第24夜   黒い影

 ーー「こっちのお嬢さんも大丈夫そうだな。」


 鎮音はベッドで寝ている杉本の顔を見下ろしていた。


 杉本は顔色も良くなっていた。

 目の下の黒ずんだクマの様なものも無くなった。骸骨の様な不気味な顔ではなく、可愛いらしい姿に戻っていた。


 鎮音はその顔を見て安心したかの様にそう言ったのだ。


「そう言えば……あの怪奇現象ポルターガイストみてーのは何だったんだ?それもその女がやったのか?」


 灯馬は手を下ろす。

 鎮音に視線を向けた。


「葉霧から、電話で聞いたがそれはこの娘に憑いていた憑き神ツキガミの、仕業だろう。」


(あー……ツキガミ?オリガミみてぇなもんか??わかんねぇから後で……葉霧に聞こう)


 灯馬は頭の中の疑問符を、とりあえず後回しにした。今は話を聞く事を、優先した。

 とりあえず。


「知っておるか?あやかしの好物は、恐怖だ。憑き神も、依り代にしていたこの娘が恐がれば、恐がる程……力を蓄える。その為にやったのだろう」


 鎮音は杉本にきちんと布団を掛けた。

 羽毛布団だ。


 掛け終わると灯馬が持ってきたビニール袋を取る。そこを覗く。


「恐怖をエサにか……。だからビビらせんのか。夜道とかに出るって言うもんな?」


 灯馬はソファーの背凭れに寄りかかる。

 鎮音は、ビニール袋から絆創膏を取り出した。


 杉本は額に怪我をしている。

 そこに貼るのだ。


「そうだ。奴らは人間の恐がる様子を見て活力を貰う。人間からしたら趣向品みたいなものだ。」


 絆創膏を張り付けながら鎮音はそう言った。

 葉霧は静かに話を聞いてはいたが……

 未だ、目を覚まさない楓を心配そうに見つめていた。


 その手を強く握ったままだ。


「んじゃー……その奇声とかもその憑き神の仕業ってことか?」


 灯馬は演劇部の噂を思い出したのだ。


 杉本が舞台で練習をしている時に、奇行を働く。それが原因で、部員が退部したかもしれない。それを、探る為に彼等はここにいるのだ。


「有り得るな。さっきの状態だと……かなり乗っ取られていた。この娘は所々で、奪われていたんだろう。自分の身体も精神こころも。」



 鎮音は杉本の顔を見ながらそう告げた。

 穏やかな顔をして眠っている。


 灯馬は背凭れに肘を乗せた。


「おっかねぇハナシだな。葉霧。どーする?こんなの話しても信じねぇぞ?誰も。」


 葉霧に視線を向けた。


「そうだな……。怪奇現象も杉本の異変も、説明のしようがないな。辞めた部員達の事は……諦めるしかないかもしれないな。第一……気味悪がって寄り付かないだろう。」


 葉霧は静かにそう言った。

 灯馬はそれを聞くと頭を掻いた。


「それでもハナシはしてみるか?」

「え………?」


 葉霧は灯馬を横目で見る。

 そこには笑った灯馬がいた。


「もしかしたら気にしねー変な奴もいるかもしんねーし?中には。」


 葉霧はフッ……と、笑った。


「お前や俺みたいな奴か?」

「そーゆうこと」


 二人はお互いに笑っていた。


(葉霧は……子供の頃。あの寺の息子だとイジメられていたからな。退魔師などと得体の知れない家の息子だと。気味悪がられていた。でも……灯馬。お前や水月。お前たちがいてくれたお陰で、葉霧は救われた。)


 鎮音は二人の会話を聞きながら笑っていた。



            ✢


 葉霧と灯馬は、楓と杉本をとりあえず部屋に残して稽古場に戻ってきた。


 鎮音は早々に帰宅した。


 稽古場に戻ると水月が駆け寄ってきた。


「杉本さんは?大丈夫?」


 水月は心配そうな顔をしている。


「ああ。大丈夫だ。」


 葉霧は紅い勾玉をポケットの中に閉まっておいた。とりあえず首から提げるのは、どうにも好まない。


「あの女はどうした?」


 秋人である。

 演劇部の手伝いで来ているから雑用をやらされているのだろう。

 その顔は怒りに満ちていた。


 眼はいつもより鋭い。

 黒髪から覗く少し茶が交じった瞳が

 怒りを滲ませている。

 何処と無く……表情もいつもより冷たく感じる。


「ああ。楓か?具合が悪いらしくてね。部屋で寝てるよ。杉本もいるし。」


(顔が………鬼みたいだな)


 葉霧はそうは思いつつも敢えて突っ込まない。


「大丈夫ですか?杉本先輩」


 声を掛けて来たのは、女子部員だ。

 ショートボブの小柄な女の娘だった。

 ピンクのスウェット姿だ。


「ああ。大丈夫だよ。」


 葉霧はサーモンピンクのそのスウェットに少し驚いた余りにもピンクだった。


「それならいいんですけど……最近。本当に体調も悪そうだったんで。」


(体調も?)


