直感と仮定
「もちろん」
とヴォーダンは答える。この男の、関係あるかないか微妙な話が、実は好きだから。
なんとなく、ちゃぶ台の隅で開きっぱなしになっているパソコンを見やる。異国の作家のインタビュー動画が(その作家の本は、共有の本棚に何冊か収められている)、ミュートしたまま再生されている。
「フランスの極右の、英語でしゃべってんだけどインタビュー動画みたいなの、Youtubeで観たのね、ほらバイトで字幕作んなきゃなんねーから」
「ああ、あれね」
あいづちを打って、カーソルを動かす。履歴のところにその動画は表示されている。
「まあ内容はだいたい予想通りっていうかさ、移民の犯罪率がどうとか社会保障は自国民に優先的にどうとか、まあそこはいいんだけどさ、よくねえけど、まあいいとして、すげー気になったのが1個あって。あの、インタビューのときさ、そいつ椅子に座ってんだけど、隣にね、アルジェリア系の移民の人かなー、って思うんだけど、黒人のおばさんがさ、メイド服着てずっと立ってんの」
メイド服。黒人。
脳裏に場面を呼び起こしてみる。
「服装が場違いすぎてコスプレかと思ったわってそれはよくて、まあインタビュアーも英語だから通訳でもねえし、なんでいるんだこの人とかって思っちゃって。ずーっと立ってるし一言も喋らんし、え? みたいな」
「うん」
「で、俺考えたんだけど、こっからは俺の考えだけど。あの、インタビュアーがさあ、イギリス人の女性なんだけどさあ、年配のひとなのね。黒人の。でまあその、そいつがさあ、ニヤニヤしながら答えるんだけど、答えるごとに隣で立ってるメイド服のおばさんをチラ見すんのね。ふたりのおばさんを交互に見るのね。それで動画が終わりそうになったときにさ、いきなりそいつ、そのおっさんが質問もされてないのにインタビュアーに言うのね、君のお母さまやお祖母さまもこうやって働いていたんだろうね、って。あのー、mayとかmightじゃなくて現在形で言うのね。ごめん俺の説明わかりづらいかもだけど、だからさ、お前は今えらそうに俺に向かってインタビューしてるけどお前の先祖はこうやって白人の俺に奉仕してたんだよだっていう、そういうことでしょう、言いたいのは。おそらく」
「すげえな」
「俺の推測だけどね」
タバコに火をつける、ジッポの音が響いた。
「だからクソな話ってのに、都会も田舎も日本も外国もないんじゃないかな。田舎だからとかそんな、そんなこと言う必要は、ひとつもないから。それとああいう話を、気まずくなりそうだからって無かったことにする必要なんて、無いから。自分の家の話なんてするの、初めてだろ? せっかくトドが話してくれたのに、聞かなかったことになんて、絶対にしないから、俺は」
そこまで続けてから、パソコンの隣の灰皿をつかんだ。画面から眼を離してその動作を見ていると、眼が合った。
「ごめんな」
「……ヤニ吸いながら謝罪されてもなー」
「いや、だから消したっしょ。ごめんて。気まずくてバグったっつーか……そっちこそニヤニヤすんな」
にやついてなどいない。
「……まあ、つまり言いたいのはさ、クソはクソって言わないと、んー、なんつうか、こう……」
大春二三は咳払いをして、ケータイを操作し始めた。ブラウザで例のホームページを開いているに違いなかった。すでに合格発表の時刻を過ぎている。
その割には体臭の変化もなく、表情もいたって平然としている。自分に向いてるとも思わんけどなあ、私大だしなあ、奨学金の返済がなあ。そんなことをとりとめもなく、珍しくしゃべっていた記憶がよみがえる。
「いや、おれたちの責任じゃなくないか。おれたちが決めたわけじゃないんだから」
自分の平静な口調を確認しながら、ヴォーダンは言う。
まあな、と大春二三も同意した。
「まあそうなんだけど、逆じゃね、って最近思っちゃったり」
逆?
「俺たちが決めたわけじゃない、だから俺たちには責任があるんじゃないかって。……そう思っちゃうから、なんも知らんのにずけずけ言っちゃったのかな、今も。たしかに怖いなこの癖。あ」
「どした」
「受かってる」
その言葉を聞いたとき、ああそうだ、こいつを魔界に連れて行こうと、直感的に思いついた。
不思議な感覚だった。数秒の間隔を置いて、その直感がゆるぎないことを確認した。
*
陛下のいとし子たる王女殿下が、異界のニンゲンの教職者を求めているという話を、ヴォーダンは自分の
いずれにせよ、書記官初級の資格はすでに取得している(姉上には言っていないが、宮廷秘書は落ちた)。これから働く場所へ、留学先で見出した人材を紹介するのも、まあ不自然なことではない。
自分の友人を推薦する利点は、いくつかある。
ひとつ。ニンゲンがどうやって滅びたいかは、彼ら自身が一番よく知っているはずだ。
ふたつ。人狼の推薦があれば、友人の身元は魔界でも保証される。往来で虐殺される危険も少なくなる。
みっつ。魔界における蛮性むき出しの下等生物どもと違い、日本国のニンゲンは高度な教育を受けている。そこを証明できれば(大学に合格した事実があるから難しくはない)、宮仕えを行うにあたり、ふさわしい存在と見なされる可能性が高い。
「うわ、マジか、そうか……」
大春二三はケータイを放り出し、そのまま床へ仰向けになった。あーあー、という呻き声が聞こえてくる。
あらあら、と言ってみる。
「さようなら民間。こんにちは公僕」
「やかましいわ!」
「あそこのエリア職で失敗したのがまずかったな。オオサワ先輩の話だとガチのホワイトっしょ?」
「そうそうそうほんとそれ! 休憩時間にガンプラ組み立ててるらしいから!」
「あははは」
「あはははじゃねえよお前コラ」
「おまえが職員室のデスクで死にかけてるとき、おれは砂浜でマンゴーでも食ってんだなと思うと、笑いが止まらない」
「殺すぞ」
「じゃあさ、教員蹴って、おれについてくる?」
卒業したら田舎に帰るとだけ話してあった。嘘はついていない。
上体をがばりと起こし、大春二三はしばらくヴォーダンを見つめ、そしてちゃぶ台に突っ伏した。
「できるならそうしてえよ、ガチで」
「あははは。ま、おつらいようでしたらお迎えにあがりましょう」
「頼むぞ、いや本気だから俺」
「はいはい。ところで解凍したご飯もらっていい?」
「あーいいよ。食欲なくしたー」
推薦する利点の他に、もうひとつ、根拠のない直感があった。
この男は魔界を変えるかもしれない。
たとえば純潔と純血をめぐるクソに、姉が、自分が、姉と自分以外の誰かが、巻き込まれることのない世界に。
でも、異界の友だちを頼りにするなんて。おれも無責任なやつだよなと、それこそ無責任な感傷につられて、自嘲的な笑みが湧いてくる。
顔を突っ伏した大春二三が、その異様な風貌に気づいていたらというのは、直感ですらない、単なる仮定だから、意味がない。
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