第10話
ものすごいスピードで幸内邸の門の前に車が滑り込んできた。
かちこみか、といきり立つ組員の前でドアが開き、出てきたのは鷹松だった。
右腿に巻かれた包帯は血がにじみ、ワイシャツの肩には血がにじんでいる。運転中気を失わないために必死だったためか目は血走りものすごい形相だった。
出てきた組員たちもぎょっとした表情を隠せなかった。
「若、頭……」
「親父はいるか?」
手近な組員に聞くと、いると答える。鷹松は頷くと屋敷の中へと入ろうとした。
「か、頭、今兄貴たちを呼んでくるんでここでお待ちを」
「は? 待て、だと」
「そ、そう言われているので」
鷹松は組員の言葉に射るような視線を向けた。その鋭さに組員はおびえたような表情を浮かべる。
「言われてるだあ? 誰にだ」
「それは……」
即座に答えないなら構っていられない。行く手をさえぎろうとする組員を押しのけ鷹松は屋敷の中に入った。靴を脱ぐのに少々手間取り靴を半ば脱ぎ捨ててあがった。
「頭、困ります」
組員の悲鳴が上がる。
鷹松は待ってやる義理はなかった。親父が言っているわけではないだろう。親父が言うならそう言ってるはずだ。違うというのは他のやつが命令を出しているはずだ。
この組で自分より上の立場のものは幸内か、それか譲歩して加州しかいない。違うからこそ強くとめられないのだ。
廊下をどすどすと歩くと何事かと組員たちがわらわら出てくる。だが鷹松の様相に、入り口近くにいた組員のように留められなかった。むしろ道を譲るように脇によってしまった。
「騒がしいな」
やっと声をかけられたのは廊下を曲がったときだった。
包帯を巻かれた壮年の男。幸内と杯を交わしたうちの一人だ。怪我をしているということは親父の盾になってということだろう。男の名は勝浦、と言った。昔からいる叔父貴、古参の一人で、話が出来るやつが出てきたと思った。
「若頭、あんたか。よくのこのこと顔を出せたもんだな」
だが勝浦の言葉は鷹松の予想外なものだった。
「うごけねえように痛めつけろ」
勝浦は自分の舎弟に命令させる。さっきまでの組員たちとは違う、勝浦の命に従う狗達だ。
「若頭、恨まんでくださいよ。今のアンタは……そう、手負いの獣そのものだ」
勝浦の声からは、腹の中で何を考えているかは分からなかった。勝浦が顎をしゃくると、男たちは鷹松に殴りかかってきた。
怪我を負っている鷹松がろくに動けるはずはない。拳が雨あられのように降ってくる。鷹松は歯を食いしばって耐えた。何度も意識が飛びそうになったが、そのたびに口の中を噛み耐えた。今気を失っては、すべてが終わってしまう。
「が、はッ、……ッげぇっ」
男たちの拳が体を痛めつけ、蹴り上げた足が腹部を直撃した。
「やめろ」
鷹松にとって長い長い拷問が勝浦の一言により唐突に終わる。
「親父のもとへ運べ」
男たちは頷き鷹松を両脇から持ち上げた。
無理やり立たされ体中が悲鳴をあげた。声もあげたかもしれない。しかし地獄は先にもあった。
「しっかり歩いてくだせえ」
男たちは引きずりながら鷹松に何度も歩くように強要した。腿から溢れる血は包帯だけでは受け止めきれず床を汚した。最悪だったのは床がぴかぴかに磨かれていたことだ。靴下と血で滑って余計に腿に負担がかかる。
廊下の脇の舎弟たちの視線が刺すようで痛い。仲間と、家族と思っていた人間たちの拒絶の視線。
ひどくひどく長い地獄のような時間だった。
長い廊下を歩かされ、廊下の奥のふすまの前まで来ると、勝浦がふすまを開けた。男たちは鷹松を突き倒すようにして部屋の中へと入れた。
鷹松は無様に膝をおり、地に伏した。
「おう、鷹松すげえ格好だな」
そこに幸内がいた。
他に橋本や堀越、そして上層の歴々がいた。
「お、親父……」
鷹松はよろよろと震えながらなんとか身を持ち上げる。床に両手をつきながら足を無理やり折り曲げた。橋本がかけよろうとして堀越に止められているのが視界の端に見えた。堀越は包帯は巻いていたが顔色はさほど悪くないように見える。重篤でなくてほっとした、というのが鷹松の正直な気持ちだった。
「重役出勤だな、鷹松」
幸内の低い声が鷹松の頬を張った。
