子シノノイの死から始まる戦い

 それは先のキバシノノイの子供と思われる、小さなキバシノノイだった。ちんちくりんの毛の塊が一匹、母親についていくようにトコトコと歩いていた。


「かっ、かわいいっ~!」

「騒ぐな! 気づかれるだろ」


 ラズリーはまるで爬虫類のように窓に張り付き、キバシノノイの子供に釘付けになる。

 バームは冷静さを取り戻したのか、そんなラズリーを注意した。


「たしかに愛らしい見た目なのは認めるが、あいつも隣の親ぐらいに成長するんだぞ。間違っても変な気は起こすんじゃない」

「うっさいなぁ、分かってるってば…… 見るだけでしょ。見てるだけ……」


 ラズリーはつまらなさそうになり、キバシノノイの親子がふごふごと鼻先を合せているのを見ていた。少女の手のひらは、ひんやりとした窓から離れない。


 そんな風に魔獣の親子を眺める少女を、バームは横目で見ていた。


 成体のキバシノノイは我が子との触れ合いで気が落ち着いたのか、もう毛を逆立させてはいなかった。やがて小シノノイが母シノノイから離れる。子シノノイは魔導車を認識しているのか、いないのか。鼻をひくつかせながら、魔導車に近づいてきた。


「お! キノコでも探してるのかなぁ?」


 ラズリーは晴れやかな表情でバームに問いかける。小さなキバシノノイが近づいてくるので、上機嫌のようだ。


「かもなぁ。ラズリー、言っておくが触れ合おうだなんて思うなよ。あいつはまだ子供だが、それでもお前がしゃがんだくらいの大きさはあるんだから…… それに後ろで、あの巨大な牙が見守ってる」

