第15話 怪しい転校生

 放課後。帰ろうとする優斗に近づいてくる奴がいた。それは朝話題になっていた転校生である。

「えっと」

「ああ、名前?宮迫佑弥。よろしく」

 優斗が鞄を持って立ち上がろうとするのを阻止するようにやって来た宮迫佑弥は、そう言って握手を求めてくる。随分と大人っぽい挨拶だなと優斗は困惑しつつも握手を返した。

「それで?」

 一体何なのかと優斗はじっと佑弥を見る。理知的な顔立ちのこの少年は、すでに頭の良さを授業中に発揮していた。そんな奴が自分に何の用事か。

「昨日までの数学のノートを見せてほしいんだよ。このクラスで数学が得意なのは君だって、矢田部から聞いたんだ」

 佑弥は悪いんだけどと頼んでくる。矢田部というのはこのクラスのお調子者であり、何でも知っている男子生徒のことだ。そいつから聞き出したとあれば、優斗も断りにくい。

「いいよ。けど、ノートなんて誰に借りても同じだと思うけど」

 優斗は鞄から数学のノートを取り出して佑弥に渡す。するとほっとした顔で受け取った。

「いやいや。矢田部に借りようと思ったら凄まじいノートでさ。もうほとんど板書を取ってないんだよね。しかも計算間違いだらけだし」

 佑弥はノートをパラパラと捲ってこれなら大丈夫と笑った。

「あいつは数学苦手だからな。理系科目が苦手って、今だとすごい不利だというのに、もう諦めているし」

 板書を取ってなくても仕方ないと優斗も笑い、今度こそ帰ろうとした。しかし

「じゃあ、彼も科学者狩りをやってるのかな?ほら、大体あれに加担しているのって理系に苦手意識のある奴だろ?」

 そんな不穏な質問が飛んできてまた帰れなくなる。

「そうとは限らないだろ。世の中に不満があればやるだろうし」

 まさか自分がやっていると白状するわけにもいかず、優斗はそう曖昧なことを言った。

「確かにそうかもね。俺もやったことがあるし」

「――」

 さらっと言われ、優斗は穴が開くほど佑弥を見ていた。すると君もあるんだろと笑われる。

「ま、まあな」

 それが目的だったのか。優斗は急に佑弥が不気味になっていた。何だか危険な感じがする。このまま話題を続けるのは得策ではないと、無理やり帰ろうとした。

「待てよ。君とよく一緒にいる彼。あいつがリーダーなのか?」

 しかし佑弥に腕を掴まれ動けなくなる。しかも暁良がリーダーかと問いかけてくるのだ。相手が科学者狩りについて聞きたくて近づいてきたのはもう明らかだった。

「何が目的だ?」

 優斗は目を鋭くして佑弥を睨む。

「仲間に加えてよ。君たちのグループはただ科学者に不満があるとは思えないしさ。それに、面白い情報を持っている」

 そう睨まないでくれよと、佑弥は不敵に笑うのだった。





 紀章と何を話していたのか。路人は翔摩から聞き出していた。しかしいきなり紀章と会ったことで出なくなった声はまだ戻っていない。だからパソコンに打ち込んでの会話となる。

「そうか」

 そこで現れた礼詞の名前に、路人は複雑な表情になる。どうして礼詞が自分に協力する気になったのか。さっぱり解らないせいだ。

「私も赤松博士の動きは把握していません。山名先生から路人の情報を流してほしいと、頼まれていただけですから」

 瑛真もまた解らないと首を振った。そして声が出なくなった翔摩を見て申し訳なく思ってしまう。

「まあ、あの男のことだからね。瑛真が断れないのを見越してそう依頼していたんだろう。止めるためについてきたことだってすぐに解るだろうしね」

 もう反省しなくていいと路人は笑った。その表情はいつもののほほんとしたものになっている。

「しかし」

「問題は赤松がどう動くか。これだよ。俺は、あいつに負けたと思ったからここを作ったんだ。今ならば逃げても問題ない。そう判断した。それなのにこの事態だ。戻るのはまだまだ先か、もうお払い箱になるものだと思っていたのに」

 困ったなと路人は腕を組む。礼詞はいわば路人のライバルだ。同い年であり、同じように大学に預けられていた。そして紀章の元で科学を学んだのも同じである。

 負けたというのはおかしいのではと、翔摩が遠慮がちに路人と使っているチャット画面に書き込んでくる。

「いや。おかしくないよ。開発競争に負けた。それは事実だ。赤松は俺よりもちゃんとしたロボットや人工知能を作り出すことが出来る。それはつまり、社会の要請に合ったものを生み出せているということだ。俺みたいなタイプは、そもそも研究者としてはうまくいっても社会のためにとなると難しい。だから、あのことも赤松が就くのがいいはずだというのに」

