†DOLLS†

柳 真佐域

第1話『旅立ちの日』



 街を見下ろす小高い丘の上に、一人の少女がいた。少女の傍には、背の高いトリネコの樹の朽木が生えている。東の空に滑らかな薄明這った。夜が明けようとしている。まだ少し吐く息も白い。少女の左手には身の丈ほどもある古びた髙箒と、右手には4、5、6枚の幾何学的な模様が描かれた奇妙な札があった。丘に吹く南からの風が、少女の栗色のショートヘアーをはためかせる。マントの下の萌木色のノースリーブの上着と、白いプリッツスカートから細く伸びる手足は、未だ成長の兆しを残している。顔には、まだ幼さと邪気なさがあったが、肌には若者らしい瑞々しい張りと柔らかさが備わっていた。歳は14といったところか。赤より紅に近い瞳は、朝日に負けないくらいに煌々と輝いている。

「天候良し。風向き、強さ共に良し。体調すこぶる良し!」

 そういうと少女は、箒に札を張り付けた。札は箒に接すると、ひとりでに巻き付いた。一拍おいて、札に描かれた文字が光を帯びて薄紫色に微光する。そして札は姿形もなく箒に溶けて、残った光の文字だけが燐光となって箒全体を光らせると、次第に穂先に光は集まった。そして、風や熱とも違う、形容しがたい不思議な『力』が箒に宿る。少女はそれを見てやると箒に跨り、札や箒を光らせた同じ種類の『力』を体にも宿らせる。何やら実験でも始める前のような嬉々とした表情。次に一つ、言葉を発した。

「クリフト(浮遊)」

 少女の不思議な響きの言葉に光は反応して、なんと箒は少女の体をだんだんと地面から浮かび上がらせた。少女の上には青空しかなく、何かで吊っている風でもない。宙に浮いている。ゆっくりではあるが確実に高度は増し、ついにトリネコの樹の背よりも高い位置に少女は浮遊した。高所からだとより一層眼下の街並みが良く見て取れた。少女はその中でも一番目立つ時計塔に狙いを定める。

「よ~し、ではいっちょ行きますか! スクリプト(飛行)!」

 光りは少女の発した新たな言葉に反応して、光のシャワーとなって穂先から勢い良く噴出した。光の尾を伸ばしながら空を滑空する少女は、いわば流れ星に匹敵するようなスピードを醸し出した。そう、彼女は魔女。人智を超えた魔力を、呪文を唱え操る魔法使いだ。名はキロット=ロットアーク。これはこれから始まる夢にまで見た大冒険の幕開け。数々の苦難と熱き友情、運命の到達点。決意と旅立ちの朝だ。


「どいて、どいて、どいて~!」

 朝市の準備にあくせくする人々に、騒々しい目覚めの叫号が届いた。丘から高速で飛んできたキロットは猛然と疾走し、街に入るなりその箒の加速する力に振り回され暴走していた。手の中で暴れ回る箒に慌てふためき、その制御がどうにも取れない。風よりも早くその勢いは、屋根の瓦を吹き飛ばし、市場の商品を薙ぎ払い、人々に多大な迷惑と吃驚を与えた。驚き逃げる人々の間を間一髪ですり抜け、キロットは何とか箒を操ろうと懸命になった。しかし箒の勢いは増すばかりで、一向に止まる気配はない。

―――このままじゃいつぶつかるかも分からない、せめて高度を取らないと!

 キロットは腕の力を精一杯に、箒の柄をこれでもかと上向きに引きつけた。箒の角度は上がり、だんだんと地面から離れていく。しかしその先にあったのは、窓から窓へと橋渡しされた洗濯物の群れだった。

「うわわわわ!」

 キロットの視界は完全に奪われた。そこからジグザグに飛行して、何とか隙間から前方を見ると風車の羽根が目前に迫っていた。

―――ぶつかる!

