2日目
一日目に処刑された羊飼いのエリックは人狼ではなかった。村人に擬態した人狼は死したあと一晩かけてその正体を現すが、エリックの死体は朝になっても普通の人間のままである。
『夜中にバーンさんが殺されてしまいました。よって、残り七人となります』
生き残った七人が集まったのは教会の一番広い部屋、つまり礼拝堂だ。扉の向こうから神父の声が聞こえる。教会の中に入ることはできないが、情報がまだ少ない二日目のまとめ役として近くに居てもらおうと、提案したのは例の旅人だった。
『バーンさんの奥様は落ち着かれましたか?』
「村人たちが大人しくさせている」
『手荒なことはなるべく避けていただきたく』
「もうそんな段階じゃないだろ、これ」
扉越しに神父と会話する旅人の頬には切り傷があり、血が滲んでいた。護身用のナイフを手にして暴れていた夫人からそれを取り上げて、なんとか宥めて落ち着かせた村人たちは、少しも動揺していない旅人を胡乱な目で見つめている。
一晩明けて二人減って七人。村人と人狼の人数は四人対三匹。この日の処刑で人狼を見つけ出すことが出来ず、夜中にまた一人が喰い殺されてしまえば、明日の朝には二人対三匹となって皆殺しになってしまう。
「余所者の俺を疑うのは構わないが、ここで人狼を見つけられなければ明日は俺も死ぬんだぜ」
「それは人狼以外の全員が同じだろう」
この中で最も背の高い男――アレンの言葉に他の村人たちも頷く。そりゃそうだけどね、と答えた村人は、そのままの流れで神父に尋ねた。
「人狼が勝ち残った場合どうなるのか、こいつら知ってるのか?」
『昨日はそれどころではなかったので説明がまだでしたね。一匹であればそのまま閉じ込めて大教会の応援を待ちますが、さすがに複数残ってしまった場合は結界が持たないでしょう。そんなに強いものではありませんので』
「つまり人狼が再び村に飛び出して、被害が広がるってことだ」
旅人の言葉に村人たちの表情が変わる。
最愛の者、子供たち、親兄弟、友人、同僚。それぞれ村に残してこの教会に隔離されている。たとえ運悪く生き残ることが出来なくても、ここで悲劇が終わるなら村にいる者たちを守ることが出来る。それで十分ではないだろうかと、一晩明けて覚悟を決めた矢先に明かされた事実だった。
「絶対に、人狼を見つけなければならない」
最年長のオルガの、その力強い決意の声に、旅人と夫人を除く四人の村人たちが頷いて同意した。
「まず、バーン夫人は人狼ではないだろう。可能性が低い、という意味だが」
「異論は無い」
「それからあんた、旅の人――まだ名前を聞いてなかったな」
「名乗る暇もなかったからな」
昨日は教会に集められた時点で日が暮れ始めていた。時間がない中で最低限の説明だけを受け、焦りながら最初の処刑者を決めてしまった。
「エル」
「俺はオルガ。あんたから見て右からアレン、ウィグマン、カーター。奥でバーン夫人と一緒にいるのがジュリア。エル、俺はあんたも今回は処刑の対象から除外するべきだと思う」
「理由を聞いても?」
「あんたが人狼なら『食事』をしてから神父を呼ぶだろう」
旅人が村を訪れたのは最初の被害者が見つかる直前のこと。そして旅人がいなければ、あの死体が人狼の仕業であると村人たちは気が付かなかった。
死体は首元から出血していたが、その身体は欠けることなく綺麗に残っていた。喰われる前だったのだろう。その状態で即座に人狼の仕業だと判断することは難しい。
「この村で唯一それを判別できる神父を教会から呼ばなければ、人狼はもうしばらく『食事』を続けられたはずだ」
「夫人と同じく、可能性が低いから除外する、と」
「あまりにも情報が少なすぎる今は、そうやって消去法を繰り返すしかない。つまり彼ら二人を除いた俺たち五人のうち誰を処刑するか、ということになる」
「五分の三までは絞ったってことか……」
オルガの説明を聞いたアレンが改めて小さく唸った。ここで選択を間違えれば何もかもおしまいである。慎重に考えなければならない。
「昨日は、最初に犠牲になったドビーの死体を見つけたエリックを疑った。しかし彼は人狼ではなかった」
「まずはそこで間違えた理由を考えよう、ってことだな」
落ち着くためにメガネを掛けなおしたカーターにオルガは頷く。
「死体が発見されたのは羊小屋の裏だった。あそこは人目につかないが、羊飼いであるエリックが必ず通る場所だ。最初に見つけることになってもおかしくはない」
「そもそも人狼とはいえ羊飼いが狼だったら、羊たちが騒いだんじゃないのか?」
旅人の言葉に村人たちは口を噤む。動揺していたとはいえ、誰もその可能性に思い至らなかった。
「それに気が付いていたならなぜ、昨日それを言わなかった」
