第14話

管理人が三階へ上がってから数分が経ちます。これだけ広い城内を点検するのですから、まだまだ時間はかかるでしょう。

出来るのなら一秒でも早くこの場から立ち去って頂きたいものです。これ以上長居されると、伯爵の存在に気付かれてしまうかもしれませんから。


小夜子は伯爵が気がかりで、三階へ続く階段の前をウロウロソワソワ行ったり来たり。こういった心境の待ち時間程、長く感じるものはありません。


(やっぱりそーっと伯爵の様子を見に行っちゃおうかしら)


そう考えた瞬間です。


「全く何者なのだあの男は。私の城に図々しく侵入しおって」


「伯爵様!」


神出鬼没の伯爵様。いつの間にか小夜子の背後に気取って佇んでいます。


「隠れていてと言ったでしょう!」


「確かに言われた通り姿を消していたが、その状態を維持するには力を消耗するのだ。これ以上姿を消す事は出来ん」


こんなにも出来ない事を偉そうに言う人も珍しいものです。ここまで堂々としていると憎たらしさを通り越して、いっそ清々しい程です。


「出来んって、まだ管理人さんは城内に居るんですよ!?見付かったらどうするのです!白昼堂々バンパイアが突っ立っていたら、大変なんてものじゃありませんわよ!」


すっかり取り乱した小夜子は、伯爵の手を取りがむしゃらに廊下を走りました。


「何処へ連れて行くのだ!」


「とりあえず隠れられるところへ。じっとしていれば気付かれないと思うわ」


小夜子はそのまま階段を下ろうとします。


「待て待て!私は光が弱点だぞ、忘れたのか!」


「ああ、そういえばそうでしたわね。すみません」


小夜子は庭先に引っ張り出して、繁みの奥にでも突っ込んでおくつもりだったようです。しかし城の外は見事な晴天。

こんな屋外に伯爵を放り出しては、炎天下のアスファルトでのたれ死ぬミミズ

のように干からびてしまいます。


小夜子は二階にある部屋へと伯爵を連れ込みました。

此処は観光客用に公開されている部屋ですが、大きなテーブルや豪華なカーテンなどがあるので、もしかすると身を隠す場所があるかもしれないのです。


「全く落ち着きのない娘だ。騒々しく走り回らずにもう少し優雅にしたらどうかね?」


誰の為だと思っているのですか、誰の為だと。

伯爵がこれ見よがしに優雅な動作で乱れた髪を正している間、小夜子は必死に隠れる場所を探しました。


「伯爵様!此処は如何です?」


其処には大きくて上質なキャビネットがありました。上部はガラス張りで中が見える作りになっていますが、下部は木製の扉付ですので、扉を開けない限り中が見える事はありません。


「まさかとは思うが、この私を狭いキャビネットに押し込む訳ではないだろうな?」


「ピンポーン、そのまさかです」


「馬鹿を言え!何故私がこんな狭いところに潜り込まなければならんのだ!」


「あらあ。そこまで狭くはないですよ。これだけ立派なキャビネットだもの。伯爵様どころかもう二、三人は入っても大丈夫そうですよお?」


小夜子はそのまま、ぐいぐいと伯爵をキャビネットに押し込みます。


「待て!待てと言うに!私は物置の荷物ではないぞ!」


「しーっ。静かに!かくれんぼだと思って我慢してくださいな。もう少しの辛抱ですから」


その時、暫く遠ざかっていた足音が徐々に近付いてくるのが感じられました。どうやら管理人が上の階から降りてきたようです。


「やばっ。こっち来る!伯爵様、くれぐれもお声を出さないようにお願いします」


「ふん、馬鹿にしおって。私一人を此処へ閉じ込めるつもりか」


そう言うと伯爵は、小夜子の腕を掴みキャビネットの中へ連れ込みました。


「きゃっ、何をなさるのです!」


「私はまだ君を信用しきっていないのでね。もしかすると、私を此処へ閉じ込めている間に君は城の外へ逃げ出してしまうかもしれない。だからこうして君を見張っていようと思ったのだ」


