第三十節 夢の終わり
白い部屋、穏やかな日差し、窓からは冷たい空気と、暖かな日差しがない交ぜになって吹き込んで来る。
わたしは上半身を起こそうとして背中に激痛が走り、目だけで辺りを見回した。白いシーツに白い布団。柔らかい感触はベッドの上。窓の外には、白い雲が青い空に浮かんでいる。そして赤い髪。
わたしは自身のベッドに横たわる、長く伸びた髪を見た。真っ赤だった。何かの血の色のようだと思った。
視線を再度上げると、部屋の片隅には白い、犬かキツネか。それはジッと動かず、わたしはそれを彫像か何かだと思った。
眠い。
目を閉じる。
誰かが、わたしを呼んだ気がしたけれど、眠気がわたしの意識を闇の中へと落とし込む。
次に目を開けると見知らぬ女の人がいた。
初めはエスタンティア先生かと思ったが、別人だった。
その人はわたしを見て、驚いたような表情を浮かべ、それから笑顔で聞いてきた。
「わかる? わかるかしら?」
何が分かると言うんだろう。そう言えばアルシェールやリタラはどこに行ったのか。ロンドは?
「オフェーリアさん!!」
わたしは身を起こそうとして顔を歪めた。
「まだ動いちゃだめよ。あなたは大怪我をしたのだから」
胸が痛む。そう、丁度フェルミナの秘儀を行った時に出来た、聖痕と言われる傷の辺りが。
その時、部屋の扉が開き、白いベストとコートを纏った、老齢の男性が、幾人かの老人を引き連れて入って来た。その老人の顔には、見覚えがあった。どこで会ったかは、はっきりとは思い出せなかった。
その人物はわたしの顔を見ると、付いて来た人達に手で合図をする。
他の人達は部屋から出て行き、老人は扉を閉めた。
「やあ、おはよう、デルフィ。体の調子はどうですか?」
落ち着いた綺麗な言葉。この人の言葉には、人を安心させるような何かがあると思った。
わたしは少し呻いた後、
「ある、しぇーるは、みんなは?」
わたしの言葉に老人は悲し気な表情を浮かべ首を振った。
正直、予想はしていた。ただ一番予想外な事もあった。
「何故、わたしは、助かったんですか?」
老人はわたしをジッと見てから、静かに口を開いた。
「フェルミナがあなたを助けたのですよ。最強のフェルミナ達が」
わたしは少し驚き、少し喜んだ。
「では、ティーアさんもミミットさんも無事なんですね!」
老人は、わたしがその名を知っていた事に驚いたのか、意外そうな顔をした後、首を振った。
「では、協会の
老人は、首を
「今は、
「そんな」
そして胸が痛む。ぐっと腕を胸元にやって摑む。
女の人がわたしに、大丈夫かと声をかけて来る。
老人は、
「あなたの手術は上手く行きました。今は少し痛むかも知れませんが、どうか耐えていただきたい。もう
「ここは、エルファティアの町なんですか?」
女の人が老人を見上げ、老人は困ったように眉を垂らす。
「ここはランナカイ。エルファティアは、もうないのです」
「そんな! さっき、協会の
老人は首を振る。
「倒す、ではなく止めたのですが、間に合わなかったんですよ」
「孤児院は!?」
老人はまたも首を振る。
「エルファティアは〝あれ〟の影響もあり、神域に呑まれました」
わたしは言葉を失った。
「今後、こういう事態を防ぐ為、〝あれ〟の研究がより必要です。わたし達は〝あれ〟を滅する為に今まで秘密裡に研究をして来たのです。何人かのフェルミナの力を仰いで」
わたしは愕然とした。
もし、わたしが疑う事なんかせず、あの夜、別棟の近くになんて行かなければ、こんな事になってはいなかったのではないかと。
「あれの研究が進めば、神域や、他の神域の子に対する手段もよりわかるかも知れない、そう思っていたのですが、こう言う結果になって残念です」
老人は目を細め、続ける。
「今現在、エルファティアの地にクリシュナスピールを設置して、一部を復興させる予定です。〝あれ〟は大きすぎて動かせませんから。ですが復興したとしても、もう町とはほど遠いものになるでしょう」
わたしは
「オフェーリアさん」
老人の表情がどこか固くなる。
「〝枝〟に、オフェーリアさんが居た。あなたは、オフェーリアさんを、知っていますか?」
老人はわたしの声に答えない。ただこう言った。あれは人を呑み込む神域の子です、と。そして、
