#46 : Shall We Dance? / ep.3
「……以上が《ワルツ》の基本ルーティン。とりあえず繰り返していれば、社交ダンスを知らない人達の目はごまかせるはずです。ちゃんと嗜んでいる方はすぐに見抜いてしまうでしょうけれど」
パッ、とシャンディがクローズド・ポジション――右半身同士を密着させた姿勢から離れた途端、美琴はスタジオの床に思い切り尻餅をついた。
足がガクガクだ。膝が笑っている。普段使っていない筋肉をふんだんに使ったおかげでじわりと乳酸の痛みが始まっていた。翌日には間違いなく筋肉痛がやってくるだろう。
「あらあら、少々振り回しすぎました?」
「む、無理……。なんでそんなに平気なの……」
「経験者ですから。リフトがある訳でもありませんし」
どこから出してきたのか、シャンディはスケッチブックを用いてステップの動きを事細かに説明し始めた。足の形と思われる絵が点々と連なっている。
美琴が最初に舞った《ナチュラル・ターン》は、実はその直後に《スピン・ターン》というステップに接続し、六拍使った《ナチュラル・スピン・ターン》という動作になる。このターンによって踊り始めから向きが180度回転し、その後の動作に繋がっていく。
「ワルツは会場を反時計回りにぐるぐると回りながら踊ります。この《ナチュラル・スピン・ターン》によっていったん向きを変えて、《リバース・ターン》、《ホイスク》、《シャッセ・フロム・PP》で向きを戻し、再び《ナチュラル・スピン・ターン》から繰り返すというのが初心者向けの流れです。分かりました?」
「ほえー」
「まあ、無理もありません。一週間後の本番に間に合わせるため、これでもかなり詰め込んでいますもの」
シャンディが何を言っているのか、美琴にはさっぱり分からなかった。「休憩しましょうか」と告げられ、壁際に二人もたれながらスタジオを見渡す。スタジオの端では早苗がようやく掴まり立ちを卒業した。現在は久瀬文香を相手に、シャンディがやったのと同じステップを一歩一歩確認しながら丁寧に学んでいる。
教え方がまるで違う。やはりシャンディは真面目に教えているようで、美琴で遊んでいただけらしい。くたびれ儲けだと肩を落とす美琴の一方、早苗のたどたどしいステップを一瞥してシャンディは「ふふ」と嘲笑した。
「ホント、早苗さんは負けず嫌いですねー」
「シャンディさんと似てるよね。似た者同士だから嫌いなの?」
「似てますかぁ?」
失礼な、と言わんばかりの下弦の瞳に魅入られて、美琴は思わず笑ってしまう。慇懃無礼ながらも自由気ままなシャンディが時折見せる気の抜けた顔もまた愛おしい。
「似てると思うけどね。優秀でプライド高くて負けず嫌いで。自分の気持ちを素直に言えないところとか」
「ふーん? あたしの何が分かるのかしら?」
「当ててみせましょう。それは照れ隠しです」
「あら、どうでしょうね。演じているだけかもしれませんよ?」
「私への愛情まで演じているような物言いですね。あれだけ愛し合ったのに?」
「本当に美琴さんを愛していると思います?」
「相変わらず、謎をまとうのがお好きなようで」
「謎を含めて愛していただけるそうですから」
「……愛してますよ」
甘い、思わせぶりな言葉の応酬では、何度挑んでも負けてしまう。傍らに座るシャンディに肩を寄せて無言の返答をすることしか、美琴にはできなかった。
右肩から伝うシャンディの温度とオレンジの香りが心地よい。
「あらあら、骨抜きになっちゃったのかしら?」
「言わせないで……」
「おいで」
ゆっくりシャンディに抱き寄せられる。覚悟がないなどと言っていた先月の自身を笑い飛ばしてやりたくなる。
美琴はこんなにもシャンディを愛している。愛してしまっている。これまで誰ともここまでの愛情を育めなかったというのに。
「酔わせすぎましたね。たまには辛口の愛情も味わってみます?」
「もう少し、貴女に酔ってたい……」
「ふふ。嬉しいです、けど」
途端、シャンディは美琴を押し戻して立ち上がる。美琴を見下ろしている琥珀色の瞳は下弦。そして試すように告げた。
