悲劇のヒロインにはなりませんから!

風乃あむり

第1話 余命宣告されてません



 爽やかな初夏の放課後。教室を出た私は、同じクラスの市井いちい公介こうすけに声をかけられた。


志津本しづもとさん。あんたの余命あと何年?」


「は?」


 聞き慣れない言葉に、私の右肩から部活リュックがずり落ちた。


 ――ヨメイ?


 市井はひかえめに言っても変な男だ。


 四月、席が隣同士になり、たまに話をするようになった。


 いわゆる“陰キャ”。面長でパイナップルみたいな変な髪型。生白い肌に細い目。

 

 机の右はしに常に数冊の文庫本をつんでいて、休み時間にはその山のてっぺんから一冊手に取って黙々と読み進める。

 人と話すよりページをめくる方が好きな変人。熱心に文字を追う目がたまにうるんでいてちょっとヒク。


「余命、何年?」


 もう一度同じことをきかれて、私はあらためて頭上にハテナを浮かべた。


「……余命ってなに?」


 今度は市井が怪訝けげんな顔をする。


「知らないのか? 病におかされた人が医者に宣告されるだろ。残された命の期限だよ」


「そんなこと知ってるし。私が聞きたいのは、なんで私に余命をきくのかってこと」


 だって、と言う市井の顔は真剣そのものだ。


「志津本さん、昨日早退して病院行っただろ?」


「行ったけど?」


 確かに行った。四時間目の体育の後に早退した。


「てことは余命宣告されたでしょ?」


「なんでだよ」


 足をひねっただけだから。大して痛くもなかったのに先生にしつこく通院をすすめられしぶしぶ早退した。それだけ。

 なんでそれが“余命宣告”なんて話になっちゃうんだ?


「ちっ」


 え、舌打ちされたんですけど。しかもなにその憐みのまなざし。


「かわいそうな志津本さん。悲劇のヒロインになれなかったか……」


「は?」


 おもむろに市井は通学カバンをあさりだした。


 取り出したのは三冊の本。


 どの表紙も淡い色彩の風景をバックにさわやかな男女が並んでいる。タイトルはそれぞれ


『桜のようにはかないあなたへ』

『365日後に君を失う僕が、君のためにできること』

『余命半年の涙』


 全て市井の机で見かけたことがあった。


「これがなに?」


 読んでみろと一冊差し出され、私は裏表紙のあらすじに目を通した。


 ”――余命一年。僕の幼なじみに告げられた残酷な事実。その事実を知った時、二人の恋は鼓動こどうを始める。どうしてもっとはやくこの想いに気づけなかったのか……後悔の中でもがく二人の恋の行方とは”


 顔を上げると市井の目もとがうるりとぬれていた。


「最近一番泣いた小説なんだ」


 確かに本のおびにも“泣ける恋!”と書かれていた。


 そういう話が大好きなんだ、と右ななめ上を見る市井の視線は完全にどこか別の世界にイっちゃっている。


 ――あ、こいつ、ヤバイ。


 思わず一歩下がる。


 市井は陶酔とうすいしながらとうとうと語り始めた。


「“志津本しづもとみどり、高校一年生。入学後すぐにクラスの中心になった自由奔放ほんぽうで明るい彼女。だが、その笑顔の裏には誰にも言えない秘密があった”」


「は?」


「“翠は病魔におかされていたのだ”」


「待て待て待て、それなんの話!?」


「“残された時間の中で彼女は何をつかむのか。そして彼女の切ない恋の結末とは――”」


 切ない恋っ!?


「なんなのそれキモいんだけど!!」


 市井はうっとり頬を染める。


「いやぁ、志津本さんが余命宣告されてたらこんな物語になるかなって」


「だからっ! 余命なんてないし! 勝手に人を病気にするな!」


 だいたい本当に闘病してる人にも失礼だろ!


「そして悲劇のヒロインを支える隣の席の俺、市井公介」


「聞いちゃいねぇ」


 ぐっと拳を握りしめて市井はどんどんヒートアップする。


「かわいそうなヒロインを支える俺! けれど影では打ちひしがれ涙する俺っ!」


 ほぉっ、と彼は淡くため息をついた。


「そういうの憧れるんだよね……!」


 だから頼む! とがしっと肩をつかまれた。


「志津本さん、俺のための犠牲になれ! あんたが悲劇のヒロインになれば俺も悲劇のヒーローだぁっ!」


「アホかー!」


 ばきぃっ


 思いっきり振りぬいたのは右足。市井のすねに渾身こんしんの蹴りをお見舞いした。


「ぎゃーー!」という市井の悲鳴と「おおっ!」という歓声が共鳴した。


 いつのまにか集まっていたクラスの連中から万雷の拍手。


「さすが志津本さん、女子サッカー部期待の新人!」


「勝負を決定づけた一発!」


「絶対に負けられない戦いっ!」


 はぁ、どいつもこいつもなんで男子ってアホばっかりなんだろう。ベリーショートの髪を整えつつため息がこぼれた。


 私、志津本翠はサッカー歴十年、体力と脚力が自慢で、余命宣告とは無縁のJKだ。


 すねを抱いてひぃひぃもだえる市井を、男子どもがやんやと取りかこむ。


「市井くん、ラノベの読みすぎでしょ」


「そもそもなんで志津本なの?」


「もっとはかなげな女子にしなよ」


 おい。男子どもの言い草に少々むっとするも、言いたいことはよく分かる。体育会系の私が悲劇のヒロインだなんて。


 私は市井のしかばねを乗り越え部活に向かおうとした――んだけど。


「ラノベじゃないぃぃ、ライト文芸だぁぁ」


「ぎゃーーーー!」


 市井が私の足首をつかんだ。


「志津本ぉぉ、余命宣告されろぉぉ、俺のために悲劇のヒロインになるのだぁぁ」


「ふ、ざ、け、ん、なーー!!」


 つかまれた足をじくに、育て上げた相棒・下腿三頭筋ふくらはぎがうなりをあげる。


 今度こそダメ押しの追加点。私の左足が市井の肩を直撃、勢いそのまま体ごと吹き飛ばす。


 今だ、逃げろ、市井ゾンビがよみがえる前に。


 でもこれだけは言っておかなくちゃ。


「私、悲劇のヒロインなんか絶対イヤだから!」

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