06.
東方では、「据え膳食わぬは男の恥」なんて格言があるらしい。
ケイン隊長にそんな言葉を聞いたことがあるジェイムズだったが、まさか自分がその格言が適用されるべきシチュエーションに陥るとは、夢にも思っていなかった。
(あぁ……なんか、気持ちいいな)
身体の上に何か暖かくて柔らかいものが乗っているような、安らかな感触。まるで、ラルフ婆さんの家にいる猫達を大きくしたような……って、アレ?
不審に思い目を開けたジェイムズの上には、ひとりの少女が覆いかぶさっていた。
「!」
窓から差し込む月明かりが照らす薄暗い部屋の中、それでも妖精眼持ちのジェイクには、彼女──ピュティアの顔の赤さまではっきりと確認できた。
「うぉっ!? ぴゅ、ピュティア……な、なんで?」
この状況下で何とも間抜けな質問をジェイムズが投げるが、彼女はジェイムズの上に覆いかぶさったまま答えない。
よく見れば、ピュティアは日中の普段着にしているエプロンドレスでも、寝間着代わりの簡素な木綿のワンピースでもなく、白いシミーズ一枚しか身にまとっていないようだ。
十六夜の月光の下でさえ、薄衣越しに少女のやや小ぶりだが形の良い乳房や、ツンと尖ったその先端部をハッキリ確認できる己れの常識外の視力を、ジェイムズは初めて恨んだ。
掛け布団をはがされて密着するパジャマから、ピュティアの体温が伝わってくる。
「旦那さま……」
うるんだ目で少女がジェイムズに何かを訴えかけている。
いくらソチラ方面は奥手とは言え、ジェイムズも健全な若い男だ。彼女が何を言いたいのかは見当がつく。
(えっと……まさかとは思うけど、もしかしてこの娘……俺のことを?)
傍から見ていれば「まさか」も「もしかして」もない。少女が少年に好意を抱いている(そしてその逆も然り)ことなぞバレバレなのだが、いまひとつ自分に対する評価が低めのジェイムズは、ことココに及んでも、彼女の気持ちを確信できないようだ。
無論、嫌われているとまでは思っていない。ふたりの関係は、表向きは、「家主と居候」「主と女中」といった言葉でくくれるのだろうが、半年以上一緒に暮らしてきた現在では、むしろ「家族」という言葉の方がしっくりくる。
しかし、今、彼の顔を至近距離から覗き込むピュティアの顔には、初めて会った頃の遠慮勝ちな恥じらいとも、彼女が作った食事をジェイムズが食べているときのうれしそうな様子とも、まるで異なる表情が浮かんでいる。
「お慕いしております、 旦那さま……」
熱っぽくて力強く、脇目もふらない一途な思いが、ピュティアの瞳からは感じられた。
* * *
辺境警備隊所属の少年隊員ジェイムズが、彼の家でメイドさんをやってる家付き妖精(キキーモラ)の少女に逆夜這いされるに至る経緯は、その日の午後、彼が隊長との真剣勝負に僅差で負け、それなのになぜか王都の戦士団へと推薦を受けた直後にまで遡る。
部外者ながら、隊長の妻であるゲルダ(ちなみに彼女には警備隊の特別魔法顧問という肩書が付いている)の肝入りで、彼らの勝負をこっそり観戦していたピュティアは、ふたり(特に自らの主)が、たいしたケガもせずに決着がついたコトにホッとしていた。
ジェイムズが負けたことは残念と言えば残念だが、それでもケイン隊長も彼のことを認めてくれたようで、めでたしめでたし──と、この時ピュティアは思っていたのだが。
彼女を自宅に招いたゲルダが、告げたのだ。「このままでは、貴方達は離ればなれになる」と。
驚いたピュティアだが、よく考えると、確かにジェイムズが王都に行き、そのまま戦士団の正隊員になれば、今の家から離れざるを得なくなる。
では、彼女も彼について行けばいいのかと言えば……。
「無理ね。貴女もわかっているでしょう?」
そう。キキーモラである彼女は、(暖炉のある)家を離れて長くは暮らしていけない。そもそも、彼女がこの村に来た時行き倒れていたのは、空腹のせいもあるが、生活の拠点となる“家”を喪って衰弱していたことも原因なのだから。
ここから王都までは、馬車に乗って極力急いだとしても優に半月はかかる。対して、家を離れたピュティアの体調は10日ともつまい。
仮に無理して王都に辿り着いたからと言って、ジェイムズが即座に暖炉のある家を購入できるかは、はなはなだ疑問だ。
「──しかた、ないです。私はこちらのお家で、ジェイムズ様のお帰りを待ちます」
「けど、それも今のままでは無理よ」
キキーモラはあくまで「人の住む家に付く妖精」なのだ。空き家では意味がない。
「次善の策としては、ジェイムズくんが王都にいる間、お家を貸しに出して、誰かに住んでもらうことかしら。ちょうどスコットさん家の次男が独立したがってるし」
「それは……」
嫌だった。
キキーモラは、人の家に住ませてもらう代わりに、その家の家事を手伝うことを存在意義とする妖精だ。言い換えれば、快適な住処さえ保証されれれば、その家の住人がよほど非道な存在でもない限り、働くことは厭わない。
けれど、ピュティアは知ってしまった──家に住む返礼として働くのではなく、特定個人のため、その人の笑顔のために尽くすこと、頑張ることの喜びを。
今の彼女は、ジェイムズ以外を主と仰ぐことなど考えられなかった。
「ゲルダさん、なんとかならないでしょうか?」
物知りな年長の女性に、ピュティアは助けを求める。
