第70話震災で電気が復旧するまでの暮らし
宮城県の結構被害の多き所に私は現在も住んでいます。私の住んでいる所は山奥なので、津波の心配はなかったのですが、市の中心や1つ山を越えると悲惨な現状が転がっていました。なんか震災と言うと絆とか結構、乗り越えて復興という明るい所を出していますが、今回はあまり話ませんが、少しスラム化と言いますか…無法地帯になってまぁ、悪い事が当たり前のように起こっていました。私も良くないなって思いながらも、手を染めていました。
私が手を染めたのは生活に必要なものを「永遠に借りる」です。3月でまだ雪も降る寒い時期ではあったんですが、揚げたり、焼いたりする為にガスボンベだとか油だとか、使えるライターやビニール袋、紙皿、紙コップ、洗剤、そういったものを店内がかき混ぜられたお店から「永遠に」借りました。店内は泥とヘドロと生臭いにおいと洗剤が立ち込めてる中で、大丈夫そうな食品も拝借して持ち帰りました。一番大きなものだとガソリンです。車が流されて山積みになってる所に行き、ガソリンを貰ってきました。そして分離をしっかりして、自分達の車に入れて移動したりとかしておりました。これは私の家だけがとかじゃなくて、周りの家の人も、知らない人も探索しに行くと誰かしらは使えるものが無いか探し、持っていくような生活をしていました。
畑や田んぼもしていたので、米と野菜、味噌とかは多少の物は揃っており、それが欲しい近所の人には分けてあげたり、物々交換で取引して飢えを凌いでいました。水は山暮らしなので山水を使っていたので、沸騰させたりして皆で使っていました。「永遠に借りる」中で、幾つかルールを決めました。①危ない噂がある所にはいかない。②万が一の事があったら粘らずに全て投げて津波や危ない人から逃げれる場所で動く事③同じく困っている人の為にも必要以上に取らない事④お金や本、漫画とかには手を出さない事です。(ただし、燃料としての本はOK)です。
印象に残ってる料理が幾つかあります。震災初日の夜に、車庫でぶった切って塩コショウで炒めただけの長ネギと、古ご飯と卵で雑炊を食べた事です。私の家では寒い日に外で食べる習慣はあったのですが、この時はどん底な気持ちを救ってくれるくらいに美味しかったです。次に熱燗です。これを持って来るよりも水だろ!って話なんですが、飲んべえが多い我が家で酒が飲めないと、こんな状況もあり気が滅入ってしまうのです。なので、何本か借りて来てそれで熱燗を飲みました。熱燗は体に染みるって気持ちにさせてくれますが…この時は本当に染み過ぎて涙まで出たのを覚えています。詳しくないんですが、なんかの雑草も洗ってマヨネーズ掛けて食べたり、犬猫を飼っていて、結構探索で穴場になっていた犬猫専用の缶詰も食べました。流石にこれは近所の人もやりたがらなくて、一日一食とかにしていましたが、私達の家族は3食キッチリと食べていました。
街灯も無い夜の空は、地上の悲惨さと反比例で星が凄く綺麗でした。んで、長くて辛い夜は携帯もろくに使えないので、ちょっとだけ懐中電灯とか使って漫画を読んだり、ギターを弾いたりして寝落ちするまで起きていたり、泥棒が出ているって話を聞いたので、見張りなんかしながら生活をしていました。(私達も泥棒ではあるんですが)私の家はオール電化だったので、停電には致命的に弱かったので、夜は焚火をして過ごす為に、朝は薪や竹を切って燃料を作り、山水を汲ん来て、同級生家族が住んでいた時に使っていたドラム缶風呂を近所の人と共同で沸かし、生活用水とか風呂まで熱湯を運んでお風呂にしたりそんな感じです。お昼は同級生と駄弁ったり、使えるものを調達しに出かけてました。
この時に便利な環境で生きていたんだなと、自分の境遇を色々と考える切っ掛けになりました。後、私は確かに暗いのですがこんな状況だと、奮い立たせて明るくなろうと動くんだなってのも分かりました。貴重な体験ではありますが、感謝をしたいとは思いません。やっぱり、知ってる人にも何人か死んでしまった人がいて、周りにも遺体が転がって野ざらしになっている状況とか、暴徒になってる人達、狂った人達を沢山見ました。南海トラフが来ないで欲しいと切に願っています。
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