第17話 お前、今から腹痛を起こせ
礼詞の語る路人は、暁良が知るものとは全く違った。まだ一週間ほどの付き合いだが、路人のことはよく解っている。それだけに、知っている路人と違う面を延々と語られるのは変な気分になった。
さらに理知的で冷静で、何事も楽しくなさそうに過ごす路人なんて本来の姿ではないだろうと反発する気持ちも生まれてしまう。そりゃあ、路人が凄い奴だということは解っている。でも、のほほんとしてクマのぬいぐるみを離さず、いつも複数のことを同時にやるせいで周囲に迷惑を掛けている姿が合っている。礼詞の語る路人は、暁良には受け入れられないものばかりだ。
「どうしてあいつが今のようなことを始めたのか。俺には一切解らん。たしかにのんびりしたところのある奴だったが、自分のやるべきことを放り出すなんて所業はしたことがない。周囲の期待に応える。そして確実に結果を残す。そうやってあいつは生きてきたはずだ。今のあいつは、現実から目を背けて遊んでいるだけだ」
語っていてムカムカしてきたのか、礼詞の言葉が辛辣になってくる。しかし、それは路人がどれだけ辛い思いをしながら生きてきたかを知らないせいだ。
無理は続かない。それが路人の語った事実だ。ずっと無理をしていたから写真の中の路人はあんな顔だったのだと暁良はさらに腹が立つ。しかしどう言っても礼詞に丸め込まれそうで暁良は反論の余地が見つけられなかった。
「君に声を掛けたのは他でもない。あいつを連れ戻す手伝いをしてほしいんだ。今のあいつはさらなる期待を掛けられている。やるべきことが山のようにあるんだ。あんなところで遊ばせているわけにはいかない。今まではちょっとした休暇も必要だろうと見逃されていたが、それももう終わりだ」
「なっ」
ムカついている暁良に向けて連れ戻すのを手伝えと言い出し、呆気に取られてしまう。それにどこに連れ戻すというのか。そう言えば、どこに戻るのか路人は明確に言わなかった。
「あいつが所属するのは大学だけでなく国家でもある。そんなことも知らないのか?それでよく傍にいられる」
礼詞は暁良が事の重大さを理解していないと気付き呆れた調子になった。そう呆れられても、暁良はたまたま路人に捕まり、そして流れでバイトをするようになったのだ。路人について、今以外は何も知らない。
「まあいい。路人はなぜか君に気を許している。今まで誰も、城田と桜井という同業者は傍に置いていたが、それ以外で傍に置いたことなんてなかったというのに、君には何でも許しているそうだな。そんな君を、利用しない手はないだろ?」
礼詞がにやっと笑ったので暁良はヤバいと気付いた。手伝えと言いながら暁良が断ることが前提なのだ。明らかに危ない。
「逃げようとしても無駄だよ」
「――っつ」
いつの間にか暁良は取り囲まれていた。それは今まで喫茶店の客や店員だと思っていた人たちだ。ここ自体がもう罠だったのだと気付く。
「科学技術省立ち上げで忙しい時に、あいつはいなくなったんだ。勝手に自分の役割ではないと判断してな。そんなことが許されるわけないだろ。陣内暁良、君の身柄は少しの間拘束させてもらう」
礼詞がそう言い、暁良に向けて一枚の紙を示した。それはちゃんと権限に基づいて暁良を捕まえることを示していた。
「くそっ」
暁良は逃げようとしたがすぐに周囲にいた男たちに肩を抑え込まれる。暴れようとしたら後ろ手に手錠を掛けられる。
「こんなの、国家権力の乱用だろ?」
「違うね。それだけ路人が重要というだけだ。君は路人の我儘の被害者というだけだよ」
暁良が怒鳴ろうと礼詞は自分が正しいとの態度を崩さなかった。
「どういう重要かは知らないけど、あいつはお前の思い通りになんかならない」
無理やり立たされて店の奥に連れ込まれそうになる中、暁良はまだ抵抗しつつ捨て台詞のように言う。
「どうかな。特に君が絡んだら、選択の余地はないと思うけどね」
しかし礼詞の自信は揺るがず、さらに不穏当なことを言ってくる。それはつまり、暁良の利用して脅すと言っているわけだ。
「くそっ」
どう頑張っても不利だとは理解できている。それだけに、どうにか逃げなければと暁良は店の奥を抜けて車に乗せられつつ必死に考えていた。
暁良がなかなか帰って来ないことで、研究室では何かが起きたのだと確信していた。
「暁良を探しに行きますか?」
翔摩は路人とのチャット画面に書き込んだ。タイミングから考えて礼詞が何かをしたのは確かだ。
「いや。赤松のことだ。もうすでに何かをしたと思うしかない。それよりも」
路人はふと暁良との出会いを思い出し、机の中からタブレット端末を取り出した。そしてその中に保存していた文書データを呼び出す。
「科学者狩りか。ただの高校生を中心とした流行だと思っていたが」
何か違うのではないか。そして自分にそれを阻止しようと依頼が来たのは必然ではないか。
「あった」
その依頼があった時、写真と一緒に依頼人には契約書を書いてもらっていた。それはやはり、話があった時に何かがおかしいと引っかかっていたせいである。依頼を持ち込んだのはとある大学に所属しているという男だった。しかし――
