002.上腕二頭筋に触らせていただいても?

「成功だ!」


「いや、二人いるぞ!?」


 異世界転移のパターンは、興味も無いのにエリから聞かされていたから、知ってる。

 イージーモードなら、言語変換機能が搭載された状態で飛ばされるだろう。

 ハードモードなら、何もかも無く、巻き込まれた挙句虐げられ、奴隷になるなどの不遇な環境に容赦なく叩き込まれる、と。

 言語が通じてる点に於いては、イージーモード寄りだな、と我ながら冷静に思う。

 ハージモードだったらどうしよう。

 その後、大抵見た目だけの馬鹿王子が、本命聖女に傅いて、よくぞ来てくれた聖女よ、とか言って、おまけをガン無視して、異世界ライフが始まるらしい。

 こちらの都合お構いなしに召喚するだけあって、何処までも勝手な印象を受けるラノベ展開。でも、事実もそれと大差ない。


 舞台衣装とは思えない程に豪奢な衣装を纏った、金髪碧眼の美青年が、JKの前に傅いた。

 着させられている感はない。完全に着こなしている。


「初めてお目にかかる。私はこの国の王太子であるアンドリューと言う」


 なるほど、この人が王太子。エリの言う通りに進んでる。テンプレートでもあるのかしら。

 カチンコチンに固まるJKは、あぅあぅ言ってる。

 頑張れ、聖女。


「名前を教えていただけるだろうか?」


 王太子と目が合ったJKは耳まで真っ赤にしながら、「わっ、私は、アユミです!」と答えた。


 不意に王太子がこっちを見た。その目は見窄みすぼらしい私を見ても、侮蔑した様子は無かった。

 …………おや?


「名前を、教えていただけるだろうか?」


「……梨紗です」


 王太子は微笑んだ。


「アユミ殿と、リサ殿。とりあえず説明をしたいので、場所を移動しても良いだろうか?」


 私とJKは頷いた。

 なんかちょっと、聞いていたのと違うわ。でもまだ分からないわね。聖女の手前だから私にも親切にしている可能性は捨てきれないわ。


「荷物を、お持ちしよう」


 声をかけられた方に顔を向けると、騎士の格好をした人が立っていた。服の上からでも分かるがっちりとした体格! 理想的過ぎる。ちょっと今すぐ脱いで筋肉をみせていただきたい!


「失礼……?」


 僧帽筋をガン見し過ぎて反応するのを忘れていた。

 お言葉に甘えてビニール袋を差し出すと、軽々と持たれた。かなり重かったのに。私の手なんて重さでビニールが食い込んで跡が残ってると言うのに。ステキ!


 こんな状況だと言うのに、現金な己に呆れてしまうが、私の関心は、異世界に転移してしまった事よりも、目の前のマッシブなマッチョに傾いていた。




 塵ひとつ無い。手入れの行き届いた高価な家具で揃えられた部屋に通される。

 おまけとして端にでも立っていようと思っていた所を、マッシブマッチョメンにカウチに腰掛けるよう促されてしまった。


 エリが話していた内容では、イージーモードの場合は良い人がいて、その人がアレコレと気を使ってくれる、と。つまりこの私好みのマッチョが、私を気遣ってくれると言う事だろうか? そうであって欲しい。

 そして大体、その世話を焼いてくれる人と恋人になるらしい。是非に! 是非にお願いしたい!

 それであの大胸筋とか上腕二頭筋に触らせていただきたい!


「早速で申し訳無いが、説明をさせてもらおう」


 脳内で筋肉を愛でていた私は、王太子と名乗った人物の声で我に返った。

 惜しい。もうちょっとで上腕二頭筋から僧帽筋に触れる所だったのに。


「先程も軽く名乗らせていただいたが、私はアンドリュー・フィルモア。このフィルモア王国の王太子を務めている」


 フィルモア王国。初めて聞く。

 エリが言うような何処ぞのラノベの世界だったとしても、私にはさっぱり分からない。

 彼女エリなら分かったのかも? そうじゃなくても、このテの環境への理解とか馴染む速度は高速だろう。奴の順応速度は並みじゃない。


「フィルモア王国だけでなく、他国でもそうだが、世界には魔物が存在する」


「私っ! 魔王と戦うとか無理です!」


 聖女が叫んだ。内容からしてこの聖女、ラノベに詳しそうだ。少なくとも私よりは。魔王がいるのか、ラノベの世界には。ファンタジーだわー。

 半泣きの聖女を見て、王太子が苦笑する。


「安心して欲しい。魔王と言う存在はいるにはいるが、特別彼らとは敵対していない」


 魔王とは魔物の王ではないの?

