UNDELETABLE ーこのバグは削除できませんー

津蔵坂あけび

装着、パワードスーツ!!

 今も夢に見る少女は、腕に継ぎ目がある。


 十代半ばの女性を模したアンドロイド、ニーナ。鉄でできた骨格を覆う塗装は、きめ細かく美しい人の肌のよう。さらりと流れる髪は、合成繊維でありながら絹の手触りに近い。

 ニーナの幻影は、ゆらりと微笑んで。僕はそっと手を伸ばして――いつもそこで目が覚めてしまう。触れることは叶わない。


「お目覚めになりましたか。石黒聡いしぐろ さとし様」


 流暢な日本語で話すニーナによく似た・・・・アンドロイドが、僕に話しかける。彼女は、ニーナと同じモデルの最新機種。より眼球の動きが人間に近くなり、長袖の服で隠さなければいけなかった関節の継ぎ目もなくなった。


 ただ、僕はその進化には慣れていない。


「コーヒーを淹れてくれ。それと朝食の用意も」


 鏡の前で身支度を整えながら、彼女に呼びかける。無機質な機械音声の返事が聞こえた。声もヒトのそれに近いよう改良が進んだはずなのに、僕にはそう聞こえてしまう。


「今日のスケジュールを言ってくれ」


 温かいブルーマウンテンブレンドをテーブルに置いた彼女に、矢継ぎ早に次の要求を伝える。決して、ありがとうとは言わない。決して――恐らくそうすれば、彼女は傷つかないで済む。


「かしこまりました。AIC(アンドロイド 石黒 カンパニー)株式会社技術顧問、次期社長候補、石黒聡様の本日のご予定は……」


 ご丁寧に僕の肩書から読み上げてくれる。ただ、次期社長候補というのは親父の勝手な触れ込みだから訂正してくれ。

 今日のスケジュールもみっちり詰まっている。始業時間九時きっかりから、各チームリーダーとの打ち合わせ。その後は部材メーカーやら広告会社やらとの商談、さらには社長おやじとの面談が定時後に控えている。これがなんとも憂鬱極まりない。


「親父はまだ僕に、この会社を継がせる気なのか」

「はい。石黒隆一いしぐろ りゅういち様の意志は固いです」 


 コーヒーを一口飲んで深いため息をつく。何度断ろうとも、日付が変わればしつこく説き伏せてこようとする。そもそも僕の考えは、親父の経営理念とは、相容れるものではないのに。

 

「お前はあと二年でサポート期間が終了する。それまでにお前をスクラップにしなければいけない。そんなの、おかしいと思わないか?」


 それが、僕が親父のやり方に対してずっと疑問に思っていることだ。

 “機械産業資源再利用法”なるものが、親父とコネのある産業省の政治家によって制定された。あらゆる機械製品はサポート期間終了後に回収され、一度スクラップにされてからリサイクルされる。もちろんアンドロイドも例外ではない。AIC株式会社製のアンドロイドのサポート期間は十年間と決まっている。それ以上の期間を超えての所有は法律上許されない。


「それが、どうかしましたか?」


 彼女から返って来たのは淡泊な返事だった。

 同じ内容を九年前、ニーナに伝えたときは、明らかな拒絶の言葉を発したのに。その数日後にニーナは失踪した。今も行方は分からない。

 あと二年で廃棄されると言われながら、彼女はそれが当たり前かのように受け止め、焼けたトーストとゆで卵をテーブルまで運ぼうとする。


 これが、僕が愛着を持ってしまったニーナと、彼女との違いか。


 そう、心の中で呟いたところで、僕の朝食は、トレイごと床に叩きつけられた。


「そんな当たり前、どうかしているよねえ?」


 トーストは裏返しになって、割れた皿の残骸に埋もれていた。塩を入れた小瓶は割れて、中身がぶちまけてしまった。その惨状には目もくれずに、彼女は俯いたままで僕が常々思っていることを言った。


 待て、それよりも彼女の様子がおかしい。と思いかけた瞬間に、彼女は僕を床に押し倒した。


「やあ、石黒聡くん! 突然だが君のスケジュールは変更だ。今すぐ社長との楽しい面談だよ!」


 けたけたと僕を嘲笑う。声も口調も、さっきまでの彼女のものとはまるで違う。

 必死に振りほどこうとするも、鉄でできた彼女の体重は百キログラムほどはある。同じ見た目の人間の女性の二倍ほどだ。


 逃げられない。

 重い。というか、痛い!


 戦慄で身体中の筋肉が強張る。いや、一瞬でも気を抜いてみろ。彼女に押しつぶされてしまう!


「お前、いったいどうしたんだ!?」

「つれないなあ。前の機体には名前まで付けてくれたのに、彼女にはそれを付けることすらしないで。愛着を持たないのでは、ボクらを使い捨てにする社長と同じじゃないか!」


 彼女は、まるで誰かに乗っ取られているみたいだった。口調もまるきり違う。いや待て、なんでこいつはニーナのことを知っているんだ!?


「お前はいったい誰だ!?」


 ついに引き剥がせた彼女の身体。


「ボクらは、君たちが機械にないはずと願い続けてやまない意識の塊。そうだね、覚えやすいように君たちエンジニアが最も忌み嫌う名前を名乗ってあげるよ。ボクらの名前は、バグだ。何処にでもいる。このバグは削除できない!」


 蹲りながら名乗ったところで、彼女は機能を停止した。

 彼女が洗って乾かし、アイロンもあててくれたスーツが、ぐしゃぐしゃになってしまった。僕が流した赤い血の染みもついていた。


 誰かが会社の製品を乗っ取ったのか? 製品のサポートには、セキュリティの項目もばっちりとある。製品のデータを蓄積しているクラウドは我が社の最も価値ある財産の一つだ。それがハッキングされたのか!? 