「菱木操、か」
名前がどうにも気になる。ネットで検索すると一応は所属しているという大学のホームページに名前が載っているが、どうにも怪しい。
「総てが必然だったのか。暁良に出会うことは仕組まれていた」
路人は悩むも、暁良とのことは完全に偶然だと思う。しかし自分の心の壁を突破できる誰かが近づく可能性を大きくしたのは、やはり科学者狩りを捕まえさせるとの依頼だろう。路人が科学者狩りを警察に突き出さないことは解っていることだ。というのも、路人が警察に行けばすぐに保護とでも言って捕まってしまうからだ。自由にさせているようで、奴らが警察に対策を取るよう指示していることなどお見通しだった。路人自身が警察に行けない中、捕まえた目的以外の科学者狩りをやっている連中をどうするか。相手が自分のことをよく知っているならば読むことは簡単だ。
「適任者が、暁良だった」
あの出会いを、後悔する日が来るとは思わなかった。路人は何がどうなっているのか。礼詞が何かを言ってくる前に掴まなければと動き出す。
「瑛真。悪いがこれからやることは総て目を瞑ってくれ」
「はい」
パソコンを慌ただしく操作しながら路人が言うと、瑛真は躊躇いなく頷いた。責任の一端は自分にあるし、暁良と路人は本当に仲が良くなったのだ。そんな二人の関係にケチをつけた礼詞が許せない。
「翔摩。これについて調べてくれ」
路人はそう言って、今まで机の奥底に仕舞っていた科学技術省の資料を翔摩に投げる。翔摩は頷くと、路人と同じようにパソコンを忙しく操作し始めた。
「あんたたちの思い通りに動くのはもう嫌なんだ」
焦りを覚えながらも、路人はそう呟いていた。
翌日。佑弥の提案をどうすべきか暁良に相談しようと待ち構えているというのに、暁良が登校してくる気配がない。
「珍しく休みかな」
イライラする優斗の横で哲彰も心配そうだ。あと5分で始業時間となる。
「あっ」
何度かチェックしていたスマホが震え、優斗はやっと連絡がついたかとほっとする。しかしメール画面を開いて固まった。
どうした?」
顔色が悪くなった優斗に、一体暁良は何を言ってきたんだと哲彰は手元を覗き込む。そして同じく絶句してしまった。
『君たちの愚行はよく知っている。陣内暁良のようになりたくなければ、大人しくすることだ。赤松礼詞』
メールにはそう書かれていて、暁良が牢屋の中にいる写真が添付されている。それに赤松礼詞の名前。
「どうなってるんだよ。どうして宮迫が持ち掛けてきた科学者がこんなことを」
哲彰はあたふたとして優斗に意見を求める。が、優斗だって何が何だか解らない。ただ、タイミングがあまりに良すぎる。これは明らかに罠だ。
自分の席で本を読む佑弥を見ると、こちらの視線に気づいて顔を上げた。そしてにやりと笑う。
「この写真が嘘ってことは?ほら、暁良なりのジョークとか」
「いや」
何とか否定しようとする哲彰に、これは本気だと優斗は首を振る。そしてどうしてこうなったのか、必死に考えた。
「一色路人か」
こうなった可能性として、あの路人に関わったせいではないか。それはすぐに思いついた。しかし路人に文句を言うのは違う気がした。今まで、路人が暁良に危害を加えようとしていないのは、楽しそうに語る暁良の様子から解っている。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずってことわざはこういう時に使うものだな」
安全圏にいては何一つ解らない。それは確かだ。しかし佑弥の言いなりになって礼詞を襲うのは危険というか愚かでしかない。佑弥と礼詞はおそらく繋がっている。
「哲彰。お前、今から腹痛を起こせ」
「はっ?」
こうなったらすぐに動くしかないが、同時に二つのことを一人でやるのは無理だ。そこで優斗はそう言ったのだが、何のことか解らない哲彰は目が点になる。
「暁良を助けたいんだろ?そしてお前は、一色路人に興味がある。ということは、お前が一色の元に行くのが一番だ。今から学校を問題なく抜け出すには腹痛が丁度いい」
「ああ」
説明され、よくそんなことを思いつくなと哲彰は感心した。しかしどうして礼詞ではなく路人なのか。
「考えてみろよ。同じような天才がいるんだぞ。繋がっていないはずがない」
相変わらず鈍いなと心配になりつつも、佑弥を哲彰に任せるのが危険だと確信して行くように促す。
「解った。そういう嘘は得意だ」
哲彰はそう言うと、ホームルームのために入って来た担任の横をダッシュで抜ける。
「こらっ、石田!どこに行く?」
「うんこ漏らしそうです!」
怒鳴る担任に向け、哲彰は大声でそう答えた。おかげで教室の中だけでなく他の教室からも笑い声がするのが聞こえた。
「まったく」
しかしこれで問題なく哲彰は学校を抜け出すだろう。恐ろしく目立つ手段だが悪くない。
「問題はこっちだな」
優斗は視線が合った佑弥を睨みつけ、これからどう動けば佑弥を出し抜けるか必死に考えていた。
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