第24話 トリッキーな手段

 研究室を出て暁良が連れて来られたのは、またしても会議室だ。今度は何だと思っていると、紀章が座れと命じてくる。

「何ですか?」

 また何か映像を見ろとでも言うのかと適当な場所に座ると、暁良の目の前にどんっと紙の束が置かれた。

「えっ?」

「今からテストを受けてもらう。心配しなくても高校生が普通に解ける問題ばかりだ。君は確か二年生だったな。一年飛び級しても大丈夫か。今からどれだけの勉強が必要なのか。それを計るためのテストだ」

 平然と紀章はそう言ってくるが、暁良は大混乱だ。

「俺が、飛び級?」

「言っただろ。君には戻って来た路人のサポート役を務めてもらいたいと。そのためには高校生のままというのは不都合だ」

 今更何を驚いていると紀章は不機嫌だ。ああ、これが考え事をしていて聞きそびれた部分だったのだと暁良は頭を抱えてしまう。それに、本当に勉強は人並みくらいにしかできないというのに飛び級なんて無理に決まっている。

「一教科60分で5教科7科目。国語、英語、数Ⅰ、数Ⅱ、物理と化学、それに世界史だ。いいな」

 そんな頭を抱えている暁良を無視して紀章はテストの説明を始めている。いや、それって国公立の入試と同じってことかと暁良は慌てて紙の束を取り上げた。しかしまだ開けるなと紀章に注意されてしまった。

「ぐっ。せめて日本史に」

 理数科目はどうせ悪いのが目に見えている。というわけで、せめて文系科目で点数の取れるヤツをと思ったがあっさり拒否された。

「そんなものはどっちでもいい。一般教養レベルで理解していればいいものだからな」

「――そうですか」

 解けなくてもいいとは言わないのかよと、暁良は思わず口を尖らせる。くそ、頭のいい奴の発想は勉強なんて出来て普通だから困る。

「では、国語から始めるぞ」

「うっ」

 不満を言おうと駄々をこねようと無意味だとばかりに紀章は暁良にシャーペンを差し出してきた。これはもう酷い点数を見て諦めてもらうより他にないらしい。

「始め!」

 唐突にスタートが告げられ、暁良は慌てて一番上にあった紙の束を捲る。それは紀章から研究室で説明を受けていた間に用意したとは思えないくらいきっちりしたテストだった。

「入試と変わらないだろ」

 思わず愚痴が零れる。まずは現代文でその後に古文。ちゃっかり記述式問題まであった。こうなったら白紙答案してやろうかと思ったが、それはプライドが許さない。

「出来ないと悔しいんだよね」

 ふと、路人が零した言葉が脳裏に過る。たしかに出来ない自分は嫌なのだ。

「意外と似た性格ってことか?」

 紀章の目を気にしつつ問題を解きながら、暁良は路人もこうやって意図しない方向に進んだんだなと思っていた。




「あいつ、テストを受けてますね」

 そんな暁良の様子を廊下から必死に覗き見ている優斗は、どうしてこんな展開にと首を捻るしかない。

「なんか飛び級とか言ってますよ。瑛真さん。なんか、思っているより事態が不思議なことになっていますね」

 哲彰も変なのと瑛真を見る。牢屋に入った写真からは想像できない展開だ。

「ひょっとして、あの写真は何かの作戦の一つ?」

 瑛真もあれは何だったのかと考えていた時

「彼の周囲の状況を知るには最も効率的な手段だ。そして、彼は路人に認められただけでなく様々な人を動かすだけの力を持っている。これは大変素晴らしいことだよ。赤松はいい方法を思いついたものだな」

 そんな声が聞こえた。三人が驚いて振り向くと、そこには穂波が立っていた。

「一色先生」

「桜井。君まで動かしたんだからすごいと思わないか。路人と同じものを、君も彼に感じ取っているんだろ?」

穂波は手放しに暁良を褒めている。それに、瑛真はほっとするとともに引くに引けないところまで話が進んでいるのだとすぐに理解した。

「先生。暁良君をこのまま大学に置くつもりというのは、本気なんですね」

 瑛真の質問に、優斗と哲彰は驚きながら二人の顔を見比べる。あのテストが本物だと知ると、余計にどうしてこんな展開にとも思ってしまった。

「そうだ。路人にとって何が足りないのか。それは彼のような存在だってことだったんだよ。何も気取らずに自分を見てくれる相手。路人が大学の研究室を飛び出したのも、結局は出来て当たり前としか見られず、悩みを誰も聞いてくれなかったから、こういうところだと思うね。放っておけばいずれ戻ると周りが思っていたのに一年半も戻って来なかったのも、息苦しさのせいだろう。まったく、トップを走る研究者としては困ったものだがね」

 そう語って優しく笑う穂波は、やっぱり路人を心配しているのだなと解るものだった。

「――それを、ぜひ路人に言ってあげてください」

 飛び出した路人を追い駆け、この一年半ずっと一緒にいたというのに、瑛真はそれには気づけなかった。ただ今まで抑圧していた何かを発散したいのだろうと、それだけを考えてサポートしていただけだ。やはり微妙な変化を読み取るのは母親に勝てるものはない。

