現代病床雨月物語

秋山 雪舟

第三十三話 「依怙地巡礼(その二)」

 近畿三十六不動尊霊場の所在地を府県別にすると大阪府が第一番から第八番(四天王寺・清水寺・法楽寺・京善寺・報恩院・太融寺・国分寺・不動寺)と第十二番(安岡寺)と第二十八番(成田山明王院)と第三十二番(瀧谷不動明王寺)と第三十三番(犬鳴山七宝滝寺)の十二寺。京都府が第十三番から第二十四番(大覚寺・仁和寺・蓮華寺・実相院・曼珠院・聖護院・青蓮院・智積院・同聚院・北向山不動院・上醍醐寺・岩屋寺)の十二寺。奈良県が第二十九番から第三十一番(宝山寺・如意輪寺・龍泉寺)の三寺。滋賀県が第二十五番から二十七番(円満院・無動寺明王堂・葛川息障明王院)の三寺。兵庫県が第九番から第十一番(太龍寺・若王山無動寺・鏑射寺)の三寺。和歌山県が第三十四番から第三十六番(根来寺・明王院・南院)の三寺で三十六寺になり近畿二府四県を巡礼する事になります。

 私の巡礼は「依怙地」なものです。三十六寺の中には以前に訪れた寺もあるため三十六寺を全て表現・説明しようとは思っていません。私にとって寺とは、身近に沢山ありましたが檀家でなければ立ち寄れない一種の秘密クラブの様に思っていました。ですから神社の方が好きでした。神社は来る者を拒む事がなく何時も清潔であり何人にも開かれた空間だからです。しかし司馬遼太郎さんの本で空海(弘法大師)を読んで仏教が好きになりました。私は、空海(弘法大師)や仏教を日本人に根付かせた聖徳太子(厩戸皇子)も好きですが一貫して私が好きな人物は、今なお謎が多い役行者(役小角)です。山岳修行者で修験道の祖や忍者の祖とも言われている伝説的な人物です。今でも役行者(役小角)に従った鬼の夫婦(前鬼・後鬼)の子孫の方が健在でいます。

 何故、役行者(役小角)が好きかと言えば日本人の祖先である縄文人からの山岳信仰の要素を持っているからです。自然と人間の共生の道を受け継ぐ日本人のDNAを呼び醒ますからです。それは同じく神社の存在とも深く関係していると思っているからです。聖徳太子(厩戸皇子)からの日本の歴史である神仏混交(神仏習合)は、修験道の存在なしには考える事は出来ません。

 例えば、全国的に存在する八幡さんがあります。その中でも有名な宇佐八幡宮(大分県)・石清水八幡宮(京都府)・鶴岡八幡宮(神奈川県)ですが八幡さんと一心同体なのが菩薩様(八幡大菩薩)であり神仏混交(神仏習合)そのものであります。この八幡宮に大きく影響を与えたのが修験道の存在です。

 話が少しそれますが敗戦後の日本でGHQ(アメリカ占領軍)が不気味に思い恐れたのが集団で行動する修験道達であります。GHQ(アメリカ占領軍)は、キリスト教文明と違う日本独特の修験道達の装束姿を不気味に感じていたのです。一種のカルト集団かテロリストの様に思っていました。

 GHQ(アメリカ占領軍)は、ナチスのハーケンクロイツ=かぎ十字=右まんじも仏教のまんじ=左まんじも同じだと思っていたので恐怖を感じていたのです。日本では左まんじは吉祥の相であり寺院を表す記号になっています。第二次世界大戦直後のGHQ(アメリカ占領軍)の兵士には理解されていなかったのです。今でも世界では理解していない人達がたくさんいます。個人の個性や違いを尊重する欧米文明がこの違いを理解していないのです。悲しい事です。

 話は戻りますが私の「依怙地巡礼」の第一は難病平癒であります。その付属としてあまり寺では明治維新以降のキリスト教一神教に対向する日本版一神教(神道)による神仏分離の歴史を語る事が少ないのですがその時代も含め、またそれ以前の神仏混交(神仏習合)の歴史的な痕跡を探る巡礼でもあります。………。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

現代病床雨月物語 秋山 雪舟 @kaku2018

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る