第8話

夜の帳が下りた街は、すっかり静寂に包まれております。

人々は寝静まり、朧げな月明かりが照らす小さな街並は、まるで連なった墓標のようです。


このような夜は、魔性が動くに相応しいものです。

明かりを消し、暗闇の中無防備に眠る人々は、魔物にとって最も襲いやすい恰好の餌食なのですから……。

少なくとも伯爵はそう考えておりました。呑気な街の人々は、魔物の影にも気付かずすやすやと寝入っているだろうと。


ところが伯爵は、すぐさま妙な違和感に襲われます。夜の闇に包まれた街は人の気配がなく、殆どの者が自宅で寝静まっているように思えました。それは普段と変わらない夜なのですが、ところどころに間違い探しのような見覚えのない違和感が点々としているのです。


街中には小さな明かりがありました。それは、炎の光でもなく勿論月明かりを反射しているものでもなく、自らが輝かしく爛々とした光を放っているのです。


その光は建物や美しく舗装された道路の傍に存在していました。このような小さな明かりが町中に散らばっているお蔭で、真夜中だというのに街は随分と輝いております。


伯爵は非常に戸惑いました。だって普通、夜の闇を照らすと言えば、蝋燭の小さな光やランタン程度の明かりです。

ところが今伯爵が目にする街には、それ以上の眩い光で溢れています。まるで太陽でも取り組んでしまったように。


バンパイアの弱点は光。だからこそバンパイアは、夜に狩りをする夜行性の魔族なのです。しかしどうなっているのでしょう。今は真夜中だと言うのに、町中が明りに包まれております。これでは自由な狩りを楽しむ余地はありません。


しかしここで引き下がる伯爵ではありません。何故こんな真夜中にも拘らず街に明かりが灯っているのか、調査する為に街へと近付きました。これくらいでは引かないのです。


人間の目に見えないように姿を消した伯爵は、恐る恐る怪しい光を放つ街へと近付きました。少しずつ少しずつ、恐るべき違和感を放つ街へと向かいます。


仮にも高貴なる夜の魔物・バンパイア伯爵が、こんなにも恐る恐る動くのは、なかなかどうして情けない姿です。

「押すなよ、押すなよ~」と言わんばかりの慎重な足取りは、直ぐにでも背中を突き飛ばしてさし上げたくなる程です。


ゆっくりと街へと近付いた伯爵は、更に別の違和感をとらえました。

街から漂う、奇妙な異臭。


それは、人間の体臭とも、人間が発する生活臭とも違うものでした。 伯爵の鼻腔を抜ける匂いは、それまでに嗅いだ事のないものです。

なんとも気味が悪く、胸の奥が掻き乱されるような不快な臭いです。伯爵は思わず手で顔を覆いました。


ほんの一眠りしていた間に、伯爵がよく知る街はすっかり変貌したように思えます。

見覚えのない明かりと、嗅いだ事もない悪臭に包まれている。僅か数日間街へ下りないうちに、全く別の世界へと変貌したかのようです。

一体この街はどうなってしまったのでしょうか?


その時です。街へ続く路地の向こうから、何やらやかましい音を立てて何か大きなものが近付いてきました。


馬車でしょうか?いいえ、確かに足は車輪のようですが、肝心の馬が居ません。それに、なんだか大きな鉄の塊のように、不気味なフォルムをしています。


それはまるで猛獣のように低いうなり声を上げながら、猛スピードで突っ込んできました。そして同時に、むせ返るような黒煙と酷い悪臭を撒き散らしています。


そうです。あの悪臭の正体は、どうやらこの不気味な鉄の化け物だったようです。情けない事に、伯爵はこの見覚えの無い鉄の化け物にすっかりビビっちゃっていました。


その化け物はモクモクと臭い煙を上げ、威嚇するような唸り声を出しながら街道を縦横無尽に走り回っています。

伯爵はたまらずその場から離れ、草木の陰から様子を伺う事にしました。


(何故私がこんな覗き魔みたいな真似をしなければならないのだ?)


不服ではありますが、下手に近付いては何が起こるか判りません。ここは一つ、遠目で様子を伺うのが賢明でありましょう。


怯える伯爵が様子を伺っていると、あの鉄の化け物が急に動きを止めました。そして体の側面がドアのように開くと(ドアのようにと表現しておりますが、それは間違いなくドアそのものなのです)なんと中から人間が出てきました。


やはりあれは馬車のような移動手段?いやしかし、それにしては不可解な点が多過ぎます。あの物体が人々を運ぶ『箱』のようなものだとしても、それを引っ張るものが居なければあのように動ける筈がありません。

それとも鉄のように見えるあれは実は生き物で、自ら意志を持ち動いているとでも言うのでしょうか?

いやいやまさか、そんな。


鉄の化け物から出てきたのは、二人の若い男性でした。見るに、随分と酔っているようです。

酒臭い息を撒き散らしながら、響く声で話をしているのがよく聞こえます。


「アーア!まったくよー。こんなクソ田舎じゃ旨い酒もまともに飲めねえってんだ!ったく、観光客だって滅多に来るわけじゃねえしよー!」


「おいお前!さっきのタクシー代割り勘だからな!忘れると困るから今のうちに金払ってくれよ!」


「わかったよーォ、いちいちケチくせぇなあ……」


これ以上彼らの話を聞いたところで何の収穫も得られないと認識した伯爵は、そのまま街を離れて城へと戻りました。

不気味に変質した街や人々へ対する、おぞましい不安を胸に抱えながら……。

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