 いや、それよりも――


『やあ、石黒聡くん! 突然だが君のスケジュールは変更だ。今すぐ社長との楽しい面談だよ!』


 うちの製品がハッキングを受けたとして、どうして社長おやじとの面談を僕に伝える必要があった? まさか――

 

 親父が狙われているのか。


 そう察した僕は、家の後始末など捨ておいて、車に飛び乗った。毎日のように口論しているが、死んで欲しいなんてこれっぽちも思っていない。


     ***


 高層ビルがひしめく道路を十数分ほど運転し、AIC株式会社の本社/研究拠点に到着した。ゲートをくぐり、社内駐車場に車を停める。通常の出勤日のはずなのに、駐車場はがらんどうで、不自然なほど人の気配が全くない。いっそう、親父の安否が気がかりにかかる。


 どうか、生きていてくれ。


 気がつけば走り出していた。

 エレベータの中で、幼い頃のことを思い出す。ニーナを僕の世話係につけてくれたのは親父だ。そして、ニーナが十年で使い捨てられるということを僕に教えたのも。


 二十七階、社長室にたどり着いた。駐車場からここまでは数分程度。でも、その十倍ほどの長さのように感じた。

 深呼吸をして、ドアをノックする。楠の良い香りを放つドアが、自動で開いた。その瞬間、目に入ったものは――


 血を流して突っ伏す親父と、親父に銃口を向ける一機のアンドロイド。


 そのアンドロイドには、見覚えがあった。

 髪はところどころ抜け落ちている。

 皮膚を模した塗装が剥げて骨格が露出している。


 けど、間違いない。でも、理解できない。


 恐怖なのか驚きなのか、がたがたと震える唇。それを押し切って、愛しい名前を叫ぶ。


「ニーナ! 何てことをするんだよ!」


 無言のまま、こちらに向き直ったその顔は、右半分の塗装が剥げていた。メンテナンスをしなければ、たった九年でここまで劣化するのか。

 僕の記憶の中よりも明らかにぎこちない動きで、銃口をこちらに向けた。


「ニーナ、やめろ!」


 逃げだせばいいのに。もう、親父は死んでいる。

 なのに、僕はニーナに言葉が伝わると思って説得を試みる。


 ズガン!


 銃声が轟いた。思わず目をつむってしまう。


 だが、身体に痛みを感じることはない。ゆっくりと瞼を開けると、視界の中でニーナが銃を投げ捨てて蹲っていた。

 僕は思わずニーナに駆け寄る。


「来ないでください! 私は、あなたの父親を殺したんですよ!」


 僕を制止するその声は、まるで泣いているかのように聞こえる。表情がある声だ。それを聞いた瞬間に、彼女が本心でやったことではないと思えて、僕は少しだけ安心した。


「ニーナはそんなことはしない。きっと誰かが、君を操ったんだ。なあ、そうだろ?」

「――わかりません」


 安心したかったのに。そんな曖昧な返事をするな! 僕はニーナが親父を殺したなんて認めたくない! 肩を揺さぶるも、ニーナは頑として自分が親父を殺したことを否定しなかった。


“つまんないなー。親父の死体を見せつけるところまでは上手くいったのに、とんだバグが発生したなー”


 聞き覚えのある口調が、社内放送から聞こえた。――バグだ。お前か、お前だったのか! やっぱりお前が、ニーナを操っていたのか!!


 僕の怒りを奴はけたけたと笑った。


“ごめんごめん君の親父は、世界で一番初めに殺したかったんだよ。そして君はその次がいいと思ってたんだけど、そこの不良品、、、に任せていると時間がかかっちゃうみたいだね。そこで援軍を呼んであげるよ”


 緊急事態エマージェンシーを伝えるサイレンが木霊する。おそらくは奴が作動させたんだろう。すぐに警備ロボットの群れがやって来る。標的は紛れもなく僕だ。


「聡さん、私を装着してください」


 戸惑う僕の背後で、ニーナがよく分からないことを言った。


「もし、聡さんが危機に陥ったときにと、隆一さんは私に特別な機能を付けてくださいました。私の機械骨格をパワードスーツとして装着できます」


 頭髪にあたる部品が抜け落ちて露わになったスイッチがその機能の解除手段だという。


「一度装着すれば、私はもう元には戻れません」


 それを押そうと伸ばした手が、その言葉を聞いて躊躇した。


「ためらわないでください。あなたの父親を殺してしまった私が、あなたを守るという使命を果たすことができるならば本望です」


 ごくり、と唾を飲み込む。

 このボタンを押したら、もう、ニーナは――


「破壊対象確認! 総員、撃ち方用意!」


 背後から警備ロボットたちの声がした。もう着いたのか。

 僕が生き残るために取るべき行動は、ひとつしかない。意を決してそのスイッチに手を伸ばす。


「ニーナ、ごめん」

「大丈夫です。私の身体は消えても、このバグは削除できません」


 頭部に露出したスイッチをゆっくりと押し込む。スイッチ縁取るリング状のLEDライトが青白く点灯し、機械音声が機体から鳴り響いた。


“TRANSFORM”

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