Believe in yourself, and your dreams will come true.
シェハル/シルエラ/ライゼン
ルネアルタリウスの末裔(繁栄の時代)
時が再び巡る。
アルス帝国がもっとも繁栄期にあった時代。
アルスの民は、魔術を巧みに扱い、それまでなかった高層建築物を生み出していた。
その中で最も素晴らしい出来とされたのが、アルス帝国首都にそびえる皇帝の居城イスタリアスである。
高さもさることながら、美しさにも秀でていた。
桜は、このイスタリアスの最上層からの景色が一番好きだった。
古き盟約の元、アルスの世界を見守ってきた桜。盟約の力に縛られない時期は、ある程度自由に行動できるためか、気付けば皇帝の居城であるイスタリアスに足が向いていた。
アルス帝国の首都が比較的年中温暖な地域に位置しているせいか、イスタリアスの最上層は午後の昼寝にはもってこいの場所だった。
滅多に最上層まで見回りの兵士が来る事はないし、無論兵士が巡回する時や式典で最上層に人が集まる時は、桜は訪れないようにしていた。
しかし、今日はどうも様子が違うようだった。
桜はいつものように最上層の一角で眠りこけていた。
「ここまで来れば流石にまいたでしょ」
最上層の扉が音も立てずに開き、そして閉まった。
「これは凄いわね。流石皇帝の居城ってところかしら」
最上層に現れたのは若い女だった。眼下に広がる首都の街並みを見て、感嘆の声を上げている。
「って、誰かいる?」
桜の寝息に気付いたのか、若い女は腰の剣に手をかける。
慎重な足並みで、桜のいる場所に近づく。
桜は起きる事もなく、完全に寝入ってしまっている。
警戒厳重な皇帝の居城に忍び込み、隙さえあれば皇帝の命すら狙える腕前の達人の気配になど、桜は気付けるわけもない。
若い女は、最上層の一角で大胆不敵に寝ている桜を見つけ、困惑していた。
「どう見ても、アルスの民には見えないし、同業者かしら?私以外にもここまで来れる人がいるんだ」
正直驚きを隠せない。
慌てて逃げてきたような痕跡もない。
武器も持っていない。
天気が良いからつい寝てしまったという感じだ。
自分など、皇帝の姿を見ようと欲を出したのがいけなかったのか巡回の兵士に不審に思われ、本来の脱出ルートとはまるで逆方向に逃げて来てしまったのだ。階下は兵士で溢れているに違いない。
兵士ならどうとでもできるが、騎士や皇帝がその気になれば、自らの居城に入り込んだネズミをいつまでも放置しておくはずがない。
若い女は、桜のあどけない寝顔をちらっと見た。
「いい寝顔ね。またどこかで会いましょ。これは一番乗りの君にあげるわ」
そう桜に告げると若い女は、最上層から飛び降りた。
この時代、魔術は古代に比べ凄まじく進歩していたが、それでも鳥のように自在に飛び回るような芸当は出来なかった。
精々、高所から滑空できる程度のものである。
若い女もそれを考えて、最上層まで上がってきたのだろう。
自由落下から滑空に入った若い女は、見る間に小さな影となって、首都の街並みの中に姿を消した。
桜が目を覚ましたのは、それからしばらくしてからの事になる。
最上層の扉からは、死角にあたる場所が桜の定位置だった。
扉の開く音と大勢の足音が聞こえて、桜はようやく瞳を開けた。
巡回にしては慌ただしい。
何かあったのだろうか?
最上層の扉の丁度裏手にあたる小さな足場。イスタリアスを美しく見せるための紋様の窪み。そこで桜は小さく伸びをした。
空でも一時的に飛ばなければ、桜のいる場所にはたどり着く事は出来ず、また最上層の広間の何処からも死角にあたる。
最上層には階下からの扉が一つあるだけで、他には古代の英雄をかたどった石像が数体鎮座しているだけである。
桜は首をかしげた。
桜の前に見覚えのない宝石が置かれていたからだ。
赤く光る綺麗な石だった。
昼寝に入る前には何もなかった。
最上層を調べにきた兵士たちの会話から、それとなく事情を把握する桜。
返しにいくべきだろうか?