「ひとつ、あたしの秘密を教えてあげます。なぜあたしがソシアルを踊れるかについて」
「え、と……。いいの? 遊戯もなしに?」
「ええ。あたしのちょっとした悪ふざけ。貴女があたしだけを愛しているという証拠が見てみたくなったので」
「さすがに疑り深すぎない? 私はこんなに――」
「好き」と言いかけた唇を、シャンディの人差し指が押し留める。
「あたしは言葉を信用していません。言葉ではなんとでも飾れますもの」
「じゃあどうすればいいのよ? またキスで誓いを立てろって?」
「いーえ」
くすくすとイタズラに笑って、彼女は美琴の前に踊り出る。あれだけステップを踏んでも。さらにはステップの練習の最中に美琴が足を踏んでしまっても、シャンディの足はピンピンしている。
さすがは経験者。だがなぜ、シャンディは経験者なのだろう。その秘密を美琴に教えることが、どうして悪ふざけなのだろう。
美琴の疑問に答えるように、シャンディは告げた。
「文香ちゃんがソシアルを辞めた理由、覚えていますか?」
「確か、パートナーと別れたからって」
「そのパートナーがあたしだって言ったらどうします?」
「え……」
シャンディは静かに微笑んでいた。
久瀬文香。ホテル・マーベリック時代にシャンディの後輩だった女性。美琴を担ぎ上げてしまえる程の力持ちで、現役アイドルに教えられるほど様々なダンスに精通している。
即座に、美琴の脳裏を横浜の夜がかすめる。
――チェシャ猫。
かつてシャンディ……いや、アリスが愛しながらアリスの許を立ち去った女性。ホテルの客室で目覚めて開口一番に、美琴は文香に「貴女がチェシャ猫か?」と聞いた。文香はチェシャ猫であることを否定した。
が。
普通に考えれば、《チェシャ猫》呼ばわりされて即座に否定してくるのはおかしい。大抵は「何を言っているのか」と聞き返してきて初めて会話が成立するはず。
「……待って、よ。じゃあ久瀬さんがチェシャ猫……?」
「ふふ」
咄嗟にシャンディの顔色を窺う。白磁の肌に張り付いているのは意図の分からない微笑み。幸せから急転直下、美琴の心を疑心が覆う。
「シャンディさ――」
「文香ちゃん? 初心者さん達にお手本を見せてさしあげません? あたしと貴女のソシアルで」
「はあ、構わないんですか?」
「ええ。久しぶりに貴女の腕に抱かれたくなったので」
抱き留めていた早苗を離し、文香がシャンディの体に手を回す。
美琴の心に芽生えたのは――
「……いや」
――悪心。
愛する人が他人の腕に抱かれる感情。名状しがたく燃える、いやな感情の正体は強烈な喪失感。そして、文香への嫉妬。
「……先輩は性格が悪すぎます。嫌われますよ、こんなことしたら」
「あたしの愛し方にケチをつけない」
「やれやれ……」
ふたりの発した言葉すら、美琴の耳には届かなかった。かつてのペア――リーダーとパートナーが体を寄せ合う様子に目が離せない。
文香の手が、シャンディと繋がれる。腕がシャンディの肩に回される。体がふれあい、クローズド・ポジション。シャンディの体が美しくのけぞる。
先ほどの美琴との《ワルツ》とは姿勢が違う。
まるでかつての恋人と再会して、再び恋心を燃え上がらせてしまうような。
「あかりさん、リズムを。BPMは90、三拍子」
文香の指示で、生徒である飛騨あかりが手拍子と「ワン・ツー・スリー」のリズムを繰り返す。
予備動作から、二人の足が同時に動く。美琴のガタガタのステップとは異なる《ナチュラル・スピン・ターン》。文香に抱かれ、大胆に、そして優雅に揺れ動くシャンディの姿に目が離せない。
「いや、やだ…………」
ただの社交ダンスだ。ただの社交ダンスなのに。
久瀬文香は、かつてシャンディが愛したチェシャ猫かもしれない。そう思った途端、胸が苦しくなる。出てくる言葉など限られる。
振り付けは《リバース・ターン》から《ホイスク》へと続く。シャンディは酔いしれるように優雅に踊っている。視線を美琴に合わせてはくれない。ただずっと、ペアのリーダーたる文香の方を見ている。
美琴の耳に入るのは、無慈悲な「ワン・ツー・スリー」のワルツだけ。二人の会話はまるで耳に届かない。