「分かってるよ、危険なんでしょ? わたしにはそうは見えないけど…… けど、バームに従うわ。わたしはここから一歩も動きませんよーだ」


 ラズリーはうんざりした顔になって、窓の外を眺める。


 子シノノイは魔導車に近づいてきたが、途中でプイッと進路を変え、どうやら森へと帰って行くようだ。


「あぁ、行っちゃうのね……」


 ラズリーは肩を落として、森へと消えていく子シノノイを目で追う。


「なんだ? 祭りの花火が終わった後みたいに、しょげてんな」

「そう。そうね、そんな感じよ」


 ラズリーは呟いた。魔導車のフロントガラスの前を小さなシノノイが横切っていく。


「あ、マズい…… そっちは」

「プギィッ!!」


 子シノノイの短い悲鳴が夜に響いた。地面から雷がほとばしる。

感電した小さな魔獣は、横向きにぱたりと倒れた。


「あ……」

「うそっ!? そんなっ!」


 バームとラズリーは息をのむ。魔導車の周りに仕掛けた罠が作動し、子シノノイを殺してしまったのだ。小さな命は地面に伏して、ぴくりとも動かない。


「プギッ!? プギィッ!!」


 母シノノイが異変に気づき、子供の元に駆けつけた。地面が焦げて煙が立ち昇っている。罠は使いきりのようで、2度目は作動しない。

 親シノノイは倒れた子シノノイの匂いを嗅いでいる。事態が飲み込めていないようだ。

 母シノノイは自慢の牙でつついたり、我が子の体を裏返したりする。子シノノイの体は粘土のようにゴロンと転がった。


「死んじゃったの?」


 ラズリーは口を両手で覆ったまま、バームに尋ねる。


「ああ、死んだ。即死だ」バームは短く答えた。

「ど…… どうして殺しちゃうのよっ」


 ラズリーは叫ぶのをこらえながら、バームの体を叩く。


「オレが殺したんじゃない。見てただろ、あいつが勝手に死んだんだ」


 答えるバームの声は暗い。


「そんなのっ、言い訳っ……」

「プギイイイイイィィイィィイィッッッ!!!!!」


 子を失ったキバシノノイが、月に吠えた。魔獣の慟哭どうこくが空気を震わせる。魔導車までグラグラと揺れる。

 キバシノノイは全身の毛を逆立たせていた。岩のような巨体が、獲物を探して動き出す。


「おぉ、ヤバ…… ってアイツ、こっちを見てないか?」


 車内の灯りは消している。バームとラズリーは暗闇の中に紛れていた。しかしキバシノノイは、フロントガラスの向こうから燃えるような瞳を2人に向けていた。


 もしかしたらバームの魔導トレーラーを生物だと認識したのかもしれない。白くて四角い箱のような生き物が、電撃で我が子を焼き殺したのだと、そう錯覚したのかもしれない。


 魔獣の考えなど知る術もない。


 だがキバシノノイはひずめで地面を引っ掻いて、魔導トレーラーを威嚇していた。それは、シノノイ特有の”ある前動作”だということを、バームは知っていた。


「嘘だろ!? ふざけんなっ! 《岩壁デーシィ》ッ!」


 バームが杖を抜くのと、魔獣が突進を始めたのは同時だった。そしてバームの呪文により、車の前の地面が盛り上がる。分厚い壁となってキバシノノイの前に立ち塞がった。


「な、なにっ? なにが起きてるの!?」

「大事な車に傷つけられてたまるかよ! 高かったんだぞ!?」


 バームはラズリーに答えたのではなく、キバシノノイに向かって叫んでいた。フロントガラスには土が飛散する。その先には、2mほどの厚みをもった土壁が出現していた。


 壁の中央からは竹の子のように魔獣の牙が生えている。その牙を中心に亀裂が走っている。


「ラズリー、お前は絶対に車から出るなよ!」


 バームはあたふたと動き出した。男は魔導車の後方に走っていく。


「ちょっとバーム! な、なにが起きてるの?!」

「アイツがこの車を敵と見なしたらしい! そんで突進してきやがった。土壁を作って防いだが、そう何回もできることじゃねぇ…… こうなったからにはアイツを、駆除くじょするしかねぇ!」


 男はラズリーの問いに叫ぶように答えた。答えている間も彼は、車の後部に置かれた棚から何かを探し出そうと、箱や段ボールを開けていた。


「やっべぇ、どこにしまったかな。だからしまう場所は決めとけって…… あっ、そうだ!」


 バームは何かを思い出したらしかった。飛びつくように棚の下段に置かれた大きな箱を開ける。バームはさらに中から黒い箱を取り出した。


「よし、よし! あった」


 バームは焦りながらも笑みを浮かべる。まるでそれがあれば、巨大な魔物にも勝てるとでも言うかのようだ。


 バームは黒い箱を開ける。その中から取り出したのは大きなサイズの《魔導銃まどうじゅう》だった。

「ひぃっ!? な、なんで、そんなものがあるの?」

「ちゃんと所持の申告は出してる。ほらどけ、お前を撃つわけじゃないんだから!」


 バームは魔導銃を持っていないほうの手を払い、ラズリーに通路を空けるように言った。少女は慌てて脇に避ける。


「いいか、お前は絶対に外に出るんじゃないぞ!」


 ドアに向かう途中でバームは、ラズリーの目をしっかりと見た。


「『わたしは絶対に、車の外に出ません』 ……ほら、くり返せ!」


 バームはそんな言葉を、強引にちかわせようとする。


「え? わ、たしは絶対に車の外には…… 出ません?」


 ラズリーは困惑しながらも、バームの言いつけをくり返した。


「そうだ。もし最悪なことになっても、車の中なら安全だろう…… だからラズリー、お前はここで隠れていてくれ。何が起きてもだぞ!」


 言い終えて、バームは魔導車のドアに小走りで向かう。


「ねえバームっ!」


 車を降りようとする男をラズリーは呼び止めた。男は振り返る。


「……危ないことは、しないよね?」


 少女は胸の前で手のひらを合わせていた。バームは口を開きかけて、閉じる。苦い笑みを浮かべつつ、彼は月夜の下へと出て行った。

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