 人々から悲鳴が上がったが、寸手のところで箒を捻り、ギリギリ躱すことが出来た。ふぅと一息つくのも束の間、キロットはグイッと後ろ向きに引っ張られた。何があったと後ろを見ると、洗濯物の紐の端が風車に絡みついていた。そのまま絡まった紐を軸にして、キロットは箒の暴走した勢いも相まって、グルグルと見事に4回転した。外へ外へ働く遠心力に耐え切れずに、キロットの身体は彼方まで飛んで行く。だが、奇跡的に市の屋根に使われる布の上を毬のように跳ね飛ぶことで、一命をとりとめた。しかし、衝撃は僅かにでも殺せたが、最後に落ちた先に運が無かった。葡萄酒が詰まった樽の山。もの凄い音を立てて、キロットのお騒がせにやっと決着がついた。風車で回転された気持ち悪さも残っているのに、ぐっしょりと体を濡らした葡萄酒の、まだ口にしたことのない大人の香りに包まれ、キロットはすっかり目を回してしまった。

「痛ててて、さすがに6枚も貼ると効果が違うな。死ぬかと思った」

 体の節々の痛みを確認していると、騒然とした人だかりから、鬼のような形相の少女が歩み寄ってきた。

「キロット! あんたまた何をしでかしてるのよ! 今度は一体何の騒ぎ!?」

 歩み寄ってきた少女の顔が、余りに怖くてキロットは目を反らす。だが、胸倉を掴まれ強引に目を合わせられた。それでもやっぱり直視するのは恐ろし過ぎて、キロットの眼は右へ左へと泳ぐ。

「ク、クロエ。これはあのちょっと飛行実験をしようと思って……」

「『これ』のどこがちょっとなのか説明してもらいましょうか」

 キロットの顔には葡萄酒がびっしょりとかかっていたが、それとは違う大量の冷や汗が流れ出た。キロットの胸倉を掴む少女は、クロエ=アルクヘイド。黒髪のおかっぱと泣き黒子が印象的なキロットの幼馴染だ。キロットの方が早生まれなので歳は一つ下の13だが、高い身長も相まっていわば姉的存在だった。

「あんたは! この大事な時期に! 何を! しているの!」

 アクセントを入れると同時に、クロエはキロットの首を強く降った。

「苦しい、クロエ。お願い、今はよして、死ぬ……」

「全くこんなに散らかして、誰が直すと思ってるのよ!」

 クロエはキロットの脳天に一撃、拳骨を振り下ろす。回転と酔いにさらに火花が加わった。キロットにお灸を据えたクロエは、くるりと向き直って騒ぎで集まっていた人たちに平謝りをした。街の人は騒ぎの正体がキロットであるとわかると、陽気な笑みを浮かべ市の喧噪に戻っていった。中にはキロットに、

「全く元気ばかりは一人前ね、怪我が無くて良かったよ」

や、

「今日も盛大にやったな、キロットのお転婆はすっかり街の名物だな」

 などといった温かい声が掛けられた。

 その後、正気に戻ったキロットは、絡まった洗濯物や、壊してしまった葡萄酒の樽の片づけをしようと思ったが、びしょ濡れじゃ返って邪魔とクロエに言われてしまい、手伝うのはシャワーを浴びてからということになった。クロエはキロットを家まで送ると、戻って片付けの準備をした。キロットの使っていた札に描かれていたのに似ている文字を、地面に描いて魔法陣を完成させる。その上に樽の残骸を置くと跪いて、両の腕を掌でまんべんなく擦り地面に着いた。そして魔力を宿して念じると、壊れた樽は互いに片と片を繋ぎ合わせて見事に修復した。クロエは根源の魔力こそ同じだが、キロットの魔女の性質とは違う、万物の物質の理を操る錬金術士だ。クロエはまだ見習いだが、一人前の錬金術士は鉄を金にも変えることが出来る。クロエの実家は、街でも賑わう腕のいい鍛冶屋なので、これくらいの事は朝飯前なのだ。

「おじさん、ごめんなさい。葡萄酒は地面に染み込んでしまったので戻せなかったけど、樽は」

「いいよ、大丈夫だから。ありがとよ、クロエちゃん。しかしあんまりキロットちゃんを叱ってくれるなよ。騒ぎを起こしてもあの無邪気な笑顔を見ると、何だかんだで許してしまう。それももうすぐ見れなくなると思うと寂しいもんじゃ」