「黒須さんに何を吹き込んだか知りませんが、見てられません。終わりにしましょう」
「いつからあたしに口出しできるようになったのかしら?」
「だからチェシャ猫に逃げられるんです。分からず屋」
「逃げるような相手を愛したくありませんもの」
「愛は試していいものではありません」
「あたしは試します」
「……可哀想な人ですねッ!」
文香がシャンディの体を持ち上げた。「おお」と声を上げる早苗らの一方、シャンディは驚く様子も見せず、文香の体にしがみついてくるくると美しく回っている。
美琴の瞳から、大粒の涙がこぼれた。
《リフト》は終わり、二人のステップは止まった。恋する少女のように微笑むシャンディの横顔が、霞んで見える。
文香は告げた。
「……試される者の気持ちを少しは考えたらいかがですか」
「忠告ありがとうございます。だけどお断りしますね?」
「まったく……」
シャンディはくすくす笑いながら、美琴に歩み寄る。涙を見せたくなくて、美琴は顔を伏せた。頭上から声が聞こえる。
「いかがでした? 経験者同士の素敵なダンスは」
「…………」
「ふふ。素敵すぎて言葉を失ってしまったのかしら? それとも」
美琴の頭に、シャンディの手が乗せられる。普段なら愛しい愛撫も、今は刺々しくて、ただ痛い。
「あたしを奪われたと思って、悲しかったのかしら?」
「……っ!」
美琴は気づく。シャンディは分かってあんなことをしてみせた。チェシャ猫の嫌疑を文香に着せて、踊った。そしてあんな――美琴にしか見せたことない恋い焦がれた表情を浮かべた。
「……最初からそのつもりだったんですか」
「最初って?」
「とぼけないでよ!」
叫んでしまう。愛しているのに拒絶してしまう。
何故ならシャンディのやったことは――
「……私がホントに好きかどうか試したんでしょ!? 久瀬さんを使って!」
シャンディの言葉はない。涙で霞んでシャンディの顔が見えない。
「私の前で、昔の恋人と踊るフリして! あんな……!」
「美琴さん。あたしは――」
「人の気持ちを試そうとするような貴女の言うこと、信じられませんッ!」
更衣室へ取って返した。ロッカーの中身をすべて押し込んで、着の身着のまま狩屋レッスンスタジオを飛び出した。
幸せは霧散する。どれだけ愛していても、愛を試そうとしたという行為で、彼女へ寄せていた信頼はこうも脆くも崩れてしまう。
スマホには早苗からの着信があるだけ。シャンディからの着信はない。
――終わった。
途端、全身の力が抜けた。中目黒近くの路上に座り込んで、人ごみと車列をただ眺める。シャンディからの着信はない。
「ウェヘヘ。こんなトコで何やってんのキレーな姉ちゃん? オレと遊ばな~い?」
顔を上げる。
口元と鼻を覆ったマスクを指で引っかけて、ナンパ野郎はケタケタ笑っていた。
「紛らわしいことしないでよ、琴音……」
*
早苗は静かにキレていた。レッスンを台無しにされたことではない。久瀬文香とのダンスを彼女の生徒達や、あろうことか董子にまで笑われたからではない。
シャンディという女のやらかしにキレていた。
「ふふ。居酒屋で反省会なんて久しぶりですね。店員さん、ビールひとつお願いしまーす」
「アホ抜かせ! 自分が何したか分かってんのか!?」
「え、早苗……関西弁?」
柳瀬早苗。生まれも育ちも大阪の女。
普段は鉄の理性で抑制している標準語だが、本気でキレてしまった時には関西弁が飛び出してしまう。かつて董子を救うために立ち上がった時すら出なかった怒りが、目の前の身勝手なシャンディに向けられていた。
「あら、今日の早苗さんはとても情熱的ですね。そっちの方が似合っていますよ」
「どうでもええ! 自分、黒須さんを試したやろ! 全部久瀬さんから聞いた。昔の恋人やウソついてあの人不安にさせて! それで嫉妬させてホンマに好きかどうか確認するつもりやったやろ!?」
「それが?」
「コイツええ加減に……!」
「お、落ち着いて早苗! 手出しちゃダメだよ!?」
董子が止めに入ってくれたおかげで、早苗も幾分か冷静になる。振り上げた拳をどうにか下ろし、早苗は眼前のいけ好かない女をにらみつけた。
シャンディは微笑んでいる。