 何か引っ掛かりがあると、思ったのは灯馬だ。気になったのか女子部員をじっ。と、見ている。


「あ。ほら。先輩。ちょっとおかしな所があるじゃないですか?あたしは何とも思ってませんけど~」


 へらへらと笑う女子部員。


(すげぇ思ってるよな。)


 灯馬はそうやはりじ~~っと見ていた。



 一方………。


 校舎のとある場所では異変が起きていた。


 エントランスホールの女神像が、何の揺れも無いのに突然倒れたのだ。


 地面に倒れて割れたのだ。


 女神像が建っていた所にはまだ台がある。

 だが、その台の下から黒い煙が漂う。

 それは、渦となりやがて拡散する。


 煙はまるで火の玉の様に次々に地面から這い上がってくる。それは外に向かって飛び出していく。


 ガラスも壁もドアもすり抜けて空に飛び出して行った。

 一体……どのぐらい飛び出して行ったのかはわからない。

 相当の数であった。




 むくっ………


 楓は部屋で起き上がった。

 ソファーの上で。


(なんだ?なんか……)


 ソファーから降りると直ぐに窓に向かう。


 シャーっ……


 カーテンを開けた。

 うようよと空に舞い上がっていく黒い影が見える。

 火の玉の様なゆらゆらとした、その影は幾つも、空に向かっていた。


(………あれは何だ?)


 まるで鳥の大群の様に、空を舞い拡散した。

 それらは散り散りバラバラに飛んで行ってしまった。

 何処へ行くのかもわからないが。


「………なんかイヤな予感がするな。」


 楓はカーテンを閉じた。


 ベッドの上では杉本が寝ていた。

 穏やかな表情をしている。


 楓は杉本の顔を見てからソファーの横に立て掛けてある夜叉丸を手にした。


 そのまま部屋を後にする。


 夜叉丸は背中に背負う。

 その為の、ベルトとロングパーカーだ。

 腰に紐で括り付け、背中に隠す。


 階段を駆け下りると渡り廊下を通り昇降口に向かう。


 そこで、楓は立ち止まった。


「朝は……倒れてなかった」


 下駄箱前のエントランスホールだ。

 女神像の頭と肩が粉々になっていた。

 台から落ちたのがわかる。


(……地震が遭ったら……ほかも崩れてたりするよな。部屋の中は何ともなかった。こんな台から落ちるほど、揺れるなら部屋の中も何かしら倒れてるよな。)


 楓は女神像の立っていた台に視線を向けた。


(……亀裂が入ってんな。割れてはねぇけど。)


 台は真っ二つに亀裂が入っていた。

 床に埋め込んであるのかしっかりと固定された

 頑丈そうな台だ。


(……さっきの黒い影と、なんか関係あんのか?)


 楓は下駄箱に向かうとサンダルからスニーカーに履き替える。

 ここら辺はきちんと教育されている。


 サンダルを葉霧の下駄箱にしまうと昇降口から表に出た。


(くそ。もう見えねぇか。)


 空には黒い影は無かった。

 ただ、灰色の空が広がっていた。

 雨が降りそうな空だ。


 たんっ。


 楓はそこから飛び上がると木や電柱を踏み台に飛び跳ねた。


 学校から離れたのだ。


 木々を飛び、街に降りると電柱やビルの屋上。

 それらを足場に飛び回る。


 ちょうど降りたのは5階建てのビルだった。

 その屋上から街中を覗く。

 フェンスの上に飛び上がり、見下ろした。


 街の景色は何ら変わらない。

 行き交う人々。

 走る車。自転車やバイク。

 忙しない様子と、いつもの雑踏が包んでいた。


 ビルばかりの街並みも変わらない。


(気の所為か………。それならいいが……)


 何か起きていれば混乱になる。

 楓はそう踏んだ。


 だが、視えない所で、起きていたのだ。

 確実に。牙を剥く。



 それは楓の居る雑居ビルの近くのビルだった。オフィスやテナントの入ってるビルだ。

 一階のカフェで異変は起きた。


「きゃあー!!」


 店内に鮮血が噴き飛んだ。

 倒れたのは首筋を斬りつけられた女性店員だ。

 ざわつく店内。


 夕方近くの店内は、お客もたくさんいる。

 ただ、異様なのはその男。


 スーツを着た男の手には出刃包丁。


 血の滴る刃先。

 正に、今この包丁は女性の首筋を切り裂いたのだ。


「フェっっ!」


 眼が尋常ではない程見開き、いまにも眼球が落ちてしまいそうだ。


 その眼は黒く光る。

 白目は無い。真っ黒な眼だ。

 ただ、不気味に光る。


 包丁片手に男は飛び掛かる。


 側に居た女性店員に。


 その気迫は凄まじく周りに座っている男女も

 近くにいる会社員風の男性達も、動く事が出来なかった何しろ………彼の動きは速い。


 バキッ!!


