3 幼き王女(下)
「……どうしてあなたは、そうまで父たる国王のことを憎んでおられるのですか?」
僕がそのように尋ねると、アンドレイナはその頬の涙をぬぐおうともしないまま、毅然と言い放った。
「それは父が、人間としての心を失ってしまったからよ。他者を虐げて君臨することなど、決して許していいわけがないわ」
「王とは、それほどに非道な存在であるのですか?」
「王だけではないわ。王族も、貴族も、みんな狂っている。そして、あの者たちを狂わせたのは、魔術師たちよ。人魔の術式が、人の心を蝕んでしまうのだわ」
それはかつて、ハンスが言っていたのと同じような言葉であった。
それに、貴き身分という意味では、オスヴァルドにも通ずる部分がある。他の団員たちには気づかれないように注意しながら、僕はひそかに胸を高鳴らせていた。
「人魔の術式が発動されるたびに、人間は人の心を失っていくのよ。そして、身分が高ければ高いほど、おびただしい魔力を注ぎ込まれて、心を壊されてしまう。王家の息女であるわたくしも、いずれは父のように醜悪な存在に成り果ててしまうのでしょう。そんなこと……わたくしには、絶対に耐えられない。だったらこの場であなたがたに嬲り殺しにされたほうが、よっぽど幸福だわ」
「姫様」と、老いし侍女たるマルチェが進み出て、アンドレイナの涙をハンカチで拭った。
しかしアンドレイナは微動だにしないまま、僕の姿をねめつけている。
「なるほど。でも、どうしてあなたは魔族などに一縷の望みを託すことになってしまったのでしょうね? 我々は、250年もの長きに渡って抗争を続けてきた、宿敵なのですよ?」
「だからそれは、あなたがたの中に人間らしい心を見いだせたような気がしたからよ。すべては、わたくしの思い違いであったようだけれどね」
「あなたはデイフォロスから逃げのびてきた貴族たちの話を聞いただけなのですよね? 彼らはいったい、我々のことをどのように語っていたのでしょう?」
アンドレイナは、傲然たる仕草で面をもたげた。
「そのような話をいちいち語るのは面倒だわ。わたくしの心を覗き見ることができるというのなら、好きなだけ覗けばいいじゃない。わたくしは、ただ――」
と、そこでアンドレイナは口をつぐんでしまった。
僕は努めて無表情に反問してみせる。
「ただ、何です? 記憶を覗き見る手間をはぶかせてもらえたら、ありがたく思います」
「……わたくしは、あなたがたを口汚く罵るデイフォロスの貴族たちこそが醜悪な化け物で、あなたがたのほうこそが公正で純粋な人間らしい存在であるなどと思ってしまったのよ」
それだけ言って、アンドレイナはまた口をつぐんでしまう。
すると、侍女のマルチェがお行儀のいい微笑をたたえたまま、僕のほうを見返してきた。
「暗黒神ベルゼビュート様。わたくしどもは、あなたの語らったお言葉をすべて耳にすることになったのでございますよ。それで姫様は、強く胸を打たれたのでございましょうねえ」
「僕の語らった言葉を、すべて? それは、どういう意味でしょう?」
「お城の魔術師が、デイフォロス公爵という御方の記憶をすくい取り、それを王族の方々にお聞かせくださったのです。わたくしも、姫様のかたわらでそのお言葉を耳にする機会を賜ったわけでございますね」
ならば――僕がデイフォロスの全領民に念話で伝えたあの宣言も、一字一句残すところなく、王家の人々に伝えられたということなのだろう。
(なるほど。主観にまみれた当人たちに語らせるより、記憶を開示させたほうが手っ取り早いと考えたわけだな)
そうして、常日頃から現王政に叛心を抱いていた王女アンドレイナも、僕の言葉を聞き届けることになった。
これは、魔術師たちの失策だ。
表向きは平静を保ちながら、僕は快哉を叫びたい気分であった。
「どうして農奴や市民は虐げられなければならないのか……どうして人間は、人魔の術式などで心を歪められなければならないのか……それらはすべて、姫君が常々お口にされている言葉でございました。愚鈍なるわたくしには、そのお心を理解することも難しかったのですが……今ならば、理解できるように思います」
そう言って、マルチェは頭上の星空を見上げた。
「人間とは、こうまで自由であれるのでございますね……わたくしはなんだか、ずっと悪い夢でも見ていたような気持ちでございます」
「ああ、そうか。あなたがたは結界を出たことによって、人魔の術式の影響から解放されているのですね」
それはきっと、ハンスが故郷を捨てたその夜に味わうことになった感慨であるのだろう。
ハンスも、このように曇りのない眼差しで、星空を見上げることになったのだろうか。
「わたくしは、本当の自分をようやく取り戻せた心地でございます。……だから、王都に戻れなどという、そんなご無体なことは仰らないでくださいませ、姫様」