「……取り乱しました。ともかく、貴女のやったことはあまりに酷い。黒須さんの態度を見れば、貴女を愛していることくらい簡単に想像がつくでしょう」
「さあ、それはどうかしら」
「ここは貴女の店ではないんです。謎で丸め込もうとしても許しません。酷い、最低な女」
さすがにカチンと来たのだろう、シャンディのこめかみが動く。
「そこまで言うなら言わせていただきますけれど。あたしと美琴さんの話に貴女は関係ありませんよね?」
「関係あるよ! 私みこシャ推してるもん!」
「董子はちょっと静かにしていてください、話がこじれるから」
むすっとした董子をとりあえず脇に退けて、早苗は尋ねる。
「……どうして黒須さんを試したりしたんですか」
「答える義理はありませんね」
シャンディが注文した中ジョッキがやってくる。早苗の言うことなど意にも介さないとばかりに、シャンディは把手に手をかける。
瞬間、早苗はシャンディの手を制止する。
「なら
「あら、早苗さんとの遊戯ですか。どういった内容をお望みで?」
「この生ビールを私が一気飲みできたら、質問に答えてもらいます」
「早苗飲めないでしょ! それにイッキなんて――」
「董子は黙っていてください。覚悟の問題です!」
董子が身を案じて止めに入ってくれる。確かに早苗はアルコールに弱い。ビール一缶どころかチョコボンボン程度のアルコールでも悪酔いしてしまう。
それでも、目の前の女に一泡吹かせなければ――反省させなければならない。
「そんなことができるのかしら? カクテルすら飲めないような早苗ちゃんに」
「どうしますか。賭けに乗りますか、尻尾巻いて逃げ帰りますか」
「……どうぞ。あたしは途中で吐き出す方に賭けます」
「いいでしょう。いきます!」
把手を掴み、琥珀色の液面をしげしげと眺めた。アルコールの匂いは苦手だ。匂いだけで気分が悪くなる。それでも早苗は覚悟を決めた。
それもこれも、二人のため。ほつれて壊れかけている美琴とシャンディの絆をどうにか繋ぐために。
「ふふ」
「早苗……」
苦いまずい苦いまずい苦いまずい。息が苦しい、吐きそう。
琥珀色の炭酸を一気に煽る。ビールは味わってはダメだ。のどごしを愉しむもの。だから舌をつけないようしっかり固定して、直接喉へ流し込む。
キンキンに冷やされた液体が喉を降りていく。少し痛い。炭酸が喉をくすぐる感覚。
――でも。あれ?
「ぷはっ」
「わあ! すごいよ早苗! いつからビール飲めるようになったの!?」
「わ、分かりません……。でもちょっと、おいしい……」
職場のサラリーマンどもがビールを飲む気持ちが少し分かった。苦みとまずさ、痛みで感覚や感情を麻痺させる。そうすれば日々のストレスを忘れ、飲み下すことができる。
「けほ……。どうですか! これが私の覚悟です!」
「あ、あらまあ……」
あっけにとられたとばかりに、シャンディは瞳を丸く見開いていた。いけ好かない女がようやく見せた人間らしい感情に、早苗は勝利を確かなものにした。
「話してください。どうして黒須さんを試したんですか」
「……それ実はノンアルコールビールだったりしません?」
「貴女が頼んだものです! 正直に答えなさい!」
「はあ……分かりましたよ……」
不愉快だと顔じゅうに貼り付けて、シャンディはブー垂れた。
「あたしが美琴さんを試したのは、ウソまで含めてあたしを愛してくれるかどうか確認したかったからです」
「ウソですね」
「あらひどい。そんなにあたしのこと信用できません?」
早苗は勘づいた。このウソつきはただ臆病なだけだ。
「貴女は、黒須さんに数多くのことを話していないそうですね。謎をたくさん抱えているとか」
「ええ。謎は女を飾るアクセサリーですから」
「そんなに知られたくない過去があるのですか?」
「どんな過去があると思います?」
「そうやってウソで取り繕うのは、黒須さんに知られたくないからですね。貴女の本当の姿を」
「…………」
シャンディは黙る。ただこの女は油断ならない。しおらしく黙って図星を突かれたかのように振る舞っているだけの可能性がある。
演技性人格。本心を決して明るみに出さない。
