2 幼き王女(上)

 その後、王都にあやしげな動きはないという報告を受けた僕は、王女アンドレイナを乗せた荷車とともに、仲間たちの待つ岩場へと引き返すことになった。


 いきなり数百名もの魔族と相対したら、幼き王女がひっくり返ってしまうかもしれないので、岩場の端に腰を落ち着けたのち、数名の腹心にだけ集まってもらう。その顔ぶれは、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミア、ケルベロスとケツァルコアトルの4名とさせていただいた。


「まあ見て、エウリコ! あちらの魔物は、顔にまで鱗や羽が生えているわ! ……あちらの魔物なんて、血涙石のように赤い瞳ね! なんて恐ろしげな姿でしょう!」


 幼き王女は興奮しきった面持ちで、従者の騎士たる若者の腕を引っ張っている。いっぽう騎士たる若者のほうは、警戒心の塊となって僕たちの姿を見回していた。


「……では、そろそろ本題に入らせてもらってかまわないでしょうか、王女アンドレイナ?」


 僕がそのように切り出すと、アンドレイナは我に返った様子で表情を引き締めた。


「ええ、かまわなくってよ。えーと……ごめんなさい、あなたは何というお名前であったかしら?」


「僕は魔族の君主、暗黒神ベルゼビュートと申します」


「ベルゼビュート様ね、ありがとう。他の方々のために、わたくしももうひとたび名乗りをあげさせていただくわ。……わたくしはジェルド王家の第一王女、アンドレイナと申すものよ。こちらは騎士のエウリコ、こちらは侍女のマルチェね」


 つんと取りすましたお顔で、幼き王女アンドレイナはそのように紹介してくれた。

 綺麗にくしけずられたプラチナブロンドの髪に、海のように青い瞳をした、実に愛くるしい10歳ていどの幼女である。人目を忍ぶための粗末なフードつきマントを脱ぎ捨てると、そこから現れたのはリボンとフリルだらけの白いドレスであったので、まるでフランス人形のごとき様相であった。


 若き騎士たるエウリコのほうも、いかにも騎士らしい精悍かつ端正な面立ちをした若者で、その全身から幼き王女への忠誠心をみなぎらせている。年齢は20歳前後で、白い軍服のようなものを纏い、腰には長剣を下げている。髪と瞳は、どちらも深みのあるダークブラウンだ。


 最後の1名、侍女のマルチェは、髪の白くなりかけた老女であった。ころんとした身体に藍色のエプロンドレスを纏っており、ふくよかな顔にはお行儀のいい微笑をたたえている。前でそろえた手の甲には、従者の証である銀色で棒状の紋章が刻まれていた。


「それでは、本題に――」と僕が言いかけると、幼き王女は「あら」と不満げな声をあげた。


「わたくしは従者の紹介をしたのに、あなたはそちらの方々を紹介してくれないのかしら? わたくしは亡命を希望する身だけれど、相応の敬意を払っていただきたく思うわ」


 僕は苦笑を噛み殺しつつ、「失礼しました」と応じてみせた。


「これらは皆、僕の腹心です。蛇神兵団副団長のケツァルコアトル、魔獣兵団駐屯部隊長のケルベロス、そして侍女のハーピィにラミアと申す者たちですよ」


「ありがとう。あなたは、ケツァルコアトルと仰るのね。とても凛々しくて、素敵だわ」


 ケツァルコアトルは、凛々しき無表情のまま小首を傾げていた。僕と同様に、この幼き王女の内心をつかみかねているのだろう。


「……では、本題に入らせていただきましょう。あなたは魔族の版図への亡命を希望されているのですね、王女アンドレイナ?」


「ええ、そうよ。わたくしだけではなく、エウリコとマルチェもね。わたくしたちを、受け入れてくださるのかしら?」


「あなたがたを僕の版図に迎え入れることは、やぶさかではありません。ただ、亡命という言葉の意味は吟味する必要があるでしょうね」


「言葉の意味? まあ、そうね。これまで人間と魔族の間で亡命を果たした存在などはないのでしょうから、あなたが慎重になるのも理解できますわ、ベルゼビュート様」


 本当にこの王女は外見通りの年齢なのだろうかと、疑いたくなるような言動であった。

 そんな僕の気も知らぬまま、アンドレイナは得々と言葉を重ねていく。


「わたくしジェルド王家の第一王女アンドレイナは、魔族の版図において新たな王権を確立させたいの。そのために、あなたがたのお力をお貸しいただきたいというわけね」


「新たな王権を……確立?」


「ええ、そうよ。わたくしは現在の王である父とその王政を打倒して、ジェルドの新たな王となります」


 僕はしばし、思案することになった。

 その間に、ケルベロスが「なに言ってんだ、こいつ?」と人の悪い笑い声を響かせる。


「俺たちは、人間の王をぶっ潰すために戦ってるんだぜ? 手前が新たな王になろうってんなら、手前のこともぶっ潰さなくちゃならねえなー」


「あら、あなたたちの目的は、人間の殲滅であったのかしら? もしもそうなのだとしたら、わたくしも考えを改める必要があるのでしょうね」


 アンドレイナは臆した様子もなく、ケルベロスを振り返った。外見上は、どちらもちんまりとした10歳児である。


「デイフォロス公爵領から逃げのびてきた方々に、あなたがたのお話をうかがったの。デイフォロス公爵領を占領したあなたがたは、人魔の術式を破壊した上で、すべての民を配下とした、と聞いたのだけれど……それは、間違いであったのかしら?」


