003.前腕筋群を揉んでみたい

 あの王太子、本当に仕事が早いわ。

 翌日には私の元に人がやって来た。私の文章能力、計算能力、運動能力、etc…を調べていった。

 力量を調べるとは言われたけど。


 アロウラス様の事が怖いと言った侍女 アイリスとは、何故か打ち解けた。あの会話が良かったのかしら?

 筋肉の良さをプレゼンしてみたけど、分かってはもらえなかった。この辺の嗜好は人によるって分かってるから、気にしてないけど。

 でもね、筋肉は至高よ?


「リサ様、王太子殿下からお茶のお誘いが来ております」


 本当に行動が早いわね、あの王太子。

 もう私に関する報告がいったのかしら?


「かしこまりましたと伝えてもらえますか?」


 さてさて、どんな結果になるのやら?

 あの口振りからして、使えないと思われても、この部屋に閉じ込められるぐらいで済みそうだけど。


「アイリスさん、殿下はどんな方なの?」


 途端にアイリスの頰が赤くなる。

 ほほぉ? まぁ、お顔立ちは極上だものね。


「あの通り眉目秀麗でいらっしゃいますし、殿下が王太子になられてからは国内も安定して参りましたし」


 自分で聞いといて何だけど、長くなりそう。

 アイリス嬢が殿下に憧れてる事はよく分かったわ。

 あの見た目が好きなら、確かにアロウラス様はゴツすぎるかも知れないけど、それが良いんじゃないの!

 殿下なんかよりアロウラス様の事が知りたいけど、迂闊に情報を仕入れて好感度が上がったりしたら、日本あっちに帰れなくなるから聞かない。

 はぁ……出来たら帰る前にあの上腕二頭筋に触らせてくれないかしら。それが駄目なら前腕筋群で我慢するから。

 私が殆ど聞いてない事にも気付かず、アイリス嬢は殿下の話をしている。

 ちょっとエリっぽいわね、彼女。


 …………

 ………

 ……

 …


 それにしても話が長いわ。眠くなってきた……。

 まぶたが重い……。


 ぼんやりしていると、逞しい筋肉が視界に飛び込んで来た。

 誰かが息を吸った音が聞こえた気がしたけど、気の所為ね。

 あぁ、もう、触りた過ぎて目の前に幻まで現れ始めちゃったわ。違うか、寝ちゃったんだ、きっと。

 手を伸ばして上腕二頭筋に触る。触れた瞬間、筋肉がビクッと動いた。なんてリアルな夢なのかしら。

 それにしても、パッツンパッツンだわ!

 両手で上腕二頭筋に触る。揉む。


「あぁ、ステキ……」


「えぇっ?!」


 叫び声がした。何よ、せっかくの良い夢なんだから起こさないで。

 頬擦りしても良いかしら? 良いわよね? だってこれ、夢でしょ?


「リサ様! リサ様ーっ!!」


 身体を揺さぶられる。


「起きて下さいませ、リサ様っ!」


 失礼ね。半眼だけど開いてるわ。


「触ってます!」


 触ってます? そうよ、だって触りたいんだもの。

 上腕二頭筋から前腕筋群に手を滑らせる。

 あぁ、ここもバッキバキね。


「アロウラス様を触ってらっしゃいます!!」


 は? アロウラス様を? それなら尚良いじゃないの。私が今一番触りたい筋肉なんだから……。

 ん……? 触ってる……?


 目の前に、硬直したアロウラス様がいた。

 否が応でも、目が覚めた。




 サロンに着いて直ぐに、私の顔を見た王太子は顔を背け、肩を震わせて笑い出した。

 言いたい事あるなら言いなさいよ……。


「リサ殿は、随分と面白い寝惚け方をすると聞いたよ」


 あの後、硬直してるアロウラス様を解凍するのに時間がかかった為、予定の時間よりも殿下とのお茶会の開始時間は遅くなった。


「女性のそう言った話を面と向かってされるのは、こちらの国では当然の事なんでしょうか?」


「これは失礼。くっくっ……いや……マナー違反だよ」


 また笑い出す王太子。


「リサ殿は、レオニードの事、怖くないのか?」


 レオニード?

 誰の事か分からないでいると、王太子が言った。


「レオニード・アロウラス。私の従兄だ」


 アロウラス様のお名前はレオニードって言うのね! やだ、カッコいい! ピッタリじゃないの! レオンとかレオンハルトとか、そういうのも似合いそうだわ!