 私と聖女が首を傾げると、王太子が微笑んだ。


「我らの世界には、人族ひとぞく、魔族、獣人など、多種多様な種族が暮らしている。国によっては仲の良し悪しはあるが、現時点で戦争などは起きていない」


 じゃあ、何で聖女呼んだのかしら?


「それぞれの種族は、自分達の住む領域を特殊な力でもって守っている。それにより安全に暮らしていると言う訳なのだが、我ら人族を守護する特殊な力は、聖女の力を必要とする」


 ここで聖女が出てくるのね。


「大変申し訳ないのだが、守護が完成するまで祈ってもらう事になる。勿論、終われば元の世界に送る」


 申し訳なさそうに、王太子の眉尻が下がる。

 聖女ちゃんもホッとしたのか、息を吐いた。

 そりゃそうだよね。魔物と戦いますとか、正気の沙汰じゃないと思う。それが当たり前の世界で生きてきたならありなのかも知れないけど、安心安全な日本と言う国で生きてきて、公募でも他薦自薦関係なく呼び出された挙句に、はい、貴女は聖女に選ばれましたー。今日から魔物と戦って下さいね、と言われてオッケーとは言い難い。

 他の人がどうかは分からないけど、少なくとも私には無理な話。


 用意すると言われてあてがわれた部屋は、おまけには勿体ない程に立派な部屋だった。

 しかも侍女まで付けられそうになったので、全力で拒否した。


「私はただ召喚時に居合わせただけの人間ですので」


「そうだとしても、こちらの都合に巻き込んでしまった事は事実だ。この程度で許されるとは思っていないが、帰還までせめて不自由の無い生活を送ってもらいたい」


 良い人。裏がなければだけど。




 用意されたのはドレス、ドレス、ドレス。

 何かをしようとすれば、何でも侍女がやってくれてしまう。それが彼女の仕事だと言う事は分かる。

 でも、おまけで来た人間がこんな生活に慣れるのはよろしくない。

 聖女ちゃんにはちゃんとお勤めがあるけど、私には無い。いずれ帰るのにこのままでは駄目人間になる。

 そもそも暇過ぎる! せっかく維持した体型も、座ってるだけじゃ崩れる! お茶だってそんなに量飲めないし。

 忙しい王太子に、時間を取ってもらうのは申し訳ない。……が、おまけが勝手する訳にもいかない。良識は持ち続けたい。

 お手が空いた時にでも少しお時間をいただけないか、王太子に聞いてもらえると嬉しい、と侍女に伝えた。


 日本では、バリキャリとは言わないまでも、そこそこ仕事をしていた私だけど、こっちでは女が営業活動するなんてとんでもなさそうだし、侍女から聞いた暇つぶしの方法を聞いたら目眩がした。

 刺繍?! そんなのランドセル背負ってた小学生の時しかした事ないわ!

 お茶会?! 女子会は好きだけど、腹の探り合いとかは苦手なのよ!


 こっちの世界は騎士と言う職業があるだけあって、明確なマッチョがいる。それは大変好ましい。

 城にいる騎士は基本的に貴族で構成されている。

 貴族──そんなの、歴史の授業かイギリス社会ぐらいでしか表に出てこない単語。

 マッチョの為なら努力は惜しまない私ですけど、身分は変えられないし、刺繍とかお茶会とか無理筋なのよ!

 あのマッシブ級マッチョは確かに私の好み! 理想的! どストライク!

 でもあのマッシブマッチョメンは、人族の命運を賭ける聖女の召喚の儀に立ち会えちゃう人──予想するにかなり高い位置にいるだろう事は想像に難くない。

 己が聖女ならまだしも、ただの巻き込まれるおまけがどうこう出来る相手ではない筈。

 何でなの。何でこう、私と言う人間はマッチョと縁が無いの?!