「だったら、何だってんだよ?」


「民には、率いるべき君主が必要でしょう? わたくしは、正しき王として民たちを導いてあげたいの。そして、魔族の方々と恒久的な平和条約を結びたいと願っているわ」


 ケルベロスは「はん」と鼻で笑った。


「だから、どうして手前が対等な立場なんだよ? 手前は何の力も持ってない、ちっぽけな人間の小娘だろうがよ?」


「わたくしは、王家の第一王女よ? それでも、不服があるというのかしら?」


 ケルベロスは小馬鹿にしきった様子で肩をすくめて、それ以上は語ろうとしなかった。

 その間に考えをまとめることができたので、僕が口を開くことにする。


「王女アンドレイナ、あなたはどうしてそのような考えを抱くことになったのですか? まずは、そこからお聞かせ願います」


「わたくしは、現在の王国の在りようが間違っていると考えているの。間違いの根本は――魔術師と、人魔の術式なのでしょう」


 アンドレイナは、断固たる口調でそう言いたてた。


「この王国を支配しているのは、王家ではなく魔術師たちよ。貴族ですらない魔術師たちが、この王国を隅から隅まで牛耳っている。それは、魔族と戦うために人魔の術式が必要であり、そして、人魔の術式を制御できるのが魔術師たちのみであるからだわ。だったら、わたくしが為すべきことは、ただひとつ――人魔の術式を必要としない世界を作りあげること。わたくしは、そのような考えに思い至ったのよ」


「なるほど。そのためには、魔族と恒久的な平和条約を結ぶしかない、と。それは確かに、理にかなったお話なのでしょうね」


「そうでしょう? だからわたくしに、新たな王権を――」


「でも、あなたを新たな王とすることで、我々にどのような得があるのでしょう?」


 僕はあえて、アンドレイナの言葉をさえぎってみせた。


「僕たちは、自力で人魔の術式を破壊するすべを見出しました。あなたの存在などとは関わりなく、現王政を叩き潰して、王に然るべき報いを与えようとしているさなかであるのです。そこに、あなたの存在など介する必要は、どこにも見受けられません」


「そんなことはないわ。わたくしは、ジェルド城についてたくさんの情報を携えているし――」


「我々は、あなたの記憶を盗み見るすべも携えています。今この瞬間にもあなたを眠らせて、その頭の中にお邪魔することもできるのですよ」


 若き騎士たるエウリコが、瞋恚に目を燃やして長剣に手をかけた。

 アンドレイナは「およしなさい」と、それを制する。


「そう。魔族には、そんな忌まわしい真似ができるのね。まるで、魔術師みたいだわ」


「それは話が逆なのでしょうね。人間の身でありながら魔術を駆使する魔術師のほうが、魔物のまがいものであるのだと思いますよ」


「そう」と、アンドレイナは小さな唇を噛みしめた。


「あなたがたが魔術師と変わらぬ忌まわしき存在であるというのなら……交渉の余地などないのでしょうね。それじゃあ、ひとつだけお願いを聞いてもらえるかしら?」


「お願いですか。それをかなえることができるかどうかは請け負えませんが、いったいどのようなお願いであるのでしょうね」


「わたくしのことは、どのように扱ってもかまわないわ。でも、このエウリコとマルチェはわたくしのために付き従ってくれただけなの。騎士や侍女なんて重要な情報を携えているわけがないのだから、この者たちだけでも王都に返していただけないかしら?」


「姫、何を言っておられるのですか! 我々は、最後までお供いたします!」


「うるさいわね。あなたの意見なんて聞いていないわよ」


 アンドレイナは傲然と、僕をにらみすえてきた。


「さあ、どうなのかしら? あなたのお返事を聞かせてちょうだい、ベルゼビュート様」


「あなたはずいぶんと勇敢であられるようですね。でもそれは、無謀や蛮勇と言い換えたほうが相応であるかもしれません。……あなたはどうして魔族などに、そのような交渉を持ちかけようと考えたのですか? こうなることぐらい、予測できたでしょう?」


「いいえ。できなかったわ。デイフォロス公爵領から逃げのびてきた貴族たちの話を聞いて、わたくしは……あなたがたのほうにこそ、人間らしい心を感じたのよ」


 アンドレイナの小さな顔には、王女に相応しい威厳と覚悟がみなぎっていた。

 そのなめらかな頬に、つうっと透明の涙がこぼれる。


「だけどそれは、わたくしの思い違いであったようね。馬鹿な望みを抱いたわたくしには、破滅こそが相応しいでしょう。……そして、あなたがたが頼りにならないのなら、父を討つ手段も残されていないわ。だったらこんな無意味な生命は、喜んであなたがたに捧げましょう」

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