「話は聞いた。アルスの瞳を逃げる際にどこかに落としてきたそうだな」
そう言葉を発したのは男だった。
そこは古代の遺跡だった。
アルスの民が生まれる以前に、栄えていたという古き文明の名残である。
海から吹く塩気を含んだ風のせいか、遺跡には土台しか残っていない。
その男は巨大な石柱にもたれている。
男の前に、若い女がいる。
地面にあぐらをかいて座っていた。
若い女は、右腕を負傷したのか、服が破れて素肌が露出していた。その腕は強い陽射しのせいで赤銅色に焼けていた。
「しかも、イスタリアスから飛び降りたそうだな。都はお前の噂で一杯だぞ」
男は呆れたように言った。
「でも、イスタリアスからの眺めは気持ち良かったわよ」
若い女は、嬉しそうに答える。
「まさか、アルスの瞳をイスタリアスの最上層に置いてきたのか?」
男の問いに若い女は笑顔で頷いた。
盗賊は自分が気に入った場所に盗品を隠すという。
やはり、自分が行くべきだった。
大陸でも名高い凄腕に依頼するという今回の上層部の通達を耳にしてから、男には嫌な予感があった。
世界の中心とも呼ばれる帝国の首都。恐らくこの世界でもっとも危険な場所であろう皇帝の居城に忍び込み、歴代の皇帝達が受け継いできたアルスの瞳を奪取する。
アルスの瞳を奪われれば皇帝の権威も地に落ちるだろう。
アルス帝国は強大である。
崩すには、まず小さな綻びを生じさせればいい。
そう考えた上層部は、男の前に座る若い女に依頼した。そしてこの女は上層部の依頼通りに事を進めた。
皇帝の居城イスタリアスから、皇帝の至宝が消えた事は紛れもない真実。それは帝国各地の軍の動きから簡単に推測がついた。
公式発表はされていないが、水面下では大変な騒ぎになっている事が窺い知れた。
「報酬は何処にあるの?貴方にもらえばいいのかしら?」
若い女は男に問いかける。
「この状況で報酬だと?」
男は眉をしかめている。
全くこれだから盗賊というものは好きになれない。
「アルスの瞳を持ち出しただけで、その行方もハッキリしない。よりによって皇帝の目と鼻の先が隠し場所だと。皇帝の至宝を回収できなければ報酬は渡せない」
男は若い女にそう告げると、その場から去ろうとする。
「でも、貴方の上の人達の意向通りにはなったと思うけど?」
若い女の呟きに、男は足を止める。
確かに帝国は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
皇帝の手に至宝が戻るまで、この騒ぎは収まらないだろう。
上層部の狙い通りに事は進んでいた。この先は上層部の仕事となる。
男は振り返り、若い女に金貨の入った袋を投げた。
若い女はそれを空中で掴んで、中身を確認する。
「ねえ、半分しか入ってないわよ」
若い女は、金貨を数えながら男にそう言った。
男は眉をしかめたまま答える。
「残りはアルスの瞳を回収してからだ」
男はそれだけ告げると若い女の前から立ち去る。
二度目の侵入は、この凄腕の女でもさぞや手を焼くに違いない。
それに、上層部はもう次の計画に入っている頃だろう。
あの女盗賊が、アルスの瞳を回収する事に成功したなら報酬は渡すつもりだが、皇帝が躍起になって探している至宝など手元にないほうがいい。
男がそう考えをまとめた時だった。
見知らぬ話し声が男の背後から聞こえてきた。
その声は明らかにあの女盗賊がいた場所からだった。
男は遺跡の出口に向かって歩いていたが、慌てて若い女盗賊の元へ走り出す。
女盗賊との交渉場所は、誰にも伝えていない。
この時この場所に来る事を知っている者は、男と若い女盗賊の二人だけであるはずだ。
あの女盗賊もその辺は一応心得ている。依頼人との密会場所を他者に明かすはずがない。
それに、この地域は帝国の圏内とは言え、古い遺跡が点在するだけの無人の荒野である。
退廃とした荒野には、人を食らう魔物も現れる事があるためか、旅人ですら迂闊に近付かぬ。
交渉場所に適していると自分が決めたのだ。
部下も知らぬ。あの女盗賊も仲間はいないと言っていた。女盗賊については事前に調べがついており、女盗賊の言葉は信用できるものであった。
まさか、皇帝の手の者か。
男は思わず立ち止まった。
気配を探ってみるが、遺跡にもその周囲にもおかしな所はなかった。
この場所に来る前と同じ。相変わらず陽射しが強く、海から吹く風が強い。
それでも、男は慎重に女盗賊との交渉場所に近づく。
巨大な石柱の陰で男は話し声に耳を傾けた。
「わざわざ返しに来てくれたってこと?」
若い女盗賊が誰かに話しかけていた。
男の場所からは、話しかけている相手が見えない。
「君はアルスの民には見えない。不思議だね。これはイスタリアスの最上層に一番乗りしてた君に敬意を感じた私からの贈り物なの。だからこれはもう君が持っているべきものなのよ」
若い女盗賊の手に赤く光る石が見えた。女盗賊は赤く光る石を話しかけている相手に渡したようだった。
男は目を疑った。
まさか、あれこそが皇帝の至宝アルスの瞳なのか。文献の記録とも一致する。
男は迷った。
今出ていけば、恐らくアルスの瞳を手にする事が出来るかもしれない。しかし、あの女盗賊より先にイスタリアスを踏破する者がいようとは。
女盗賊の言葉通りなら、今、アルスの瞳を受け取った相手は帝国の民ではないということになる。
帝国以外の者が、皇帝の居城であるイスタリアスには近づく事など出来ない。
正規の方法では、決して。
どのような者か知りたい気持ちを抑え、男はその場から立ち去る事にした。
自分の中に流れる血がそうさせたのかも知れない。
帝国の至宝たるアルスの瞳が、アルスの民以外の手にあるのなら、それが一番最良な事だと男には思えたからである。
「なんとか思いとどまってくれたみたいね」
若い女盗賊は目を閉じて気配を探っていた。遠ざかってゆく男の気配に安堵したのか、しばらくしてそう呟いた。
女盗賊は目を閉じたまま。
「ねえ、君の名前を聞いてもいい?」
返事がないので女盗賊は目を開けたが、もう彼女の前には誰もいなかった。
海から吹く風に乗ってかすかな声が聞こえたような気がする。
女盗賊は思わず立ち上がって言った。
「またどこかで、桜」
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