「怖くないようだな?」


 王太子の問いを無視して妄想してしまってたわ。


「そうですね」


 怖くありません。むしろ大好物ですが何か?

 って言うかどの辺が怖いのよ?


「リサ殿の世界ではレオニードみたいな人間は結構いるのかな?」


「いるにはいますが、多くはありませんね」


 だから困ってるんだって言うのに。

 それにしても、こんな質問を受けたり、アイリス嬢の反応からしても、アロウラス様は苦労してそうね。

 人族とは思えないまで言われてたし。はっきり言って言い過ぎよね。あの完璧な肉体に対して失礼だわ。

 魔物もいる世界で騎士をしてるって事は、必要な存在なんだと思うのに。


 「本題に入るが、リサ殿にはいくつかの適性が見受けられた。文書作成能力、計算能力その他にも」


 そうだったわ、仕事の話で来たのよね。

 アロウラス様の事ですっかり忘れてたけど。


「私の補佐をして欲しい」


「分かりました」


 秘書的な感じかしら? やった事ないけど。

 営業はなさそうだし。


「私の元には宰相を始めとして色んな役職の人間が出入りする。護衛は近衛が務めるが、国防に関しても当然扱うからね、レオニードも来るよ」


 何ですって!!


「精一杯務めさせていただきます!」


 王太子はにっこり微笑んだ。


「よろしく頼む」




 力一杯応えてしまったけど、あれじゃ私が、アロウラス様に会いたいのが丸わかりじゃないかしら?

 喜んでしまったけど、私、日本あっちに戻るのよね……。

 下手に接近して、本気で好きになったらどうしよう?


「お帰りなさいませ」


 部屋に戻った私を、アイリス嬢が笑顔で迎えてくれた。

 可愛いわ。

 オッサン共が若くて可愛い子にデレデレしていた気持ち、結構分かるのよね。


「殿下とのお茶会にしてはお戻りが早かったのですね」


「時間がなくなってしまったから、お茶会と言うよりは、簡単なお話をした、と言う所ね」


「そうだったのですね」


 そうなの、と答えて椅子に腰掛ける。


「明日から殿下のお仕事を補佐する事が決まったわ」


「まぁ!」


 口を手で押さえるアイリス嬢。可憐だわ。私には咄嗟に出来ない反応ね。


「だからなのですね、殿下からリサ様に補佐官の服が届いたのは」


 ……私の反応とか関係なく、決定事項だったって事ね。







 聞いてない!

 聞いてないわよ、こんなの!


 口から文句を出す手間すら惜しい。それぐらい忙しい。

 ただひたすらに書類を捌いて捌いて捌いていく。

 なんなのーーっ!!


 どんな顔して王太子は仕事してるのかと、顔を上げると、涼しげな顔で作業をしてる。

 …………なんか、腹立つわね。

 確かに私はバリキャリなんか目指しては無かったけど、同期の中では一、二を争っていたのよ。

 現代日本で社畜として生きてきた女を舐めるなよ。

 こうなったらガッツリ、やってくれるわ!




「昨日も似たような質問をしたけど、リサ殿の世界の女性は男顔負けの仕事をするのが普通なのか?」


 積み上げられていた書類をふた山片付けた所で、王太子が苦笑しながら聞いてきた。


「人によります。腰掛けの人もいますし、私よりも本気の方もおりますので」


「リサ殿の上ね……恐ろしいな」


 とりあえず咽喉が乾いた。

 お茶を溢したりして書類を汚さないように、水分も摂らずにひたすら作業していたから。


「お茶をいただいて来てもよろしいでしょうか?」


「ん? あぁ、人を呼ぶか」


「いえ、自分で飲む分ぐらいは自分で淹れられますので大丈夫です」


 ついでにちょっとこの魔窟から離れたい。座り過ぎでお尻痛い。


「じゃあ、私のも淹れてくれ」


「殿下にお出しするようなお茶は淹れられませんので、そちらは侍女に命じて下さい」


 何を言ってるのかしら? という顔で殿下を見るも、笑顔を返してくる。食えない笑顔!


