第2話 冒険の始まりは危険な夜に

 気がつくと目の前は真っ暗だった。

 何も見えないし、呼吸もしにくい。

 どうやら袋のようなものを頭からかぶらされているようだ。

 未冬は、反射的に周囲を見渡そうとしまった。当然何も見えはしなかったが人の気配はしている。

 しばらくすると被されていた袋が外された。

 同時に眩しいライトの光が未冬に向かって照らされる。

 未冬を囲んでいるのは覆面の男たちだった。

「名前は?」

 覆面の男は感情のこもっていない声で未冬に言った。

玖月未冬くづき・みふゆ……です」

 怯えていた未冬は素直に答えた。

「日本人か?」

「は、はい」

の受取人か?」

「何の品物です?」

イモータル・ウィッチ不死の魔女との連絡方法は?」

「誰のことですか?」

 別の男が尋問をする男に耳打ちする。男は何回か頷くと再び未冬に語りかけた。

「君の携帯電話には有益な情報は見つからなかった。そうなると我々は尋問に頼るしかないと考えている」

 椅子に縛られたままの状態で持ち上げられると机の上に寝かされた。

「ちょ……何を……うぐっ!」

 未冬が何かを言う前に顔にタオルを被せられた。

「今からタオルの上から水をかける」

 えっ?

「息苦しいぞ。溺れたような状態になるんだ。あるテロ組織の幹部もこれ自白した」

 わたし、テロリストじゃないし!!

 タオルに水がかけられ始めた。

 ペットボトルの水が未冬の顔を覆ったタオルにこぼされいく、水は、タオルに水が染み込み、未冬の鼻や口に流れ込んでいく。溺れているのとほぼ同じ状態だ。

 苦しい! やめて!

 未冬は、パニックになってもがくが身体は縛られ、さらに押さえ込まれている。逃れるのは無理だった。

 突然、水をこぼすのが止まった。そのおかげでわずかに呼吸ができる。

 タオルが取られた。水を吐き出しながら咳き込んでいる未冬を覆面の男が見下ろす。

「話す気になったか?」

 覆面の男が未冬に向かって低い声で言う。

「話すも何も……何も知らないし」

 言い訳する未冬の顔に再びタオルがかけられた。

 やめて!!

 その時だ。

 激しい物音とうめき声が聞こえた。

 何っ?

 鈍い音が何度か響いたと思うと急に静かになった。

 何かが顔の辺りに触れられ思わず身がこわばる。

「大丈夫、安心して」

 聞き覚えのある声が耳元で囁かれた。

 誰?

 タオルが外されると未冬を覗き込んでいたのは凜夏・ランカスターだった。


「大丈夫?」

 藤色の瞳が未冬を見つめる。

「凜夏さん……どうしてここへ」

「話は後で」

 凜夏はナイフを取り出すと未冬を縛っていた紐を切った。

 身体を起こすと床には覆面の男たちが倒れている光景が目に入ってきた。

 これは凜夏がやったのか?

 未冬は起きている状況に頭がついていかない。

「行こう」

 凜夏に声をかけられた未冬だったが、身体が震えて動けない。

「どうしたの?」

「私……私は……」

 未冬はパニックに陥っていた。

 それに気がついた凜夏が未冬をそっと抱き寄せる。

「大丈夫。アドレナリンが出すぎているだけ……大丈夫よ……」

 穏やかな声で耳元で囁かれた。その声で次第に未冬の心は落ち着いていった。

 気がつくと手の震えも止まっている。

「さあ、行こう」

 凜夏は未冬の手を力強く握った。

 とても冷たい手だ。

 未冬は先を行く凜夏の背を見ながらそう思った。



 狭く薄暗い通路を通って建物から出ると車が停めてあった。

 振り返って建物を見るとごく普通の雑居ビルだった。

 しばらく通りを歩き路上駐車してあったBMWの前まで来ると凜夏は、キーレスエントリーのボタンを押した。短い電子音と同時にウインカーが点滅するとロックが外れた音がする。