「わたしはアルトネック、あなたが元気になる頃、また来ましょう」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。
それから三日間、わたしの部屋には世話役の女の人しか来なかった。わたしは無力で、何も出来ない屍だった。
体を起こせるようになった頃、わたしは伸びきった自身の赤い髪に再度目が行った。
世話係の女の人に聞いて見ると、神域の子の影響でこうなったとか。ただ色以上に影響はない事を、導師や医師の人達が調べてあるから安心するように言われた。
嘘だと思った。これはわたしが斬った、あの〝枝〟の人達の血で染まったんだ、そう思った。
身動きが取れず、結末の詳細をこの目で確かめられなかったわたしは、どうにもやるせない気持ちでいっぱいだった。鬱憤の溜まったわたしは、部屋の隅にある、犬だか狼だか、キツネだかよくわからない像に向かって、不平を鳴らした。
「キミも何か喋ったら? ずっとこんな所に閉じ込められて不満はないの?」
そうしたら驚く事が起こった。いや、相手も驚いていたんだ。
その彫像は、目を見開いて、わたしを〝見た〟んだ。
「キミ、ボクが見えるの?」
わたしは、へ、と間抜けな声を出した。
フェーネは自身が誰の目にも見えない事を知って諦めていたんだっけ? 初めは、フェーネの声すら、誰の耳にも届かなかったけれど、わたしと話す内に、自然と他の人の耳にも届くようになったんだよね。
フェーネは何故、自身が人の言葉を喋り、何時から〝居る〟のかも分からないって言ったっけ。わたしはそれにすごく共感した。
話したっけ、何時か自身の事を知る事が出来れば良いねって。
わたしはフェーネと話している内に、わたしはわたしがなんなのかを知りたいと言う思いが沸いて来る事に気付いた。無気力だけじゃないものが、再びわたしの中に生まれたんだ。
フェーネの事は、初めは神域の子じゃないかと疑ったりしていたけれど、その内どうでも良くなった。
その頃のわたしに取って、フェーネは居なくてはならない存在になったんだ。
ずっと部屋に閉じ込められ、何も出来ず、出来なかったわたしに取って、話し相手をしてくれる、それだけでもどんなに助かった事か。
でも、フェーネの事を話すと、精神もやられたのだと思われると思い、その頃は誰にも話せなかった。
フェーネと話すようになり、わたしの精神は落ち着いたのだろうか、
フェアリーはわたしに無関心だったけれど、ロンドとネルヴァ兄弟は違っていた。それぞれ、妹と、孤児院のみんなの事で怒っていた。
エスタンティア先生もそうだけれど、みんな死んだと言う。いや、
ロンドとネルヴァ兄弟は知っていた。わたしがあの裏山に登った事を。そこにアルシェールが居た事も。
元々わたしはそこに登る気だった。だから言い訳なんて出来なかった。でもあんな事になるなんて思いもしなかったんだ。
三人は、わたしと、アルシェールが、裏山になんか行かなければ、あんな事は、起こりはしなかったと言ってわたしを責めた。殴られもした。直ぐに他の協会の人が止めてくれたけれど。そして三人は、わたしの赤い髪を見てこう言った。血塗れデルフィ、と。
わたしは三人に、何も言い返せなかった。
ある日の昼間、わたしが今もしているように、
わたしはそれでも、ただぼぅと、澄んだ青空を眺める事を止めなかった。
無言で
「綺麗だね」
隣の女の子はそう呟いた。
わたしは
その子は静かに言った。
「こんなのんびりした日が何時までも続けばいいのにね」
わたしも再び空へと視線を戻す。
「うん」
ポンと、そんなわたしの肩にフェーネが乗って来る。
この頃からフェーネの定位置はここだった。
そして、隣の女の子が言った。
「でもデルフィだけでも生きていてくれて、ホッとしている。あそこに行った、共有出来る子が、誰もいなくなったりしたら、ちょっとダメだったかもね」
わたしは首を
女の子は微笑んでわたしを見ている。
「髪が赤くなろうとも、場所が変わったって、デルフィはデルフィだよ」
わたしは数回瞬きをしてから、
「誰?」
女の子は目を見開いて、
「な、な、何!? デルフィ、記憶喪失!?」
わたしは更に首を折り曲げた。
「だって、わたし、キミみたいな女の子、知らない」
女の子はぐいとわたしに顔を近付け、フェーネは毛を逆立てて、わたしの肩から落っこちた。
「ボクだよ! ヴィットーリアだよ!!」
「はぁああああ!?