「うーーん……そうなると、ここは、ちょっと裏技を使うしかないわね」
腕を組んで思案するフリをした(内心では、しめしめとほくそ笑んでいる)ゲルダの言葉に、純真な家付き妖精の少女は、たちまち跳びつく。
「教えてください! 私にできるコトなら、何でもします!!」
「(なんでも、ね♪)そう。ならば教えてあげる。でも、あらかじめ言っておくけど、並ならぬ心構えが必要よ」
「はい、覚悟はできています」
神妙に頷くピュティアに、元雪妖精の女性は、「結魂」と呼ばれる、ある儀式に関する知識を伝授するのだった。
* * *
「駄目だよ、ピュティア。もっと自分を大切にしないと」
頬が触れ合うほどの至近距離で顔を合わせつつ、ジェイムズは彼女を押しとどめる。
おそらく、もっとも親しい「家族」とも言える自分が村からいなくなることに、彼女は不安になって情緒不安定になっているのだろう。
「君には僕なんかより、もっといい男性(ひと)が……」
そう口にしながらも、胸の奥がキリキリ痛むのを、ジェイムズは感じていた。
種族が違うのだから、家族なのだから、と見ないフリをしてきた自分の感情と、今彼は初めてまともに向き合っているのだ。
言うまでもなく、少女のことは憎からず──いや、誰よりも愛しく思っている。
しかし、彼は田舎に住むただの人間の兵士だ。無学で、地位も財産もなく、身寄りもない。
そんな男が、この先、人の何倍も生きるであろう美しい妖精の少女を、己のちっぽけな欲望のために縛り付けてよいはずがない。
そう思ったからこそ、これまで男女の仲になることを避けてきたのだ。
けれど……。
「──どうして、そんなことを言うんですか? 私は、旦那さまが、ジェイムズさんが好きなんですよ?」
いつになく、彼女は強情だった。
「だから、それは……」
「勘違いでも気の迷いでも感傷でもありません!!」
彼の胸にすがりついてジェイムズを離そうとしないピュティア。めったに見せない激情のせいか、彼女の顔も体も少なからず火照っているように見えた。
やむをえない。こうなったら、心を鬼にして無理やり引き剥がすか──そう決意して少女の体を押しのけようとしたとき、一滴の雫がジェイムズの顔に落ちた。
「? ……あ」
それが涙だと理解するまでに数瞬を要した。その間にも、小さな水滴がぽとり、ぽとりとジェイムズの顔にしたたり落ちる。
「いやです……もう私、独りは……うぅ……」
「ピュティ、ア?」
必死に嗚咽をこらえて、彼女は言葉を続けてくる。
「わ、私……ジェイムズさん……のこと、大好きです。離れたくない。あなたでないとダメなんです! だから、お願い、私のことも……受け入れて……」
控えめな少女の悲痛な叫びは、まぎれもなくそれが彼女の真情であることを物語っていた。
妖精少女に何と言ってやればいいのか思いつかず、ジェイムズはただ呆然とピュティアの泣き顔を見上げて沈黙してしまっていた。
「うぅ……ひっく……うぇぇん……」
薄い闇の中、ピュティアはひとりですすり泣いている。
どれだけそうしていただろうか。ジェイムズは、そっと手を伸ばして、ようやく泣き続けるピュティアの頬に触れた。
「悪かった、ピュティア。ごめん……君の気持ちに気づいてやれなくて」
そのまま少女のか細い体をギュッと抱きしめる。
「──ふぇ?」
「正直に言えば、僕だって君と離れたくなんてないさ」
「(グスンッ)ほんとう?」
あどけない幼子のような問いかけに、苦笑しつつ言葉を返す。
「ああ、本当だ。君がそう思ってるなら……恋人にでも何でもなる。だから、ピュティア……君はどうしたい?」
ジェイムズが尋ねると、彼女はジェイムズの体を抱き返して涙声で答えた。
「うぅうぅぅぅ……じぇ、ジェイムズさぁん……!」
ふたりは堅く抱き合って、お互いの身体の温かみを確かめ合っていた。
「じゃ、じゃあ、あの……不束者ですが、よろしくお願いしますです」
しばしの抱擁ののち、気恥ずかしさを堪えつつ、ふたりは、「初めての夜」を仕切り直すことにした。
すでに、妖精少女の口から、今夜の「契り」の意味は、少年兵に説明されている。
「結魂」──結婚と似て非なるそれは、文字通り被術者ふたりの魂を繋ぎ、不可分のものとする儀式だ。
この儀式を執り行ったふたりには魂レベルでの深い繋がりが出来、結婚式の誓いの言葉よろしく「死がふたりを分かつまで」、いや肉体的な死さえ超えて、共にあり続けることになるのだ。
「あ、ああ。こちらこそ、よろしく」
互いに深々と頭を下げたのち、ベッドに、今度は少女が下になる形で横たわる。
緊張による震えを隠したジェイムズの手が、シミーズに包まれたピュティアの身体に伸び、ゆっくりとその胸に触れる。
「あン……!」
あまり大きくはないが華奢な体つきとの対比でそれなりの大きさに見える乳房を触られ、ピュティアは可愛い声をあげた。
興奮する気持ちを抑え、少年は優しく丹念に少女の胸を揉み始める。
「んんっ……あ、あぁ……」
彼女がその刺激に慣れてきた頃合で夜着を脱がせ、一糸まとわぬ生まれたままの姿にする。
「は、恥ずかしい、ので、あままりまじまじ見ないでくださいぃ」
「あ……ごめん。つい」
そこからは、ふたりに言葉はいらなかった。
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