「親父の一大事だというのに、……遅れて、申し訳ありません」
鷹松は頭を下げて土下座した。
「まあそれはいい。小事だ。……さてそれよりもだ。鷹松、おめえ、丸暴のデカとつるんで赤崎ンところにちょっかいを出したらしいな。
安形というのは赤崎の親の組だ。子の一大事だ。誠光からにらまれないように本条と安形は接点をあまりもたずにきていた。しかし子からの上納金が減るとなれば話は別だ。安形組から本条へクレームが入った。
「……俺は、そんな仲間を売るようなことしてない」
鷹松は伏せた顔をあげて否定した。散々に殴られ口の端が切れたのだろう。しゃべりにくかった。
幸内は脇息に身を預けながら鷹松をじっと視た。
「そりゃあそうだろうよ。お前はそういうことは嫌いな男だ。だが……」
幸内はタバコをつまみ口に咥えた。すぐさま舎弟頭が火をつけにはしった。一吸いし、煙を吐き出すとふう、と鷹松に向かって煙を吹きかけた。
煙が目に染み鷹松は目を伏せた。
「火のねえところに煙はたたねえ。安形も出てくるし、俺も狙われた。組長が狙われたらよう、鷹松、うちとしてもほっとくわけにはいかねえ。それは分かるな」
「はい」
「赤崎んのところとことを構えなければならねえ。そうしなければうちの沽券に関わるからな。そうすりゃあ本格的にデカが動き出す。暴対法も昨今厳しいからな。そうなると誠光としては本条はつぶすしかなくなる。自分の尻に火がつかんようにな。金が入ってこなくても切らざるをえねえ」
それは痛いほど分かる。やくざは親子関係という言葉で繋がっているが、親は子を守らない。あくまで親が一番で子はトカゲの尻尾だ。都合が悪ければ平気で締め上げられる。
たとえ奇跡的に関係が良くてもだ。
「それは避けねばならねえよ、鷹松。――勝浦」
勝浦は白い包みを手に幸内の脇に膝をついた。
勝浦が包みを開くと銀光りする銃が出てきた。
「分かるな、鷹松」
「……はい」
ああ。加州の言うとおりだった。
自分はどこか期待していたふしがある。
きっと命まではとられないと。鷹松がそういうことをするはずがないと怒ってくれると思っていたところがあった。
でも実際はこうだ。
幸内が銃を手に取る。リボルバーだ。刑事ドラマでもよく使用される銃だった。口径は鷹松の銃と変わらない。弾はもうこめられているのだろう。幸内は指を引き金にあてた。この銃もダブルアクションで撃鉄をあげる必要がない。
鷹松はゆっくりと息を吐き出すと頭上を仰ぎ見た。
「鷹松、てめえは俺の自慢の息子だった。血はつながってねえが息子だとずっと思ってきた。だからお前のタマは誰にもうばわせねえ。……俺の手で奪うことにする。すまんな鷹松。組のために死んでくれ」
やくざものの一生は蠅のそれに似ている。
きたねえものにたかり命をつなぎ、そしてきたねえところで死んでいく。
奇麗なものに手を出せば殺される。
蛆虫は蛆虫でしかなく、お天道さんの下で満足に生きることもできない。
そして同じ蝿は決してお互いを守りあわない。
単独で飛び生きて、単独で死ぬ。
それを選んだのは自分だが、後悔しているかどうかはわからない。深く考えようとすると頭が鈍く痛んだ。まるで考えることを拒むようにだ。組に従え。組に疑問を持つな。それが鷹松の心の中にある柱だった。だから組の、親父の命は絶対だった。望むというなら自分の命くらい差し出す。
鷹松はゆっくりと頭を下げようとした。
そのときだった。
騒がしい声とともに騒々しい足音が聞こえ、ふすまが大きく開けられた。
「ちょっと待ってくれっ」
そこにいたのは駐車場においていった加州だった。
息が上がり髪は乱れに乱れていた。顔は腫れて鼻血の跡がべったりついていて、笑えば女が寄ってくる色男が台無しだ。
「坊、入っちゃなりません」
「坊、危ないから下がって」
若い衆が止める手を払い加州は中に入ってきた。そして鷹松の脇に座った。
「親父、この人を殺すのはちょっと待ってくれ」
幸内は急に入ってきた加州を一瞥すると鷹松に構えていた銃を一旦おろした。
「どういうことだ、諒太」
「俺がわりいんだ。俺がこの人をはめたんだよ」
「……ほう、お前がはめた、と。なんでだ? 鷹松になついてたじゃねえか」