「おじさんも甘いですよ。あの子に旅立ちの日が近いことはしっかり自覚させないと。それに魔女はもっと高潔でお淑やかじゃないといけないのに」

「あのお転婆は母親譲りじゃ。直せるものでもなかろう」

 葡萄酒の持ち主は、そうクロエに言い残して、直った樽を荷馬車に積み始めた。キロットの『実験』を笑って許せる街の空気は温かかった。クロエは洗濯物を元の持ち主に返して再び平謝りをして回ると、シャワーを浴びているキロットの元へと向かった。キロットはまだ酒の臭気の残る髪の毛をタオルで拭いていた。

「それで、今回の騒ぎになった原因は何?」

「ウィクシズには、マテリオの使用方法と箒の試験があるから、おさらいしようと思って」

「へぇウィクシズには暴走した箒の止め方、何て項目で試験があるのね。それは勉強熱心なあんただから、やってみないと気が済まなかったのね」

 クロエの声は語尾にかけてどんどん低くなる。

「ごめんなさい! エースシール(加速札)を6枚付けたら、どれだけスピードが出るか試しました!」

「あんたってヤツは~!」

 クロエはキロットのこめかみを両拳で挟んでぐりぐりと締め付けた。キロットの言ったウィクシズとは、年に一度開かれる職業適性試験のことだった。世界には人間と動植物の他に、魔物が蔓延っている。遺跡やダンジョンに住みつく魔物ならいざ知らず、街に来て家畜や人を襲う凶暴なものもいる。14歳になったキロットは、その試験に合格すれば一人前の魔法使いとして職業を与えられ、それらを討伐するクエストに出ることが出来る。クエストは達成すれば奨金が支払われることはもちろん、水源や鉱脈に巣食った魔物を退治することにより、土地の浄化を図り人々のライフラインを確保したり、遺跡調査で新たな魔導書や魔具の発掘なども手掛けることが出来るのだ。

「まったく、朝早くに出かけたと思ったら大事な時期にこんな騒動を起こして」

「今日は何だか夜が明ける前に目が覚めてね、今までに無いくらいスッキリと気持ちよく起きれたんだ。内容は忘れちゃったけど、すごく楽しい夢も見た。それで何だか世界が違って見えたんだ。マテリオの手入れと朝食を済ませたら魔力が身体の隅々まで巡ってくのが分かって。それでちょっと自分の限界ってヤツを知りたくなったんだ」

 髪の水気をゴシゴシとタオルに移しながらキロットは言った。

「ここには優しくしてくれる人がたくさんいる。アルエ先生やおじさん、街の皆に、クロエがいる。馬鹿やれるのも今日限りになるかもしれない……試したかったんだ、色々。それに本当の魔法使いになるならこのくらいのこと簡単に出来ないと……」

「あんたまだそんなこと言って……本当の魔法使いってミクリアとかユーリカのような三大魔法使いのことを言ってるんでしょ? あの人達は歴史の中でも伝説的変人なんだからね。少しは現実見なさいよ。何遍も口が酸っぱくなるほど言っているのに、まだ懲りてないのね」

 嘆息するクロエに、キロットは言葉を返す。このやり取りも何度やったことか……。

「伝説は積み重なった伝承だよ。辻褄は合うんだし」

「だってそれは……」

「それはそういう風に物語を作ったんだって言いたいんでしょ? でも僕はまだそれを納得するほどズルい生き方をしたくない。僕はこの眼でミクリア達が見た景色を見るんだ」

「……もう、何を言っても聞きやしない。あんたに小言を言うのももうじき出来なくなるのね。で、街を出るのはいつにするの?」

「天気も良いし、風も悪くないみたいだから今日の午後にでも……」

 クロエは口をあんぐりと開け、驚愕、といった表情を浮かべる。

「あんた今日出発するのにあんなことしてたの……? しかも午後って言ったらあと数刻しかないじゃない……! 信じられなーい!」

 クロエは整った自分の黒髪をグシャグシャに掻き乱して感情をあらわにした。

「怒らないでよ、クロエ。準備ならもう済ませて……」

「当り前よ! まったく! まったくあんたってヤツは!」

 クロエは鬼の形相を浮かべると、キロットのこめかみを両拳で挟み、再度ぐりぐりと痛めつけた。


 まだ髪からは酒の臭気は僅かに残っているが、立派な真紅の魔装束に身を包み、ドレスアップしたキロットは、クロエの実家、鍛冶屋『ヨークベルク(太陽の渡り道)』でその主人グレフと、魔法学校の教師をしている妻アルエ別れの挨拶をしていた。

