よい夢をあなたへ 3
偶然か必然か。
三浦の悩みもまた睡眠に関することだった。
「最近、夜になかなか眠れなくて」
そういわれれば化粧の下に見える三浦の顔色は悪く、確かに睡眠が足りていないのだろうと思われた。
「何か心当たりがあるのかな?」
「心当たりというほどじゃないんですが……」
三浦が言うには、寝ていると金縛りにあうのだという。仕事上のストレスか体の疲れからくるのかもしれない。最初はただの気のせいだと思っていたが、だんだん金縛りの頻度が増えて睡眠不足の日が多くなる。
悪循環なのだろう。睡眠不足は仕事に悪影響をもたらし、それがまたストレスに代わる。今では毎日のように金縛りにあって、寝た気がしないのだという。
そんな時に三浦は他の社員から滝口の話を聞いたのだ。
最近滝口の雰囲気が変わったので何故かと思ったら、良い睡眠がとれているからだと。そのせいで性格まで良いように変わってしまったとかどうとか。
「何かよく寝るためのコツみたいなのを教えてもらえないかなって思ったんです」
「コツ……かあ。なくもないけど」
少し悩んでから、アドバイスをいくつか伝えた。
「効くかどうかは分からないけど、寝る時には明かりは全部消したほうがいいと思う。あと、金縛りになりやすいのは身体と頭のどちらか片方だけが疲れた時なんだって。だからバランスをとるように、頭を使った日は身体を動かしたほうがいいとか聞いたことがあるよ」
「そうなんですか。私、お祓いに行ったほうがいいのかと思ってました」
「お祓いに行って気が晴れるなら、それも良いかもしれないね」
「でも半信半疑だと効きそうにないですよね」
「あはは」
結局滝口は睡眠の専門家ではないので、いろいろ言っては見たものの効果のほどは分からないと結論をだした。三浦もまたそんなに当てにしているわけではなさそうで、軽くうなずいている。
「そういえば滝口さんって付き合ってる人はいるんですか?」
食事も終わりかけた頃、三浦がそう尋ねた。
これがきっと本題だったのだろう。滝口もそれに気付き、にっこり笑って恋人などいないと答えた。
「三浦さんがよければ、また近いうちに食事に行こう」
「いいですね。楽しみにしてます」
別れ際に滝口がそっと右手を差し出した。三浦も右手を伸ばし握手した。
互いの右の手のひらが触れ合う。
その時滝口は、何かが彼女と通じ合った気がした。
否。
自分から何かが彼女に流れ込む、そんな小さな快感があった。
けれど彼女はびっくりして手を放す。
「痛っ」
「あ、ごめん。静電気かな?」
「いえ、大丈夫です。今日は相談に乗ってくれてありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったです。また食べにこようね」
「ええ」
滝口は自宅に向かいながら、三浦が今日どんな夢を見るのだろうと想像した。
◇◆◇
シャワーを浴びて、酒気を洗い流す。
酒は嫌いではないが、酔っていない方がもっと夢を楽しめるのだ。
手のひっかき傷の意味を知った時、滝口はベッドを大きなものに買い替えた。
睡眠こそが、一日のうちで一番素晴らしい時間だと思う。
その素晴らしい時間を、出来るだけ良い環境で迎えたい。
電気を消してベッドに入る。
真っ暗な中で、滝口は自分の右手を見つめた。人の目というのは思ったより高性能で、目が慣れてくると案外見えるものだ。
暗闇の中で、滝口の右手の引っかき傷が徐々に開き始めている。同時に刺すような痛みが右手を襲った。
開いた傷口の中には、まるで芋虫のようなものがうねうねと動いている。右の手のひらから肘のところまで、何十匹もの芋虫が不規則に動く。その動きに合わせて痛みは最高潮に達した。そして開ききった傷口はやがてゆっくり瞬きをするかのように閉じていく。痛みと入れ替わりに訪れた快感が、滝口の意識を溶かしていった。
眠りに落ちる。
深い、深い眠りに。
けれどその意識はどこか心の片隅で目覚めていて、それが一層多幸感を増すのは不思議なことだ。
三浦も今日はすばらしい夢を見ているのだろうか。
いつか共にこの幸福な時間を過ごすことがあればいい。
繰り返し繰り返し、刺すような痛みと溶けるような快感が右手から全身に広がる。
快感に身を任せながら、滝口はこの夢を、もっとたくさんの人に届けたいと思った。
深い深い夢の底で、はっきりとそう思った。
【了】
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