「あくまでも可能性の話に過ぎないし、そもそも彼が羊飼いだったことを俺はいま知ったからな」
村人は全員知っているが、余所者である彼は知らない。数日前に村に赴任して来たばかりである神父も、村人全員の生業までは把握していなかった。
『申し訳ない。私も知らず、気が付きませんでした』
「羊たちが人狼を狼と認識するかどうか、神父は知ってるのか?」
『昼間の人狼は、姿かたちはまったく人間と変わりませんがにおいが違うらしい、とは聞いたことがあります。人狼たちはそのにおいで同胞を見分けると。臆病な羊たちならそれに気が付くかもしれません。あくまでも憶測なので断言はできませんが』
「知っていること、知らないこと、判断の差……」
オルガの呟く声を聞いて、一人の村人が顔を上げる。
「あの、どうしてあの時間に、エリックは小屋の近くにいたのでしょうか。いつもならまだ山にいる時間だと思うのですが」
最年少のウィグマンの疑問に答えたのは、その隣にいたアレンだった。彼もエリックと同じ羊飼いを生業としている。
「夕方から雨が降るって聞いてたんだよ。だからエリックも俺も山から早めに戻ってきて、あれに遭遇しちまったんだ」
「誰に聞いた?」
「カーター」
全員の視線が一人に集中する。小柄なカーターは力仕事が得意ではなく、代わりに村一番の博識で知られていた。天候のことにも詳しい彼の助言だったからこそ、エリックもアレンもその言葉を信じたのだ。
「昨日、雨は降らなかった。降る気配すらなかった」
周りからの視線と、オルガの静かな声でその先の流れを察したのだろう。眼鏡の奥にある瞳に絶望の色を浮かべて、カーターは答える。
「予想が外れることもあるよね」
「……いや、お前は俺たちに言ったんだぞ。向こうの空の様子とこの風向きなら『絶対に』降るはずだから、今日は早めに山を下りた方が良い、って」
人目につかない羊小屋の裏。そんな場所で死体を見つかれば、まずは見つけた者に疑いの目は向くだろう。二人もいればその確率は上がるはずだ。
羊たちが人狼の気配を感じて騒ぐのかどうか、断言はできないが羊たちに騒がれることのなかったアレンが人狼である可能性は低くなる。そのアレンの証言である。
「残念だよ、カーター。エリックもお前も、幼い頃からの付き合いだった」
――処刑される村人は決まった。
礼拝堂の天井の、太い梁から吊るされた縄。即席の処刑台。
それを眺める旅人の視線は、真冬の湖のように冷ややかだった。
*
「舐めさせろ」
昨夜と同じように部屋に入って、いきなりそれである。予想どおりとはいえあまりにも直球過ぎた。
しかし村人たちの前ではそんな素振りを一切見せずに、夜になるまで耐え抜いたのだからそれくらいは許してやっても良いだろう。この人狼は旅人との約束を守り、他の誰にも知られないように旅人の協力をしている。
「ほら、拭わずにそのまま取っておいてやったぞ」
そう言って、寝台に腰掛けていた旅人は自分の頬に付いた血を指さした。浅い傷口は既に塞がっていたが、滲んだ血は乾いてこびりついている。
昨夜のように旅人の両肩を掴み、べろり、とざらついた舌で頬を舐めた。ひと舐めふた舐めで残っていた血はきれいに取れてしまったが、名残惜しそうにぺろぺろと傷跡を舐め続けている。まるで犬のようだ。狼だが。
「そろそろいいだろ。よだれでべたべたになる」
「……よだれも血液と同じ、体液だよな」
何かに閃いたような相手の弾んだ声を耳元で聞いた旅人は、嫌な予感がした。
「おい、何を考えてる」
「噛みつけない、爪も立てられない、でも最初から開いてるところなら問題ないよな」
「開いてるところってお前、んんっ」
顎を掴まれて、口内に舌をねじ込まれる。容赦なく音を立てながら唾液を吸い上げられて、さすがの旅人も動揺する。
裂けることはないとはいえ顎や腕に食い込んだ鋭い爪が痛かった。力強く掴まれて、身動きひとつ取ることができない。
「ん、んん、ふっ、……やめ、」
息継ぎをするように唇が離れた所で、旅人は相手の頭を思いっきり叩いた。
「いい加減にしろ、苦しい!」
「少しくらい良いだろ減るもんじゃなし」
「いや減ってるぞ水分とか……何してるんだ」
ベルトに伸ばされた手を掴んで止めて睨みつければ、狼は目の前でニタリと笑う。
「唾液でこれだけ旨いなら、こっちはもっと血液に近いんじゃないか?」
「……いや、さすがにそれはダメだぞ。ダメだろ。ダメだからな?」
「そうだな。今夜はもう時間がないし、こっちは明日に取っておくか」
「いやいやいやいや」
命の心配の前に貞操の心配をしなければならなくなってしまった。この展開は旅人の想定外だった。
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