顕微鏡7話 プラナリア

プロットがあるような無いような、行き当たりばったりの物語ですが。

部活というからには顧問がいて、定例の活動もあるんだろうな、と書いてみたら、こんなことに。

中尾先生、大暴走。


「中尾先生」は、中学の時に好きだった先生のお名前を拝借しました。

中尾先生は、50代くらいの女性で、なぜかいつもピンクハウスみたいなフリルやレースに包まれていました。

その甘やかな(?)外見とは裏腹に、ピンと伸びた背筋で、張りのある声で教鞭をとっておられました。

中尾先生は、私の部活の顧問でした。

後にも先にも、私を下の名前で呼び捨てにしたのは、中尾先生だけです。

生徒というより、一人の人間として、まっすぐ私を見て下さったように思います。


授業を面白いと思うのは、脱線したお喋りや、ふと先生が漏らした呟きの中に、先生の学問に対する熱を感じた時でした。

教科書には載っていない、その学問の魅力。


数学、大嫌いだったんですが。

小川洋子氏の「博士の愛した数式」とか読むと、なんて美しい神秘的な世界なんだと思うのです。

こんな授業をしてくれたらいいのに…。

でも、ハードスケジュールの中では、ひとつひとつの公式の成り立ちなんて、語れないでしょうね。


学校にはたくさんの役割が課せられるようになり、学習内容も変わり、先生方は本当に多忙な中で、頑張っておられるのだろうと思います。

高潔な人格者というわけではない、一人の人間が、大勢の児童・生徒を教え、育てるというのは、大変なことでしょう。

赤毛のアンは、「人生を変える出会いは3つある。良き人との出会い、良き教師との出会い、良き本との出会い」という言葉に感動して、教師になりましたが。

私たちに向き合ってくれた先生に、感謝。



プラナリア、出てきちゃいましたね。


高校の生物の授業で、プラナリアの映像を見て、私は衝撃を受けました。

再生実験の映像だったのかもしれませんが、覚えていません。

無音の世界で、悠々と動き続ける姿だけ覚えています。

今、見返すとグロテスクな印象もありますが、当時の私は、とても美しいと思いました。

授業後、私は先生に初めて質問しました。

「切っても再生するなら、どうやって死ぬのですか?」

先生の答にまた、衝撃を受けました。


私は母から、「あんたは一本一本の神経は細くてすぐ切れるけど、より集まって図太くなっている」と評されたことがあります。

我が母ながら、巧いこと言うものです。

強いんだか弱いんだか、分からない。

私はプラナリアに、不思議な親近感を覚えました。

以降、P.Nとして、プラナリアを名乗るようになりました。


今回の話のためにプラナリアについて調べましたが、面白いですね。

グロテスクなようで、どこかキュート。

可能性に溢れた生き物。

少しでも、あやかりたいものです。


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