伯爵の華奢な手が小夜子を抱き抱えます。まるで誘拐犯が人質を掴むように伯爵の手は強く、小夜子の体を離しません。


「嫌だわ。こんなに狭い所へ押し込まれたんじゃあ、お洋服が皺になっちゃう」


「洋服の心配などをしている場合か?これで君は私から逃げられまい。君のような少女の力では、私の手から逃れるなど不可能だからな」


小夜子は小さく溜息をつきます。


「私、ちょっと心外ですわ。伯爵様にそこまで信用されていなかったなんて」


逃げ出そうなんてこれっぽっちも考えてはいませんでした。だって、折角こんなに面白い伯爵との共同生活が決まったのですもの。逃げ出すなんて勿体なさ過ぎます。


最も小夜子が今まで伯爵が目にしてきた女性のように、ごく普通の感性を持っていたのなら、一刻も早くこの場から逃げ出そうと考えていたでしょうけどね。


「人間は基本嘘吐きだ。本心とは裏腹に、いつも心の中は打算に満ちている。所詮君も一人の人間だ。口先では調子のいい事を言っていても、腹の内では何を考えているか判らぬ」


ええ、確かに小夜子は嘘吐きですけどね。実際伯爵に滅茶苦茶な嘘を叩き込んで、すっかり騙し切ったし。


でも此処から逃げ出したくないのは、嘘ではありません。嘘吐きも時には本音で語ったりするのです。嘘もケースバイケース。わっかんねぇだろうな~。この伯爵。


なんて互いの思惑が交差するうちに、管理人の足音はどんどん近付いてきますよ。ほら、もうすぐ其処に。


「おかしいなあ~。確かにこっちの方で男の声がしたと思ったんだけど。気のせいだったかなあ?さっきの女の子以外に、誰か別の観光客でも来ただけかな?」


どうやら管理人は、伯爵の声を聴き付けて様子を見に来たようですね。一応管理人ですし、城内に不審者が入らないよう、念入りにチェックしているのでしょう。


小夜子と伯爵はこの間ずっと、狭くて暗いキャビネットの中で身を寄せていました。伯爵がどう思っているかは判りませんが、小夜子は今なかなか素敵な気分に浸っていました。


憧れのバンパイア様とこんなに体を密着させて二人きりで過ごすなんて、見様によってはロマンティックなシチュエーションじゃありません?


と、最初こそ思っていたものの、実際は身動きもろくに取れない古いキャビネットの中で見付からないようにと二人コソコソ隠れる様は、せいぜい小さな鼠かゴキブリか何かになったような気分でしかありません。しかも結構埃っぽいし……。


「……どうやら出て行ったようですわね」


できる限り小さな声で、言いました。


「部屋から出て行っただけだ。まだこの城に居る。まったく、どうしてこの城の主である私が、このようなみっともない真似をせにゃならんのだ……」


それから暫くの時間、小夜子と伯爵は狭いキャビネットの中でじっとしていました。何を語るでもなく、ただお互いに口を噤み、静かな時間を過ごしました。

幾らかの時間が過ぎ、漸く管理人は一仕事終え城から出て行ったようです。


「ああ!やっと出られた!何時間もあんな狭い所に押し込められたままなんて、たまったもんじゃないわ!」


ウ~ンと伸びをした後、小夜子はスカートに付いた埃を払います。


「それはこっちの言葉だ!人を荷物のようにあんな場所へ押し込みおって……」


伯爵は相変わらず不満顔。ブツブツお小言を言っています。


「だってぇ~、しょうがないじゃないですか。他に方法がなかったんだし。あっ」


その時、小夜子はアッと気付いた表情をしました。


「伯爵様。今とーっても大事な事に気付いてしまいました。そもそも伯爵様がバンパイアだって事、他の人にはばれていなかったんですよね?だったらわざわざ隠れなくても、普通に人間のフリをして居れば、ただの人間の観光客だと思われたんじゃないかしら?」


伯爵は「お前、馬鹿か?」と言う目で小夜子を見詰めています。

そして小夜子も「どうして貴方も気付かなかったの?」と言う目で伯爵を見詰めています。


「私達って、お馬鹿?」


さっき迄の出来事が余りにも馬鹿馬鹿しく思えてきて、小夜子と伯爵は顔を見合わせたまま笑ってしまったのでした。

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