「初めから女の子だよ!!」
わたしは愕然とした。
「もしかして、神域の子にもがれたとか?」
ばっちーんと音がして、わたしは
どうやら、わたしがただ勘違いをしていただけらしい。そもそもオレとかボクとか言ったり、あんな恰好してるから悪いんだ。
確かに……。
ついでに同じくボクと言っているフェーネにも確認したけれど、フェーネは性別って何って言ってたね。
暗い顔をして居てもオリヴィエは戻って来ない。なら元気を出して、落とさなくていい命を守る為に出来る事をするって決めたんだって。
ランナカイで
わたしも、
だけれど、ランナカイでは、エルファティアの事が広まっていた。わたしと
わたしは、何の為に、フェルミナになったのだろう。何の為にフェルミナを続けて行くのだろうと考えた。
孤児院の日々、それは決していい事ばかりじゃなかった。それ所か辛い思いをした方が多かったけれど、でもどこかほっとして、何か幸せな一瞬があった気がした。
その一瞬が再度巡って来るんじゃないか、そんな事を夢みて、期待して、人は生きて行くんじゃないかって思った。
わたしはどこにも行けない。わたしはわたしを知らない。でも協会の中ではわたしを知っている人がいて、わたしもその人を知っている。だからまだここに、わたしの居場所はあるんじゃないかって思った。何かの巡りを信じて、何かに縋って生きているだけなのかも知れない。それでも、その内、幸せな一瞬がやって来るんじゃないかって。
自身に対してだけの、身勝手な想い。
でも、ここに居れば、またアルシェールにも会える気がする。
だから、わたしはまだここに居るのかも知れない。
わたしは、春期に入ったある晴れた日、協会の建物から出て、町の反対方向の田園の広がる地帯を散歩していた。
林があり、そこに入り、抜けただけなのに、何時の間にか空は黒い雲に覆われていた。春期と言うのに肌寒い木枯らしのような風が吹く。そして目の前に認めた。あんなのは、なかった。
田畑の海に囲まれた、孤島のような丘。そこには一本の大樹があり、その根本に誰かが居る。その人物の髪が、金色に光った気がした。
わたしは駆け出していた。
あの時、リタラと、そしてアルシェールと見た、金色の麦穂の海を思い浮かべながら。
息を切らし、何時の間にか実った、それでも灰色の稲穂の中を貫く土の道を走り、登る。風が、その人物の許へ、わたしを吸い寄せるように渦巻いた。風と共に、見慣れた黒い服と、金色の髪が揺れる。その後ろ姿には、確かに見覚えがあった。
「ある、しぇーる?」
その人物はゆっくりとわたしに振り返った。
精気のない目、濁ったその瞳はわたしを捉え、呪文のような言葉を紡ぐ。
「想い出の彼方は誰ですか?」
わたしは大樹を背にし、金色の髪を棚引かせ、黒い服を着て、わたしの前に佇む、赤毛のわたしを見ていた。
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