 その男を蹴り飛ばしたのは楓だ。

 左脇腹だった。


 男は吹っ飛んだ。

 床に倒れたのだ。


「大丈夫か?」


 楓は斬りつけられそうになった女性店員に声を掛けた。


「は……はい。」


 女性店員は青褪めた顔をしていた。


 むくっ。


「!」


 男は起き上がった。


(肋骨ぐれーじゃ死なねぇよな。そりゃ。気絶もしねぇか……)


 楓は男が立ち上がるのを見ると背中に手を持っていく。包丁を持ってるのがわかったからだ。


【約束だ。楓。ヒトを殺すな】


「!!」


(皇子みこ!?)


 螢火の皇子の声が頭の中に響いたのだ。


 だが、目の前に男はいた。


「きゃあっ!!」

「うわっ!」


 悲鳴が聞こえた。


 楓の右腕は斬りつけられていた。

 咄嗟に、首を斬られるのを防ぐ為にあげた右腕だ。腕から血が滴りおちた。


(人間………!?まさか………)


 男は容赦なく包丁を振り上げては振り下ろす。


 楓はそれを避けると男の足元を掬う様に

 蹴りあげた。


 がたんっ!


 男は近くのテーブルを倒しながら地面に倒れた。


(やべぇ。人間だとしたらオレは手が出せねぇ。けど……この尋常じゃねぇ体力はなんだ?さっきも肋骨折ったんだぞ?)


 男は直ぐに立ち上がると楓に向かって飛びかかってきた。

 楓は夜叉丸を抜いた。

 鞘ごとだ。


 鞘のついた刀で、男の額を突く。


 ゴンッ!


 男の身体は吹っ飛び床に倒れた。

 頭を強く打ち付けた音が響く。


 頭から血が流れだした。


 それでも男の身体はむくっと起き上がった。


(マジか!これは………何者だ!?)


 飛びかかって来る男に楓は刀を振り下ろした。


 ゴキッ!!


 首をへし折ったのだ。


 がしゃんっ!!


 テーブルを倒しながら男は倒れた。


「け………警察!!」


 カウンターから様子を見ていた男が叫んだ。


 楓は倒れた男の姿を見ている。


(……妖気は感じねぇ。瘴気も漂ってない。なんだ?人間なのか?だが……尋常じゃねぇぞ。この強靭な身体は。)


 がたっ。


 男は倒れたテーブルを掴み立ち上がる。

 その姿に店内にいた人々の顔は、驚愕していた。悲鳴すらあげる者もいた。


 首が折れ曲がった状態で立ち上がったのだ。

 もう、顔さえも歪んでいる。


 それに腰も曲がっていた。

 横に。


 それでもふらふらと、立ち上がる。


(………どうすればいいんだ。殺すしかねぇのか……)


 楓は夜叉丸を握りしめた。


 だが、男は包丁片手にそれでも飛びかかってくる。


 カフェのドアが開いたのと


 ガンッ!!


 と、銃声が響いたのはその直ぐ後の事だった。


 男は頭部を撃たれそのまま地面に倒れたのだ。


 拳銃を持っていたのは来栖だった。


 頭部から血を流し男は動かなくなった。


 楓はその男の身体から黒い影が飛び出てきたのを見ていた。

 火の玉の様な黒い影だ。


(……さっきの……)


 学校で見た物と同じだった。

 うようよと飛んでいく。


 カフェから出て行ったのだ。


「大丈夫か?楓ちゃん。」


 来栖は拳銃をしまい店内に足を進めた。


「ああ。大丈夫だ。それより……」


 楓は男の前にしゃがみ込んだ。


 そのすぐ後だ。

 警察官達が、なだれ込んで来たのだ。


 店内にいるお客たちは外に連れ出されて行く。


 そのごった返す中で楓と来栖は、動かなくなった男の前でしゃがんでいた。


「良く……殺さなかったな。」


 来栖は男の目を閉じさせた。

 白目のある眼であった。


「………捕まえるか?殺したら。」

「正当防衛は一回だけだ。」


 来栖は男の前で手を併せた。

 黙祷する。


 楓はさっきまで鬼気迫る勢いで、暴れていたとは思えない青年の顔を見ていた。


 スーツ姿の人間だ。

 それに今はとてもじゃないが普通とは思えなくなってしまったその身体。


 怪我をしてなければ、普通の青年であっただろう。

 優しそうな顔立ちをしていた。


(……人間だ。間違いなく。だが………さっきまでのは違う。アレは……人間じゃない。)


 楓は苦い顔をしていた。


(皇子みこの声がしなかったら殺してた。おっさんじゃなくて……オレが殺してた。葉霧と同じ人間を……。)


 ぎゅっ。


 楓は手を握りしめた。


 来栖は苦渋の顔をしている楓を見つめていた。












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