そこで加州は鷹松に話したときと同じようなことを幸内に伝えた。
もちろん加州の告白に辺りはざわつく。警察に仲間を売ったのがまさか組長の実子だとは悪夢だろう。しかも理由が親父への復讐。
「諒太。てめえ、何やってるのかわかってんのかっ」
幸内がここで声を荒げた。
「だって、赤崎が今縄張りにしてるところはもともと本条組のシマだった。だから取り返したところでそこまで大事にならないって」
「大事にならねえだと。シマのやり取りはそれなりの理由がやってやってることだ。それをてめえ自分の怨恨でやりやがって」
「だから、俺が責任を取る。若頭じゃなくて俺でいいだろ。俺は組長の実子だし、十分に手打ちとしての代償になるはずだ」
「おい、待て、諒太」
自分の命を使えという加州に、鷹松は慌てて加州の腕を掴んだ。
「これは俺が悪いんだから俺が始末をつける」
加州はそういうと鷹松の手を払う。
「いいだろう。てめえの言い分聞いてやる」
幸内は鼻息荒くして立ち上がった。息子の告白に怒りで顔を真っ赤にしていた。長年放っておいた罪悪感からひどく気を使って、贅沢させ、言いたいことを言わせて、ねだられれば言われるがままに買い与え、よい扱いをしていたはずの息子が自分を裏切るとは、なんと腹立たしいことか。
先ほどまで鷹松に向けていた銃を加州に向けた。加州も鷹松を押しやり幸内の前に立つ。
二人の間に走る緊迫した空気に上層部でさえ満足に動けなかった。動いたら最後、幸内が銃を撃つ気がしていた。
「ちょ、ちょっとまて」
しかしだからといって放っておいていいはずはない。鷹松は慌てて幸内と加州の間に割り込んだ。
「親父も待ってください。親子同士でタマの取り合いなんてばかばかしいですよ。誰も幸せになってならねえ。加州は放逐すりゃあいいでしょう。披露目もしてねえ奴の命じゃ上も納得しない」
先ほどまで自分は終わりだと思っていたのに、なぜかかばわれると体が勝手に動いた。
親父のためか。
加州のためか。
「事態の収拾は俺の首でつくはずだ。教育係である俺が気づいてやれなかった。親父に頼まれてたって言うのに。だったら責任を俺が取るのは当たり前だ」
「水哉さん、それじゃ意味がねえよ」
加州も必死だった。
かばいあうのは茶番のように滑稽だった。
「それも、そうだな。諒太を殺しても大して得にもならねえ。……馬鹿息子のせいでおめえには迷惑をかけちまうな」
「親父ッ!」
「いまさら親父扱いされても都合いいだけの話だ」
加州の言葉は一蹴された。冷水を浴びせられたかのように加州ははっとした表情をしていた。
「……橋本、堀越、わりぃけど加州を外に出してやってくれ」
「……いいのか」
「ああ」
自分たちを遠巻きに見ていた二人に鷹松は振り返りもせず声をかける。見せなくて良いのかと問う橋本に鷹松は頷く。
「堀越も頼む」
「分かった」
堀越も鷹松の言葉に頷いた。
鷹松を助けられないのはおろか、その場にもいられない。その事実に加州の顔は絶望に染まっていた。
「や、やだっ」
「ほら、おとなしくしろ」
橋本も堀越も組長の実子だからといって遠慮ない。二人は特に巻き込まれた被害者だから遠慮する理由もない。本当はぼこりたいほどだろうに。
「お前のせいで鷹松が責任を取るんだ」
「なんで。俺が悪いのに。親父……父さん、頼むお願いだよっ。ねえ。ねえ、この人を殺さないで」
両脇を押さえられ引きずられると、加州が喚く。
誰も加州のために動くものはいなかった。
ずるずると加州の長い足が畳をすって引きずられていく。
「……諒太」
鷹松は連れ去られる加州に振り返りもしなかった。
「お前は自分のしでかした責任を自分で取れねえ苦しみを知れ。てめえには一番の仕置きだろ」
「水哉さん、水哉さん、やだっヤダああ―――ッ」
加州の悲痛な声が部屋に響いた。ふすまの向こうに連れて行かれてもまだ号泣する声が聞こえる。
胸に痛い響きだった。
鷹松は畳の上に両手を付いた。
「親父、なげえ間、世話になりました」
鷹松は幸内に向かって頭を下げ、礼を述べた。
そして、鷹松の耳に銃弾の音が響いた。
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