第17話僕は言えない

「おっしゃー! これで十匹!」


 幸田の手に持つ器に赤い鱗を上から降り注ぐライトで輝かせた金魚が放り込まれる。すでに器の中には赤や黒の金魚がひしめき合っていて、なんだか窮屈そうに見える。

 

「あ、雲宮くん袖、水につきそうだよ」


 横でにっこにこと幸田を眺めていた愛衣は、とっさに幸田の袖を手で掴んだ。


「佐野倉、悪いけどそのまま持っててくれる?」


「う、うん!」


 溢れる幸せオーラに右半身を焦がされながら、僕はちょうど破けたポイから逃げる金魚を見つめる。幸田の器は窮屈そうなのに、僕の器は悠々と一匹だけが存分に泳いでいる。


「篠原くん、テニスはできるのに金魚すくいは苦手なのね」


 左側で眺めていた桜坂が、器の外側をツンツンと小突いて金魚と戯れながら言った。


「全然、別ジャンルでしょ」


「それもそうね」


 今日の桜坂は少し変だ。ずっと目を合わせないし、何より会話が続かない。今だって、よく分からないことを言ったと思えば、二、三回のやりとりで会話が切れてしまう。


「桜坂、緊張してる?」


「へっ?」と桜坂にしては珍しく変な声をあげる。

「……まぁ少しは、ね。だって、誰かとお祭りに来る機会なんてなかったし、浴衣だって初めて着たから」


 ちらっと僕の顔を見た彼女と目が合う。その上目がちな彼女を素直に可愛いと思った。

 別に恋愛ができない僕にだって、誰かを可愛いと思ったり、かっこいいと思う感情くらいはあるのだから、これだけの飛び抜けた容姿の女性に眼差しを向けられれば、可愛いの一つくらいは出てきてしまう。


 破れたポイを自分の膝で頬杖を付いている退屈そうなバイトの人に渡し、器に入った金魚をビニールプールの中に逃がしてやる。いたって特徴のない金魚は、すぐに有象無象に紛れてどれか分からなくなった。


「どれだか分からなくなったわね」


「なんで、僕と同じことを考えてるの?」


「シンパシーかしら?」


 ビニールプールの中は数百匹の金魚で埋め尽くされている。もちろん、金魚の種類も赤いのから、黒いの、はたまた金魚には見えない銀色の鱗を持つ小魚だったり、大きさも様々だ。でも、大半は和金と呼ばれる赤くて小さい種類の金魚だ。


「金魚にも赤い糸が見えれば、もう少し見分けやすいのに」


 自分でもよく分からないことが口を衝いて出る。


「そんなことになったら、たぶんこのプールの中は赤い絨毯でびっしりになってしまいそうだわ」


 僕と桜坂の真横で、今もなお傷のないポイで奮闘している幸田と、それを恋する乙女な表情で見つめる愛衣。

 幸田の胸から垂れる赤い糸は、明後日の方向に向かって伸びている。そして、愛衣の糸はすぐ横の僕と繋がり、緩むことなくピンと張っている。


 でも、これだけ雰囲気の良い二人を見ると、僕の目がどうかしているんじゃないかと思ってきた。いや、本当は薄々気づいていた。二人の仲が良くて僕から見てもお似合いだと言うことはとっくに分かっていて、それを赤い糸が繋がっていないからと首を振って見ないことにしていた。


「そろそろ、離れてあげましょう」


 僕の心を読んだのか、桜坂が耳打ちをする。

 僕は黙って頷いた。


「幸田ー、僕たち二人でぐるっと見て回って来るわ。花火を見る場所は愛衣が知ってるから」


 立ち上がった僕たちに、幸田と愛衣は同時に目線を向ける。


「え? 実笠行っちゃうの?」


 思わずずっこけそうになるようなセリフだ。この様子だと、やっぱり恋愛に疎い幸田は愛衣の気持ちに気づいていないんだろう。「そんなことある?」と突っ込みたくなる気持ちを抑え、桜坂に助けを求める。


 桜坂は僕の袖を掴み、一歩後ろに下がって、僕の後ろに半身を隠した。多分、視線は幸田に向けているのだろう。

 それでもいまいちピンと来ていない幸田に、愛衣が真っ赤な顔で耳打ちをする。


「ははーん」


 突然、全てを察したようにニヤついた視線を向ける幸田に若干の苛立ちを感じる。ここまで来ると、わざとやっているようにしか見えなくなって来た。


「よし、実笠、桜坂、行ってこい。そして、帰って来るな!」


「じゃ、また花火の時な」


 二人の前から早々に立ち去った。これ以上は、僕と桜坂はお邪魔虫だ。


「あの二人、うまくいきそうね」


「……それより、花火までどうする? 適当に出店回る?」


 彼女はつぶらな目で僕を見る。


「それもいいのだけれど、できれば二人の後を尾けたいわ」


 思わぬ返しに僕は唾を飲んだ。


「桜坂さんって、ストーカ気質だったりする?」


「そんなのは無いわ。ただ、私も普通の人だったらするはずだったであろう、恋愛を間近で見てみたい。それだけよ」


 彼女は小さく咳払いをした。小さく俯いた彼女からは、少しの照れと哀愁を感じた。

 雑踏でもう見えない二人の方に視線を向ける。


「悪趣味だけど、まあいいか。僕も少しは気になるし」


「映画の時のリベンジだと思えばいいのよ」


 僕たちは引き返した。愛衣と幸田はちょうど金魚すくいの屋台から立ち去ろうと腰を上げたところのようだ。

 少し距離をとって、僕と桜坂は二人の後を追う。狭い道幅にたくさんの人がひしめくため、バレることはないだろうが、逆に気を抜けばすぐに見失ってしまいそうになる。


 横を歩く彼女は、時折こちらに視線を向ける。多分、僕ともはぐれないように気を使ってくれているのだろう。


「それにしても、桜坂が恋愛に憧れていたなんて意外だな」


「私だって女性よ。そういう感情くらい持ってるわ。憧れと実現は別問題だけど」


 赤い糸を持たない彼女はいたって真顔で言いのけた。

 人を愛すること、愛されることを完全に諦めているはずの彼女が抱くには、とても残酷で、無情な憧れだ。


「普通の人になりたいと思う?」


 これは、僕も普通の人間じゃないから聞ける質問だ。互いに異質な存在だからこそ、分かり合えることがあるし、食い違う意見もある。


「私は、私よ」


 彼女の瞳には、一縷の淀みもなかった。


「そりゃ、そうだ……」


 ――普通に恋愛したって良いんじゃない?

 素直に思った感想を、僕は絶対に口には出来ない。

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