「大丈夫、私はそんなに口うるさくない」


 そう言う事言う人が一番うるさいって言うのがセオリーなのよね。


「言質は取りましたよ?」


 勿論、と殿下は笑った。

 この殿下、よく笑うわね。


 侍女に調理場に案内してもらう。侍女はずっと、自分が淹れるからと言い続けていたけど、まぁまぁと誤魔化して案内してもらった。

 実際の所、私のやってる事ってマナー違反なのよね。彼女の仕事を奪ってる訳だから。

 でもねぇ、どうも駄目なのよね。私はただの庶民。聖女のおまけ。それを忘れないようにしないと、ズルズルと甘えそうで。

 人間、堕落は一瞬よ、本当に。


 一番安い茶葉を出してもらう。

 え? 王太子も飲む? そんなの知った事じゃないわよ。私が淹れたのを勝手に飲めば良いのよ。

 え? ティーコージーが無い? 仕方ないわね、適当な厚めの布を借りる。

 私のお茶の淹れ方は、ここでの淹れ方と違うみたいで、侍女だけでなく他の人達も見てたけど、見せものになる程のものでもないわよ?


 ワゴンにのせて執務室に戻る最中、侍女がハラハラした顔をしている。


「こんなに長い間淹れていたら、渋くなってしまいます! やはり私が……!」


「私が淹れて私が飲むんだから、気にしないで」


「ですが……!」


 無視して執務室に戻ると、アロウラス様が殿下の横に立っていた。

 ちょっ! 聞いてないわよ! こんな事ならもっとちゃんと淹れたのに!!

 殿下に視線を向けると、にやりと笑う。

 確信犯か!


「せっかくだから、レオニードにもリサ殿のお茶をご馳走してくれないか」


「職務中ですから、ご遠慮します」


 アロウラス様がそう言うと、殿下が目を細めて言った。


「リサ殿のお茶、二度と飲めないかも知れないけど、レオニードがそれで良いなら」


 そんな事ないわよ! むしろ次回があるなら、次回に全力で淹れるわよ!!


「……いただきます」


 なんですって?!


 ティーコージー代わりの布をポットからどけると、ティースプーンでポットの中の紅茶を二回程緩く混ぜて味を均一にさせる。

 背後で侍女がハラハラしてる気配がする。

 カップに紅茶を注いで殿下とアロウラス様の前に置く。それから自分用のもカップに注ぐ。

 ひと口飲む。うん、丁度良く蒸らされてるわね。


「…………へぇ」


「美味い」


 王太子の顔には意外、と書いてある。ほらやっぱりうるさいんじゃないのよ。

 アロウラス様は口元を綻ばせながら飲んでくれてる。やだもー、その顔も好き!


「これから、私の茶はリサ殿に淹れてもらうか」


 背後で息を飲む音がする。


「侍女の仕事を奪うつもりはありませんので、淹れ方の一つとして侍女に伝えておきます」


「そうしてくれると、リサ殿が元の世界に戻ってからもこの味が飲める」


 それが良いわね、うん。

 アロウラス様を見ると、顔が強張っていた。


「アロウラス様、お口に合いませんでしたか?」


 我に返ったように、アロウラス様は首を横に振る。


「い、いや! とても美味だ、こんなに美味しい茶は、飲んだ事が無い!」


 きゅーーーーん!


 耳まで真っ赤にして、一生懸命褒めてくれるその姿に胸がキュンキュンする。

 やだもー! 反応が良すぎる! 好き!


「お口に合って何よりですわ」


 笑顔を返すと、バキリと音をさせてアロウラス様の持つカップの持ち手が折れ、ソーサーに紅茶があふれ始める。


「まぁっ!」


 慌ててアロウラス様の手からカップの残骸とソーサーを取り上げてワゴンにのせると、紅茶で濡れるアロウラス様の手を布巾で拭く。

 手のひらまで肉厚! しかも大きい! この至近距離!

 ああああ! ステキッ!

 きゃーーっ! 役得ーーっ!

 王太子、ぐっじょーーーーぶ!!


「あっ、いや! この程度、すぐに乾く!」


 慌てるアロウラス様の手に、ここぞとばかりに触れて、布巾で拭く。

 この布巾、もらって良いかしら? 日本あっちに記念として持って帰っても許されるかしら?


「火傷などは、してませんわね?」


 してないって分かってる癖にベタベタと触る私。

 我ながらこの図々しさ、嫌いじゃないわ!


「大丈夫だっ」


 真っ赤な顔のアロウラス様に胸がキュンキュンする。

 あー、本当ヤバいわ、この人! なんて可愛いの!!

 こんなの、好きにならない筈がないわ!!


 好きになったら辛いとか思ってたけど、もう無理!

 だってもう、凄い好き!!!!

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