「ふん。まあ、大問題を起こしてくれたんだ。少しは向き合おう」

 仕方ないなと、穂波も今まで放置していた責任は感じているため、照れたように笑うのだった。





 その路人は、本当ならば愚痴を言える相手だったはずの礼詞と向き合っていた。なぜ名前で呼ばなくなったか。そんなの、礼詞もまた紀章と同じように自分を扱うからだと気付いたせいだ。

 自分は母親のことがあるから苗字で呼ばれるのが嫌いだ。そして、それがずっと続くせいで本当に心を許せる相手しか下の名前で呼ばないというルールが出来上がってしまった。礼詞は、いつしか下の名前で呼ばない相手となっていたのだ。

「どう見ているかだと?お前はどうしてそう周囲の目を気にするんだ。そんなことは必要ないだろ?今まで好き勝手にやってきたはずだ。それとも、そんなに普通とは違うことがコンプレックスなのか?普通であることに憧れるから、あんな少年を傍に置きたくなったのか?」

 礼詞はそんな路人の気持ちには気づかず、そんなことを言ってくる。普通に憧れているという指摘は間違っていないが、それを暁良に求めているわけではない。

「暁良と馬が合ったのはたまたまだよ。でも、そうだな。確かにどこまでも普通だよ。俺がどういう奴か知っても、態度を変えずにいてくれた。それどころか友達になってやるっていう奴なんだ。そんな奴、今までいなかった」

 路人は言いながら、そんな暁良をこんなことに巻き込んでしまって悪いなと反省してしまう。あの日、紀章が翔摩に接触した時に詳しく聞き出しておけば礼詞の企みは阻止できたはずだ。それなのに、どこかで自分にしか攻撃を仕掛けて来ないだろうと思っていて放置してしまった。もちろん、早く翔摩から引き離さないとと焦っていたのもある。

「友達ねえ。ならば陣内暁良が大学にいるんだ。もうここに拘る理由はないな。俺は、最大限譲歩している。お前のために必要なことは何か。それを考えて山名先生に提案し、このことを計画したんだ。まさか先に一色先生が動いていたというのは予想外だが、お前が友達を欲しがっているんだろうことは、あの方が見抜いてくれたわけだ」

「――」

 穂波が動いていた。それで路人はあの依頼人の正体を知った。菱木操。これをローマ字にして置き換えると一色穂波となる。

「何か、ずるい」

 あの依頼を出すことで路人の心の隙間を埋めることが出来る。それに気づいていただなんて信じられない。しかし、実際に暁良との出会いがどこか計画されたものだったように思う原因がはっきりとした。

「科学者狩りの流行の原因がうちの大学にあるって気づいたのも一色先生だからな。まさに一石二鳥ってことだったんだよ。あの宮迫佑弥には誰かが灸をすえる必要があったからな。それを逃亡中のお前に解決させるというのは、少々手荒いやり方だ」

 礼詞も素直に受け取る必要はないだろうと、そこは同情する。しかしおかげで佑弥を動かしやすかった。まさか高校生と仲良くなるとは想像できず、どう暁良の周囲を探るか悩んだものだ。

「――戻るのはいい。でも、科学技術省に俺は合わない」

「その議論は後からだ。山名先生も、お前に何を任せるべきか考えなおすとは言っている」

 他にも譲歩しているところがあるんだと、礼詞は路人に近づいた。しかしその手前でなぜか足を止める。

「――素直に戻るつもりはないようだな」

「ばれた?」

 今の路人を理解しろ。その暁良の忠告が役に立つとは思いもしなかった。何かがおかしいと、こんなにも素直に従う路人は今の路人らしくないと、礼詞はその忠告で気づくことが出来た。

「暁良が大学にいるから戻るって、それって成り立つと思ってるの?俺はずっと暁良に謝りながら研究することになる。もう、誰かの未来を勝手に変えるな」

 路人はすっと目を細めると、それまで背中に背負って隠していたリュック型の科学者狩り対策の罠を礼詞に向かって投げる。

「うわっ」

 煙幕とともに広がる網に、礼詞はあっさりと絡めとられる。改良型はばさっと網が広がるタイプで、礼詞は床に縫い留められたような形になる。

「翔摩、走れ!」

 路人は計画通りと笑顔で走り出す。

「ま、待て。この馬鹿!」

 べーと舌を出して走り去る路人に、さっきの深刻な空気を返せと礼詞は暴れる。が、障害物競走のように暴れれば暴れるほどなかなか脱出できない。

「路人さん。これは聞いてなかったです!」

 路人を追い駆けながら、大学に戻るとしか聞いていなかった翔摩は叫んでいた。そう、あまりに突飛な事態に声が出たのだ。

「声も戻って万々歳。さあ、暁良を取り戻しに行くぞ」

 今までめちゃくちゃ我慢したんだよと、路人はワクワクとした足取りで駆けていく。

そう、今の路人は何かを我慢するタイプではない。というか、本来は愉快に楽しくいきたいのだ。それを実現するためにこの研究室を作ったというのに、どいつもこいちも勝手な解釈を付けてくれている。

「問題はこの先だな。ううん」

 紀章にこんなトリッキーな手段で納得させるのは無理だと悩む。

「路人さん。楽しそうですね」

「うん」

 一緒に走りながら、翔摩は呆れるもこれはこれでいいのかもしれないと思ってしまう。

「ま、大学に行くよ。総てはそこでしか解決しないからね」

 路人は言うと、丁度よく走っていたタクシーを呼び止め、翔摩とともに乗り込んだのだった。

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