茶ばなし日記 〜小さな店主の不思議な話〜
水本照
睦月
正月:百人一首はお餅ですか?
「やむを得ません。勝負です」
例によって矢絣の着物に袴姿、額にゴーグル、首にはヘッドフォンを掛けた茶話屋は、皿の上に一つ残った餅を睨みながら言う。
「方法は…… お正月ですし、百人一首ではいかがでしょう」
言って彼女は、炬燵のそばに転がっていたカルタを指さした。
「といっても、ただのカルタじゃあなたに有利すぎ−−もとい、読み札を読む人がいませんから、物語で勝負しましょう」
運動音痴な茶話屋は、飄々と続ける。
「これから私が、ここからカルタを一枚引いて、そこに書かれた歌を素にして1話語ります。語り終えるまでにあなたが元歌を当てられたら、お餅は譲ります。どうでしょう?」
私が頷くのを見て、彼女は馴れた手つきで札をまぜ、おもむろに1枚引くと、微笑んだ。
「この歌は… お正月にはぴったりですね」
そして茶話屋は姿勢を正し、深々と一礼して、
「では、語らせていただきます」
… … …
「やー、今年はとうとう、船の中で年を越してしまいましたねえ」
「珍しくもないさ、こんなことは」
ぼやいた若い船員に、年老いた船員が機器の確認をしながら答えます。
「正直、盆暮れ正月クリスマスくらいは帰れるかと思ってたんですけど」
「行き先が行き先だ、そう簡単に帰れやしないよ」
「あーあ、観測員ってもっと楽な仕事かと思っていました」
「そんなわけないだろ。自分の仕事はちゃんとやれ」
チェックを終えた老人は立ち上がり、窓辺へ歩み去りました。若者は慌てて、自分の作業に戻ります。
「そういえば俺たちって、今どのへんにいるんですか?」
「太平洋の西、だいたい日本の静岡のあたりだな」
若者の問いに、老人は窓を覗いたまま答えました。
「おお、それじゃあ俺の故郷の近くですね」
「そういや、お前の親は日本の出だったか」
「はい。静岡ってことは、富士山が見えますかね」
機器を弄りながら、若者は楽しそうに続けます。
「一富士二鷹三茄子っていって、富士山は新年の縁起物だったらしいですよ、日本では」
「それはハツユメとやらの話ではないのか」
「夢より実物の方が希少性がありますよ、この場合。いやあ、こうなると観測員も悪くないかもしれませんね」
「まあ確かに、他の奴が見られない景色をこの目で見られるってのは、この仕事の醍醐味だな。ついでに料理長に、今日は茄子を食わせてくれと頼んでみるか。この船に積んであるか知らんが」
「リクエストできるなら俺はお雑煮が食いたいっすね、絶対にこの船にはありませんけど」
一通り作業を終えた若者は、老人の側に走り寄って窓を覗き、息をつきます。
「ああ、あれが富士山ですね」
「そうだ」
窓の外では、穏やかな海から堂々たる岩山が突き出ております。
その姿は険しくして秀麗無比、それにかかる空は折から薄い雪模様。
かつて富士の頂であったその浮き島は、灰色の海に白く映えておりました。
そして海底に揺らぐ富士の裾野の遥か上を、二人を乗せた地球観測船は進んでゆくのでした――
… … …
そして勝負は決着した。
「まあまあ、はぐはぐ。済んだことです。恨みっこなし、もぐ、クレームも、ごくん、なしです」
もっちもっちと戦利品を頬張って、茶話屋は宣う。
「ふー…… もとの歌は、『田子の浦にうち出でて見れば白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ』。雪ふる富士の高嶺を海より眺めた、山部赤人様の歌ですね」
餅を食べ終わって満足げに熱い茶を啜った彼女は、にっこり笑って続けた。
「まあ、あなたの恨みがましい視線を受け続けるのも嫌ですし。代わりに、今日のおゆはんは私が作ってあげますよ。
美味しいお雑煮をご馳走しますから、楽しみにしていてくださいな」
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