 とにかく、日本あっちに戻った時の為にも、ここでぬるま湯のような生活に浸かってる場合じゃないのよ。はっきり言って。

 聞く所によると聖女ちゃんはお勤め頑張ってるみたいだしね。

 帰れる日もそう遠くない筈。




「暇だから何かしたいが、淑女が嗜む事は好みではない、と言う事であってるかな?」


 忙しい筈の王太子殿下は、侍女にお願いしたその日中には時間を作ってくれた。問題を先送りにしないタイプかしら、大変好ましいわ。

 ちなみに、もっとオブラートに包んで言ったのに、こう返されたと言う事は、多少なりとも私に苛立ってると言う事よね。それは申し訳ないと思うけど、私も死活問題なので嫌味は無視する。

 こんなの上司のネチッこい嫌味に比べたら何て事ないわ。


「さすが王太子殿下、ご理解が早くて大変助かります」


 笑顔を返すと、王太子は手に持っている書類を机に投げると、眉間に寄った皺を指で揉む。


「真似事にしかならないかも知れませんが、何か職務をいただけませんでしょうか。お世話になるばかりは心苦しいので」


「そうは言っても、リサ殿はいずれ帰る身だ。中途半端に何かされてはこちらも面倒だ」


 建前は取っ払う事にしたようね。その方が話しやすいからいいけど。


「それについては理解しておりますし申し訳なく思いますが、そういった人間を上手く使う事も、人の上に立つ者に必要な資質かと思料しますが、いかがでしょう?」


 引き続き笑顔で返す。王太子は笑った。


「言うね」


「お褒めの言葉と受け止めます」


 先程とは打って変わって、王太子は面白いものを見るように私を見る。笑顔笑顔。営業で培った笑顔、舐めんなよ。


「まずはリサ殿の力量を見せてもらおう。その上でどんな適性があるか、何を手伝ってもらうかを決める」


 資料を手にした殿下は、笑顔を見せた。

 話は終わりと言う事ね。オッケー、了解よ。

 お辞儀をする。


「お忙しい中お時間を頂き、ありがとうございました。失礼致します」


 部屋を出ると、侍女が待機してくれていた。まさか待ってるとは思わなかったから、正直に驚いた。


「待っていてくれたの?」


 おまけに城内を好き勝手うろつかせない為かしら?


「リサ様はまだ、城内の造りをご存知ないですよね?」


「ここは三階の南に面した部屋で、五階の東に面したつきあたりから三番目の菫の模様がドアに刻まれた部屋が私の部屋よね?」


 侍女が目をパチクリさせる。


「一度で覚えてしまわれたのですか?」


 この反応。本当に私が覚えてないと思って待っていてくれたんだわ。


「召喚の儀の時と今とで、二回は出入りしているわよ?」


 儀式をした場所に行けと言われたら、一人でも行けると思う。

 子供の頃から、地図を見るとか、道を覚えるのは得意だった。営業職でそれは磨きがかかった。

 顔、役職、名前は大体直ぐに頭に入れられる。


 部屋に向かう途中、あのマッシブ級マッチョとすれ違った。私に気付いて会釈をしてくれた。これだけで好感度アップだわ。あぁ、僧帽筋……。


「今の方は? 儀式にもいらしたようだけど」


「アロウラス様の事ですか?」


 アロウラス様っていうのね。あっちに戻るまでの私の心の慰めとして、脳に焼き付けるわ、あの上腕二頭筋!

 騎士服の上からでも分かるあの筋肉のパッツンパッツン具合!


「どのような方なの?」


「宰相をお務めのアロウラス侯爵様のご次男で、騎士団長をなさっておいでです」


 ホラやっぱり、良いとこのおぼっちゃんなんだわ。

 私の為の筋肉は、あっちにしかいないみたい。

 ため息が出た。


「リサ様も、怖いですよね?」


 怖い? 何が?


「アロウラス様です」


「え?」


「あのような、人とは思えない程の身体。ご両親ともに人族だそうですが、あのような身体、絶対に人じゃありませんわ!」


 侍女は身体を抱きしめるように震わせながら、ぎゅっと目をつぶる。


 何ですって?!

 あの完璧な筋肉が怖い?!


「信じられない!」


「そうでしょう?」


「違うわよ! あんな完璧な肉体が怖いだなんて信じられないって言ってるの!」


「えっ?!」


 侍女は、ドン引きしていた、私に。

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