「おじさん、アルエ先生。今まで本当にお世話になりました」

 キロットは深々と頭を下げると、花の咲いたような笑顔を浮かべた。

「この間までうんと小さかったキロットがもう旅立ちの日を迎えるとはね」

「もし落第したらいつでも家で補習してあげるからね」

「もう! 縁起でもないこと言わないでよ、先生!」

 二人は幼少の頃から親代わりをしてくれていた恩人で、クロエの両親である。

「クロエったら何をやっているのかしら? こんな時に。慌てて帰ってくるなり二階の工房に閉じこもっているのよ」

「今朝怒らせちゃったから、顔合わせ辛いのかな」

「いや、もう少し待ってやってくれないか。アレを渡さなけりゃいけないだろうし」

「アレって……」

 と、けたたましい階段を下りる音の後、玄関の扉が勢いよく開いた。

「お父さん余計なこと言わないで! キロットもまだ待ちなさい。旅立ちにはコレを……コレを貰ってからにしなさい」

 息を切らしたクロエから、キロットは一枚のコインを受け取る。

「コイン? これは……?」

 息を落ち着かせて立ち直るクロエは、キロットの方を向いて手を差し出してコイントスのサインを送った。

「これをしながら魔力を込めて、ナウ(実体化)って呪文を唱えてみて」

「?」

 要領を得ないキロットは、コインに魔力を宿しながらコインを弾く。

「……ナウ!」

 弾かれたコインは宙を舞うと、紫煙と共に一本の箒に姿を成した。

「これ……」

「あんたまともな箒持ってないでしょ? これはあたしからの餞別よ」

 どことも言わない宙を見ながら、クロエは頬を赤らめている。

「クロエ……コレ、もしかしてフレングラスの樹で造ったの? 加工が難しいのに、すごい!」

「あんた、無茶ばっかりするからとびきり頑丈な峰から作ったのよ。高かったんだから大事にしなさいよ」

 ますますクロエの顔が火照り、耳まで赤くなるのを見てキロットは幸せに思った。

「一生大事にする! ありがとうクロエ! 大好き!」

 キロットはクロエに抱きつき、体いっぱいで感謝を表した。すると、どこからともなく集まっていた街の人から黄色い歓声が上がった。

「ちょっとキロット! みんなの前で恥ずかしいでしょ!離れなさいよ」

「いやだ、クロエの成分を僕に充電してるんだ。あと十秒は離れないよ」

 ぬいぐるみにでも抱きついている子供のように、キロットはクロエを離さなかった。それを見ていた人々は口々に、

「最後までお熱いね、お二人さん」

 や、

「クロエちゃんもしばらく会えなくなっちゃうかもしれないんだから、ギュってしときなさいよ」

とか、

「いや~ねぇ。奥様、あれが流行りの百合ってやつですのよ」

 などと、口々勝手に声を掛けた。賑やかに旅立ちを祝おうと、集まった人たちの手には、それぞれ色の違う風船を持っていた。これは魔女の門出を祝うこの街の伝統的な儀式で、空を飛ぶ魔女と一緒に飛ばして飛行の安全を祈願するためのものだ。

「ついに旅立ちの時か、元気でやれよ!」

「何処にいても笑顔でいてくれよな!」

「くれぐれも身体を無理のないようにね。体があってこその物種だからね!」

「お前の活躍、期待してるぜ! 世界の果てが見つかったらまた帰ってこいよ!」

 たくさんの喝采を得てキロットは旅立ちを全身で感じた。

「みんな……ありがとう……僕、キロット=ロットアーク14歳、世界の果てを見るべく旅立ちます。たくさんの冒険譚を皆に聞かせてあげれるように、目指すは世界一の大魔法使い。立派になってここに帰って来ます! では……いってきます!」 

 そうして、少女は旅立った。たくさんの風船と共に、どこまでも広く青い青い大空へと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る