「乗って」

 そう言いながら凜夏は素早く運転席へ乗り込みエンジンをかけた。未冬が車の助手席に乗ったかと思うとBMWを急発進させた。

「し、シートベルトまだです!」


 大きな交差点を二つほど通り過ぎたころ、未冬は、ちらりと運転席に座る凜夏の方を見た。運転に集中しているのか、怖いくらい真剣な表情だ。

 凜夏にはいろいろ聞きたいことがあったが今は口に出せれる雰囲気ではない。

 気まずい沈黙が続く


「ごめん、私の為にこんな事に巻き込んでしまって」

 ところが先に切り出してきたのは凜夏の方だった。

「どういうことですか?」

 未冬は凜夏の顔を見る。

「尾行してきた敵を誤魔化すために声をかけたの。それが甘かったわ」

「尾行……って? それに敵って?」

「そのせいで君が私の取引相手だと勘違いさせてしまった」

 凜夏の説明に未冬の頭は混乱していた。


 BMWが架橋に入った時だった。

 反対車線に対向車のヘッドライトが複数見えた。おそらく二台か三台だろう。

「いやな感じがする。シートベルトをして」

 凜夏がそう呟く。

「い、今頃ですか!」

 橋の真ん中あたりまでBMWがたどり着いた時だ。

 対向車が急ブレーキをかけて道路を塞いだ。


 凜夏は急ブレーキをかけながらハンドルを右に切った。BMWは後輪が横滑りして車体が真横になっていく。身体が右に振られながら必死にシートにしがみつく未冬。

 凜夏は、バックにシフトチェンジして方向を変えた。

 だが、逆の方向にもヘッドライトが見えたかと思うと車が急停車し逃げ道を塞いた。これで前も後ろも逃げ道はなしだ。

 停止すると同時に覆面の男たちが車から降りてくる。

 手にはアサルトライフルを持ち、凜夏たちのBMWに狙いをつけながらゆっくり近づいてくる。

「降りて!」

「え?」

「早く」

「は、はい、でもシートベルトがうまく……」

 覆面の男たちの警告なしの銃撃が始まった。無数の銃弾がBMWに向かっていく。

 シートベルトを外してドアの開けようとした時だった。何か違和感を感じた。

 見ると目の前に銃弾が宙に浮かび、そのまま停止している。

「早くして! 長くは続かない」

 凜夏が未冬を急かした。

 慌てて車から降りた。さっきまで肌に感じていた夜の寒さもない。

 戸惑う未冬の前に運転席から凜夏がやってくる。

「来て!」

 未冬の手を掴むと力強くひぱった。

 二人が車から離れると止まっていた銃弾が動き出してBMWを蜂の巣にした。激しい銃撃が窓やライトを壊していく。

 銃撃が止んだ。

 どうやら逃げだした未冬たちに気がついたようだ。橋の上から銃口が向けられる。

「しっかり掴まって!」

「は、はい……えっ?」

 凜夏は未冬を抱えあげるとそのままハイウェイから飛び降りていた。

「う、うそーっ!」

 確かに未冬より凜夏は背は高い。それでも自分を抱えられるとは思えない。そもそも普通に考えたら人間ひとりを抱えて、架橋から飛び降りるわけはない。けれど凛空はそれを軽々とやってのけた。

 橋から落ちていく時、未冬は不思議な安心感をいだきながら凜夏にしがみついていた。

 そして凜夏は未冬を抱えたまま、何の衝撃もなく着地した。


 橋の上から覆面の男たちが覗き込む。

 彼らも信じられないといった感じだろう。しばらく何もしてこない。

 その背後で何かが動き出す。

 炎上していたBMWが宙に浮かんだのだ。

 BMWは男たちの頭上を通り越し、逃げる凜夏たち目がけて飛んでいった。

「危ない!」

 未冬を庇って背を向ける凜夏。

 その凜夏と未冬の目の前に飛んできたBMWが叩きつけら行く手をふさいだ。

 破片が飛び散った。

 燃えるBMWの炎が周囲を明るく照らす。

 気がつくと何かが凜夏の脇腹に突き刺さっていた。

 凜夏はそれを引き抜くと地面に投げ捨てたが未冬は気づいていない。 

 未冬はといえば、立て続けに起きた事実に混乱して呆然としている。

「車が……車が飛んで……」

「あれはフェイクだった。やられた」

「フェイク?」

「なんでもない。それよりこっちへ」

 凜夏は未冬の手を引き建物の陰に隠れた。二人の姿は影に紛れで文字通りした。

 橋から、覆面の男たちが数人、ロープを下し懸垂下降してきた。男たちは着地するとライフルを構えながら物陰を探した。しかし凜夏と未冬の姿はどこにもなかった。

 ひとりが地面に落ちている血のついたナイフを見つけて拾い上げた。


 架橋の上からその様子を見下ろす仮面の女は、インカムでその報告を受けていた。

 仮面の女が手をかざすとナイフが男の手から離れ、橋の上に飛んでいった。ナイフは、女のところまで飛んでいくとスピードを緩め手元に収まる。

に飛んでいった。

 仮面の女が刃先に真っ赤な血がついているのを確かめる。

До встречи римнаダフストレーチ リンナ(また会いましょう、凜夏)」



 路地裏で息を切らす凜夏と未冬。

 未冬が事情を聞こうとすると凜夏に未冬の肩に倒れこんだ。

「凜夏さん?」

 見ると凜夏は負傷しているが腹の辺りが血で滲んでいる。血は止まっていないようだ。

「大丈夫、慣れてるから」

「慣れてるからって……血がまだ流れてますよ。すぐに病院にいかないと」

「平気だよ……あれ? おかしいな」

 凜夏がよろけて再び未冬に倒れ込んだ。

「ごめん……未冬」

 凜夏は、苦しそうな声で囁いた。

「やっぱり、病院へ行きましょう」

「病院はだめだ。奴らに見つかる」

「で、でも」

「怪我は……怪我は自分で処置できる。だから、どこか休める場所へ連れて行って」

「休める……じゃあ、私のアパートへ」

「そこも奴らに知られてるから危険だ」

「そんなぁ……どこへ」

 周囲を見渡すと薄汚いモーテルの看板が目に入った。

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