第22話

翌朝は素晴らしい晴天でした。

ベッドの中にはよく眠る小夜子と伯爵。ほんのりと明るみの射した部屋の様子で、小夜子は目を覚ましました。


隣では伯爵がすやすやと眠っています。昨夜の傷が気になるところですが、どうやら思った程重症ではないようです。


その様子に一先ず安心し、いつも通り朝の支度を始めました。

夜型の伯爵にとってはまだまだ眠いお時間ですから、このまま起こさないでおきましょう。


とりあえず朝食の準備を……と思っている矢先、伯爵は目を覚まし小夜子の元へとやって来ました。


「お早う御座います。ご気分はいかが?」


「大分いいようだ。どうやら君の手当てが効いたらしい」


ただ包帯を巻いただけでそこまで回復する筈はありません。やはりバンパイア特有の治癒能力が発揮されたのでしょう。


思ったよりずっと状態が良さそうなので、軽快な雑談を持ちかけました。


「ご覧になって伯爵様、いいお天気ですわよ。こんな日はピクニック日和ですわね。思わず外に飛び出したくなっちゃう」


「……」


「お弁当でも作って出掛けましょうか。折角なので大蒜をたっぷり使ったメニューでも!」


「……君は私を馬鹿にしているのかね?」


「うふふ、ごめんなさーい。ちょっとからかってみただけ」


二人のやり取りもすっかり板についてきたようです。

よかった。昨日の様子を見て随分心配したけど、伯爵様も私の冗談に付き合うくらいお元気になったようだわ。

と、小夜子はホッと一安心。


「このままずっと一緒に居られたら……」


独り言のように口から漏れた一言に、小夜子はハッとしました。


「ち、違うのです。ほんの独り言です。別にずっとこの城に置いてくれなんて言った訳じゃないけど、なんだか急にふと思ってしまって」


「判っている。君はいずれ……日本に帰るのだろう?私に引き止める資格などない。時が来たら帰るがいい」


「ええ、その事なんですけど……」


いつになく神妙な面持ちです。


「私、その、明後日には帰らなきゃいけないんです」


突然の告白に、二人の間にはしんとした静寂が流れました。


「そうか」


その素っ気ない、心無いような返答は、明らかに伯爵の心が傷を負っていると判るものでした。

日本に帰ると伝えるのがこんなにも辛い事なんて。

小夜子の心も伯爵と同じように、傷ついていました。


それでも悟られまいと、何とか気丈な声を出して話し続けます。


「帰ると言っても永遠の別れじゃないわ。来ようと思えばいつでも来られますもの。今はね、飛行機と言って空を飛ぶ乗り物がありますから、日本からルーマニアまでなんてあっという間にひとっ飛びですわよ!確かに大学の件もあるし、しょっちゅうは来られないですけど……。次は冬休みとか、春休みとか、とにかく休みがあればいつでも来ます!絶対にお約束します」


小夜子の話を聞き終えるや否や、伯爵は両腕で小夜子を抱え込みました。突然の熱烈な抱擁に少々驚き気味の小夜子です。


「ど、どうなさったのですか?もしかしてまた気がおかしくなってしまったのでしょうか」


「違う。私は極めて正常だ。だからこそ辛いのだ。君がもうすぐ此処を離れて祖国へと帰ってしまう。私の手から逃げてしまう。私はそれが辛い。こんなにも別れが辛いのなら、いっそ気が正常でない方がいくらかよかった……」


伯爵の腕にますます力が入ります。その肩からは震えているような振動を感じます。


小夜子は驚いて暫く棒立ちしていましたが、すっと両腕を伸ばし伯爵の背中を抱え込みました。


「伯爵様、もう一度お伺いします。やはり私の血はお吸いになってくださらないのでしょうか?」


「……」


「私は覚悟出来ています。なんなら此処で身を滅ぼすのではなく、伯爵様の同胞として生きる道も……」


そこまで言いかけると、伯爵がすっと腕を離しました。


「それは私が許さぬ。小夜子。君には君の生きる道がある。君は此処で命を終わらせても、永久に生きてもいけない。君には、君だけには人間として幸福な生涯を終えて欲しいのだ」


「……判りました」


いつもなら食い下がりそうですが、今日はやけに素直です。お別れの時が近付いてしおらしくなっているのでしょうか?


「伯爵様、もう一つお伺いします。今のご気分は、その、御様子はいかがでしょうか?」


伯爵は今日初めての笑顔を見せてこう言います。


「不思議なのだがな、今日は何故だか満たされているのだよ。君が傍に居てくれたからだろうか。腹が減らぬ、とでも言うのか……。血がなくともこの身が満たされているようで、血を欲しないのだよ」


「それはよかった」


小夜子は微笑みます。その時です。伯爵の様子が変わりました。


「誰かが来る……何者かがこの城へ近付いてくるぞ」


伯爵は窓から外の様子を伺おうとしました……。が、出来ません。何しろ外は直射日光で溢れていますから。


「すまないが様子を見てくれないか?」


はいはい、と返事をしつつ小夜子は窓の外を眺めます。まったく本当に使えねーな、このポンコツバンパイアは。


「誰も居ないようですけど」


人間とバンパイアの身体能力は違います。

人間には聞こえない物音、気配。それらをバンパイアはいち早く察知するのです。


「いや、確かに近付いている。いずれこの城へ来るだろう。それも一人ではない、二人、三人……」


こんな場所に何人も揃って何の用かしら?そう考えているうちに、丘のふもとに小さな人影が見えました。

確かに伯爵の言う通り、三人ほどの成人男性が近付いてきます。


「伯爵様のおっしゃる通りだわ。でも変ね。今まで管理人さん以外にこの城へ来る人は居なかったのに」


伯爵の様子が変わります。どこか怯えているような、不安に満ちた表情をしています。


「嫌な予感がする。あの者達、何かの目的でこの城へ来るようだ……」


いつもの小夜子なら「じゃあまた姿を消して隠れていてくださいね」程度にあしらったものですが、伯爵が何かに怯えた素振りを見せるのでそうも言ってはいられません。


「確かに少し様子が変だわ。伯爵様、私外へ行って様子を見てきます。観光客のふりをすれば怪しまれないでしょうし。ついでにあの人たちとお話ししてみます」


そう言うと小夜子は果敢に城の外へと飛びしていきました。


伯爵にはくれぐれも姿を見せぬように、と念押しをして。

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