 路人は困ったなと頭を掻いた。のんびりしている間に何かとんでもない事態に巻き込まれていたらしい。思えばKSR事件の時も妙に先生と呼ばれていた。あれは過去の研究事実に基づいて呼んでいるだけだと思っていたが、実際は違ったのかもしれない。

「俺は、どうやれば役に立たないって思われるのかな」

 疲れたような笑みを浮かべ、路人はついそう呟いてしまう。すると瑛真も翔摩も困った顔になった。二人は当然、役に立たないなんて一度も思ったことがないからだ。ここで散々迷惑を掛けられていても、路人は必要だと思ってくれている。

「悪い」

 忘れてくれと路人は笑ったが、研究室はしんと静まり返ってしまった。

「ああ、疲れた」

 しかし沈み切った空気を、呑気な声が打ち破った。暁良が学校を終えてやって来たのだ。

「疲れたって、どうせ授業中は寝ているんだろ。それよりご飯」

 路人は今までの会話などなかったかのように暁良に近づくと手を出す。ここ最近、昼飯を暁良に買ってきてもらっているのだ。

「お前さ、腹減っているならば自分で買いに行けばいいだろ?夕方まで待つなよ。つうか、今までどうしていた?」

 暁良はキレつつもちゃんと買い物をしている。路人の手にコンビニの袋を押し付けた。

「今まで?昼飯は基本食べなかったかな。それか翔摩が買いに行ったついでに買ってきてもらうとか」

 路人は中身を確認してのほほんと笑う。今日のご飯はかつ丼だった。こういうチョイスは自分にないので楽しくて仕方ない。

 そんな路人の切り替えの早さに、翔摩は少し安心していた。問題は自分だろうか。声が出ない状態はまだしばらく続きそうである。

「はあ。まったく。珍しく部屋は散らかってないようだけど」

 それほど追及せず、暁良は研究室の中を見渡しておやっとなった。この時間にはすでに昨日の片づけが無意味だったかと思えるほど散らかっているというのに、今日は何だか片付いている。

「ああ。パソコンしか使っていなかったからね。色々とシミュレーションしていたらこんな時間だ。さて、ブロックでもやろうかな」

 路人は自分の席に座ると早速机の上の物を床に落とす。そしてかつ丼とブロックの入った箱をど真ん中に置いた。

「ああっ。せっかく綺麗だったのに」

 その行動に暁良が怒鳴るのもいつも通りだ。しかし、暁良は意外と観察眼に優れている。やはり何かがおかしいと首を捻った。そして翔摩を見た。

「なあ、翔摩。大丈夫か?」

 怒鳴っていたらいつも呆れたようにツッコんでくるだろと、翔摩をじっと見る。しかし、暁良が相手だというのに翔摩は声が出なかった。口を開けるも、息が虚しく抜けるだけで音にならない。

「どうした?」

 暁良がじっと翔摩を見つめるのでヤバいと路人は思う。が、自分が割って入るのは不自然だ。かつ丼を口一杯に入れながら瑛真に助けを求めた。

「翔摩は風邪で喉の調子が悪いのよ。悪いけど薬を買ってきてくれる?」

 瑛真はそう言うと薬代を暁良に渡す。その動きがあまりに自然で、さすがの暁良も騙された。

「ああ、そういうことね。じゃあシロップがいいのかな」

 熱はないのかと顔を覗き込まれ、翔摩は大丈夫だと頷いた。しかし、本当の理由を言わなくていいのかとの思いもある。

「じゃあ、行ってくる」

 暁良の動きは早く、すぐに研究室を飛び出して行った。それに三人はほっと息を吐き出す。

「どうしますか?緊急事態が発生していることを暁良君に伝えますか?」

 理由を伝えるべきか。それは瑛真も悩んだのだ。しかし路人の意図を読み取って今の行動をした。だが、いつまでも切り抜けられるとは思えない。

「もっ。ぐぐっ」

 そんな心配はないと言いたいのか、路人は口に突っ込みすぎたかつ丼のせいで奇妙な声を発するだけだ。そのいつも通りな様子に、二人は下手な心配をかけるべきではないかと納得する。

「それに行動を伴にしている方がいいだろう。山名先生が暁良の存在に気づいていないはずがない」

 翔摩はそう瑛真にメールをし、しばらくは何もないだろうと思うことにする。

「そうね。赤松博士も妙なことはしないだろうとは思うけど」

 瑛真はそう呟きながらも、三人とも無理に今は何もないと納得しようとしていると気付いていた。

「赤松の好きにはさせないさ。それに、俺はもう少し暁良と遊んでいたいんだからね」

 ようやくかつ丼を飲み込んだ路人は、そこに礼詞がいるかのように目を鋭くしていた。

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