と、マルチェは穏やかに微笑みながら、幼き主人を振り返った。
「マルチェは、最後までお供いたします。エウリコ様も、同じお気持ちでございましょう。姫様のおられる場所こそが、わたくしどもの帰るべき場所なのでございます」
幼き姫君は、怒ったような顔で侍女の顔をにらみあげている。
ただその瞳には、新たな涙がぽろぽろとあふれてしまっていた。
「なるほど。おおよその事情は理解できたように思います。……レヴァナントも、問題はないよね」
『はい』という冷徹なる声音とともに、黒いネズミが僕の懐から顔を覗かせた。
それが僕の肩までちょろちょろと駆けのぼると、エウリコがぎょっとした様子で身構える。
「い、今の言葉は、ネズミが発したのか? なんと面妖な……」
「これは、使い魔だよ。どうも君たちは、あんまり魔族に免疫がないようだね」
そうして僕は、怒ったお顔で涙をこぼしているアンドレイナに笑いかけてみせた。
「王女アンドレイナ、僕からひとつ提案があるのですが、聞いていただけますか?」
「何よ。そちらが下手に出る必要はないのじゃなくって?」
「最初にご指摘された通り、敬意を表しているのですよ。あなたはそれに相応しい相手であるようですからね」
ケルベロスたちの視線を左右から感じつつ、僕は言葉を重ねてみせた。
「新しい王を認めることなど、僕たちにはなかなかできません。僕たちは、人間の王を屈服させようという思いを新たにして、デイフォロスの攻略に挑んだのですからね。僕たちの目的は、あくまで人間族の支配であるのです」
「…………」
「ただし、現王政を捨てたいと願う人間は、配下として迎え入れる準備が整っています。あなたが僕の軍門に下ろうというのなら、喜んで迎えさせていただきますよ」
「…………?」
「現在のデイフォロスは、10名の統治者たちによって統治されようとしています。4名の区長と4名の農園長、そして2名の貴族という構成になりますね。そこに王族であるあなたに11人目として加わってもらえたら、いっそう話も早いのではないでしょうか?」
アンドレイナは、愕然とした様子で目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待って。デイフォロスは、人間たちによって統治されているの? それじゃあ、あなたがたは……?」
「僕たちは、その統治者たちを管理しています。10万名の農民と5000名の市民の面倒など、とうてい見てはいられないですからね」
秀麗なる若者の姿で、僕は肩をすくめてみせた。
「あなたが王族だからといって、特別扱いすることはできません。ただそれは、優遇できない代わりに不遇も許されないということでしょう。だから僕は、あなたにデイフォロスの人々と同じ言葉を届けたく思います。……現在の王と人魔の術式を捨てて、僕たちの軍門に下りますか? 僕たちに逆らったりしなければ、むやみに虐げたりはしないとお約束いたしますよ」
マルチェがその頬の涙を清めている間、アンドレイナは口をつぐんで思案していた。
その末に、張り詰めた声で問うてくる。
「あなたがたは……この世のすべての人魔の術式を破壊しようとしているのよね?」
「はい。そして、魔族にあらがう人間の王に、然るべき罰を与えようと考えています」
アンドレイナはいったんぎゅっとまぶたをつぶってから、また僕の顔をにらみすえてきた。
「承知したわ。わたくしは、あなたの軍門に下ります。……そして、人間の統治者に相応しい存在となってみせるわ」
僕は「けっこう」と微笑みながら、無言でたたずむケツァルコアトルのほうを振り返った。
「ケツァルコアトル、君は治癒の術式は得意かな?」
「ふむ。我が君はそれほどの魔力をお持ちでありながら、治癒の術式を苦手にしておられたな」
ケツァルコアトルは僕の言わんとすることを明敏に感じ取ったらしく、幼き王女の前にまで進み出て、その小さな右の手をそっとすくい取った。
王女の右の手首から先が、銀色の光に包まれていく。
騎士のエウリコは血相を変えてケツァルコアトルにつかみかかろうとしたが、それは王女自身が「待って」と止めた。
しばらくして、ケツァルコアトルは王女の手を解放する。
銀色の輝きが消失すると、その手の甲に刻まれていた黄金色の紋章も、跡形もなく消失していた。
王女はその手を左の手で包み込み、「ああ」と息をもらす。
その目から、また新しい涙が噴きこぼれていた。
「これで……これでわたくしは、もう2度とおぞましい人魔にならずに済むのね?」
「はい。その清らかなる姿こそが、魔族の配下となった証です」
そう言って、僕は幼き王女に笑いかけてみせた。
「魔族の支配する世界にようこそ、アンドレイナ王女。僕たちは、あなたがたを歓迎いたします」
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