二人:シミラーカラー④

 暑さも幾分かましになってきたこの頃。大きなトラブルは起こっておらず、梅田の罵声もここしばらくは飛んでいない。嗚呼、平和。本当に平和。光風霽月とはまさにこのこと。

 そんな折、僕はなんとなしに104号室の前を通りかかった。傾き始めた太陽の光が、仄かにオレンジ色を帯びて窓から差し込み、照らし出された宙の埃が煌めいている。

 室内では伏屋と白坂が、それぞれデスクに向かってパソコンを操作していた。橋原の席は空いている。たぶん外出中だろう。

 僕は入口の付近で隅に寄って停止する。しばらく二人の仕事ぶりを見ていることにした。やがて十五分ほどが経過した頃、不意に白坂が伏屋に向けて椅子を回転させる。

「あの、先生」

「ん?」

 伏屋が手を止め、彼女の方へと向き直る。けれども、白坂になかなか話し始める様子がなかったからだろう。伏屋はその意図を汲み取ろうとして、再び口を開いた。

「ああ、えっと、もしかして例の実験会のことですか? 沢くんと共同でやるという」

「あ……はい」

「梅田先生から聞きました。白坂さんたちが準備した資料を見させてもらったんですが、あれでよいと思うので、事務局に話を通しておきますね」

「はい、ありがとうございます」

 すると伏屋はまたパソコンでの仕事に戻る。しかしそれでも、白坂は依然として伏屋の方を向いたままであった。ためらいながらも何かを言おうとしているが言い出しにくい。そんな気配が垣間見える。やや遅れてそれに気づいた伏屋は「あ、違いましたか?」と言って微笑んだ。

「実験会のことではありませんでしたか。まだ何か?」

「えっと、私……」

「はい」

「今日は、もう帰ります」

「おや、珍しく早いですね。どこかへお出かけでも?」

「その……学科の友達と……ご飯を食べに」

 白坂のその返答を聞くと、伏屋は再び、優しく笑む。

「そうでしたか。では、お疲れ様です。楽しんできてくださいね」

「はい」

 白坂はデスク周りの片付けを済ませ、荷物を手に立ち上がる。そうして入り口に立つと、ぺこりとお辞儀をして部屋をあとにした。その足取りは少し急いでいて、また同時に、少し硬い。

 白坂の友達なんて、僕にはてんで心当たりがなかったけれど、あの様子だと、おそらくは最近仲良くなったのだと思う。出席している授業か何かで。やはり白坂のことを遠巻きに眺めていた人たちの中には、本当は白坂と仲良くしてみたい人だっていたんだろう。

 いつだか、沢が言っていた気がする。白坂はもう少し周りと話してみるといい、と。

 僕もそれについては同意見だ。白坂は、決して多くはなくともよいが、研究室以外のコミュニティも持つべきだ。それで新たに見えるものも、きっとある。

 ちょっと勇気がないだけ。ちょっととっつきにくいだけ。話してみれば、案外簡単。

 僕からすれば、人間なんてそんなものだ。

 彼女の足音は、遠ざかっていってもう聞こえなくなった。

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