思議と、昨日までのもやもやは全くなかった。
「デートのお帰りかしら?」
桜坂が二人に聞こえないくらいの声で呟く。
「だろうね」
二人との距離が近くなると、幸田が勢い良く肩を組んで来て、桜坂と愛衣に背を向けるように僕を引っ張る。
「ちょっと、やばい。青春してるかもしれない俺」
彼女らに聞こえないようにひっそり耳打ちした幸田になんとも言えないウザさを感じる。
「どうせ、昨日愛衣から告られたんでしょ?」
「えっ!? なんで分かるの?」
「いや、馬鹿でしょ。誰が見ても分かるよ。それで、OKしたんだろ?」
幸田は僕の方に回した手で親指を立てる。
「いやさ、佐野倉はてっきり実笠のことが好きだと思ってたんだよ」
「なにをどう見たら、愛衣が僕のことを好きだって見方になるんだよ」
「でも、実笠は桜坂のことが好きだから、三角関係みたいな感じだと思ってたんだけどなぁ」
それは違う、とは言えなかった。側から見れば、僕はそういう風に見えていたのだろうか。
「なんで、愛衣の告白にOK出したの? いや、そりゃ出すと思ってたけど、お前今まで何人も告白断って来たじゃん」
「え、そりゃ好きだからだろ」
幸田はキョトンとした純粋そのものの眼差しで即答した。
「なるほど、お前のそのストレートさ、見習いたいものだね」
その時、尻を蹴られる鈍い痛みが襲った。見るまでもなく、誰にそんなことされているのかは明白だけど。
「痛いんだけど、愛衣」
彼女は眉を寄せ、口をへの字にして僕を見ている。
「ちょっと、来て」
愛衣はそれ以上は口を開かず、歩き出した。桜坂と幸田にここら辺で待っているように言い、愛衣のあとを追いかける。
二人から十分に距離をとったところで彼女は立ち止まり、振り向く。視線はアスファルトに向けられている。
「一応、報告とお礼を言おうと思ってね」
僕の前では珍しく、小さな声で、かつ端的な物言いだ。
「じゃあ、僕は謝罪を」
「謝られる前に、一つ確認しておきたい。実笠は私のことが好きじゃないんだよね?」
「恋愛的な意味ではね。友達として、幼馴染としてなら好きだよ」
「……そう。なら、謝んなくていい。実笠のことだから、何か理由があって、あんなこと言ったんだろうしね。それに、結果的には私は幸田くんと付き合えたわけだし」
ようやく顔をあげた愛衣は、頬を真っ赤にした満面の笑みだった。
「そっか、じゃあおめでとうって言葉にしておくよ」
「良い幼馴染を持ったでしょ? どうしても気が収まらないなら、今度タピオカおごりで許して上げるよ」
「そりゃ、幸田にしてもらえよ」
「じゃあ、幸田くんと私におごりでね。ついでに琴音にも」
彼女は来た道を駆け足で戻る。
存外大人な幼馴染に一本取られたなと思いつつ、その背中を追いかけた。
愛衣と幸田と別れた時には、まだ白んでいた空はすっかり橙黄色に染まっていた。
「佐野倉さん、やっぱり告白したのね」
「お似合いに見えるから、良いんじゃない?」
彼女は意外そうな顔で僕を見る。それもそうだ。昨日までずっとぐちぐちと彼女に不満と悩みをばらまいていた男が、さっぱり気にしていないのだから、いかに心を読める彼女でも驚きものだろう。
「あの二人、幸せになれるかしら?」
彼女はまだ小さく見えている二人の背中を見て、意地悪そうに問いた。
「さあ、どうだろうね。二人の頑張り次第じゃないかな? ってか、幸田は愛衣を幸せにしないと許さない」
「篠原くん、佐野倉さんのお父さんみたいね」
「実際の愛衣の父親は、僕とは比べ物にならないくらい怖いよ」
「それは、雲宮くんも大変ね」
遠くで、二人が振り向く。僕と桜坂の話でもしていたのだろうか。
「さあ、僕たちも帰ろうか」
僕は二人に背を向けた。歩き出して数歩、後ろから小さな、小さな、今にも消えてしまいそうな声が聞こえて来た。
「――羨ましい」
僕は聞こえないふりをした。
思えば、この選択は間違いだったかもしれない。
この日以降、彼女とは会わずに夏休みが終わった。
何度、僕は繰り返すのだろう。
二学期初日、僕は自分の過ちに気づき、激しく後悔した。
あの時、もし聞こえないふりをしなかったら、何か変わっていたかもしれない。僕にもできることがあったかもしれない。もっと、良い思い出にできたかもしれない。
桜坂琴音は声を出せなくなっていた。
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