「結論から言います。貴女は本気で黒須美琴さんを愛している」
「ええ、それはその通り」
「ただし、貴女は膨大な秘密を抱えている。その秘密が明るみに出れば、黒須さんが貴女の許を離れてしまうのではないかと恐れている」
「ですねー。こわーい」
くすくす笑って合いの手を入れてくる。つくづくいけ好かない。
それでも早苗のロジックは核心に迫る。
「貴女はウソをつき続け、誰の言葉も信用できなくなった」
「……それで?」
「言葉を信用できないからこそ、確固たる愛の証をほしがった」
「…………」
「だから貴女は黒須さんの愛を確かめるために、彼女の心を揺さぶった」
「……分かったから。やめて」
「やめません。いい機会です。反省しなさい」
敬語が消えた。琥珀色の瞳は輝きを失っている。微笑みが失せ、表情も硬い。
「貴女が久瀬さんを元恋人だと偽ったのは。おそらく黒須さんにしか見せないであろう表情と仕草で恋を装ったのは。黒須さんが嫉妬したり悲しんだりすれば、貴女は彼女の愛を確認することができるから」
「早苗ちょっと待って。シャンディさん……泣いてる……」
「…………」
大粒の涙がシャンディの瞳からこぼれ落ちていた。
ここまで演技性の芝居だとすれば大したものだ。これほどのクセモノを相手にしたことは早苗にも経験がない。手探りで追い詰めるしかない。
黒須美琴はよくもまあこんな強敵を堕としたものだと早苗は思う。
「……その結果、貴女の目論見通りに黒須さんは嫉妬した。ただ黒須さんは、貴女の想定以上に賢かった。いや、貴女に教育されて賢くなっていたんでしょう。すべては貴女の目論見だと気づかれてしまった」
シャンディは本当にひどい女だ。
ただ同時に、可哀想な女でもある。
「……信用してあげてくださいよ、黒須さんを。彼女ほど貴女を受け止めるに適した人間はこの世界には居ませんよ」
「うん! 私達応援してる! みこシャでもシャみこでもどっちでもいい、二人が幸せなところみたいもの」
「……お似合いのカップルでしたか?」
泣きながらシャンディは告げる。彼女の言動はすべて判断に迷うが、今は演技ではない、と早苗は思う。これすら演技であるならこの場を離れ、一切この女とは関わり合いを持ちたくない。
「お似合いのバカップルに戻りなさい。貴女みたいな《当てこすりクソ女》を愛してくれるのは、あの人だけです」
「ひどい……泣いちゃいますよ……?」
「その涙すらウソだと言うのなら、黒須さんの身柄はあの方――白井さんでしたか。あの方に預けます」
「……できると思う? 美琴さんが、凛子さんを好きになると思います……?」
確認しているのか、それとも挑発しているのか。
素直じゃない女は苦手だ。全員董子みたいにわかりやすければいいのに、と早苗は思った。
「……二人の仲を引き裂くものなど何もありませんよ。貴女が彼女の愛を試そうなんてことをしない限りは」
「…………」
「いい加減、本心から向き合ったらどうですか。どんな秘密を抱えているかなんて知りませんし知りたくもありませんが、彼女は受け入れますよ」
「ベタ惚れだったもんね、早苗みたいに」
「一言余計です」
注文した焼き鳥がやってきた。大好きなネギマを摘まみながら、董子の頼んだ日本酒をちょっとだけ貰ってみる。これはこれで美味しいかもしれない。
が――
「うーん……」
早苗の意識は遙か彼方に飛んでいった。普段飲まない酒を一気にあおったことで強烈な睡魔に襲われる。
「早苗? さなえー? 大丈夫?」
「寝てるだけですよ……。救急車が必要な状態じゃありません」
「ホント?」
「酔客を見る目には自信がありますから。信じてくださいな」
「……シャンディさんの言葉、信じていい!?」
「ふふ。どうかしら……なんて言いませんよ。信じてください。貴女の奥さんは、ちょっと眠ってしまっただけ」
「よかったぁー……」
シャンディは早苗の寝顔と、心配そうな董子の顔を見比べてつぶやく。
「……あたしも、お二人みたいな間柄になっていいのかしら」
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