第五節 秘儀

 エスタンティアさんは、自身の事を先生と呼ぶように、また他の導師の人達も同じように呼ぶように求めて来た。

 そしてわたしに懐中時計をくれた。それは孤児たち全員が持っているものだった。

 それを持ち、導師の人達を先生と呼ぶ事、それらは、正式な孤児院の一員として認められる為の儀式であるように思えた。


 懐中時計は、ホタテ貝と同じくらい、フェルミナにとって大事なもの。自身の動くべき時を知る大切な道具。フェルミナの力の一つと言ってもいい。わたしは城でなくしちゃったけれど。

 孤児院では時間は厳格に定められていた。フェルミナは、子供の時から〝時間〟と言うものの大切さを学ばせられる。朝の起床、顔を洗い、身支度をして、朝食。

 そして先生達から受ける授業もあった。授業と言うのは大きな教室があり、そこでは書き取りだったり修辞学だったり、数学だったりを学ぶ。

 わたしは黒板を前にしての勉強はさっぱりダメだった。いや、ダメじゃなかったかも知れない。その頃の記憶は曖昧で、先生達に褒められ、周りからうとまれていた気も、全く何にも出来なくてバカにされていた気もする。

 幼少期の記憶なんてそんなものなのかも知れない。


 わたし達は、授業を通じて、色んな事を教えられた。特に詳細に教えられた事、それは神域についてだった。

 現在、人間の世界は神域の脅威に晒されている事。神域で生き抜くにはどうしたらいいか、神域での植生や気候の特色、〝恐るべき者達〟の存在。そしてそれらに立ち向かう為の技能も教え込まれた。

 即ち、武術の稽古もわたし達の授業には含まれていた。

 先生達は言った。強くあれ。己を守る事が出来ない者に他者は守れないと。その力はどんな時にも役立つものだと。力とは賢さであり、知識であり、腕力であると。それらを混然一体として駆使する事が、何にも増して重要であると。

 実際そうだったと思う。


 協会による教育。孤児院は、身寄りのない子供達を集め養育し、また大きくなっては仕事を与え、その生活を保障する。

 わたし達が学んだ事、それは協会の中で生きて行くのに必要な事だった。

 大きくなった時、割り当てられる職は幾つかあった。その中に、〝フェルミナ〟があった。

 フェルミナは希望してなれるものではないらしい。幼い頃から孤児院で育てられる子供達。その生活の中で、先生達が、特に才能のある子を選び出す。

 だけれど、選ばれたからと言ってなれるものでもない。その後には幾つもの関門が待ち受ける。最初の関門となるもの、それが〝フェルミナの秘儀〟と呼ばれるものだった。

 それがどんなものなのか、受けたわたしにもわからない。何故かと言うと、その最も重要な部分は、本人が眠っている間に済むからだ。

 そして、エルファティアの孤児院は、フェルミナになる者達専用の孤児院と言う事で、その秘儀が行われた上で、フェルミナになれないと判断された子達は、他の子供達に別れも告げさせても貰えず、別の孤児院に移された。

 行かされる場所が何処なのかはわからない。出て行く姿を見た事もない。ただ先生や、他のみんなはそう言っていた。

 そして秘儀は〝秘儀〟な為、寝ている間に何が起こっているのか、知る人はいなかった。

 先生達は知っていたのかも知れないが、勿論、教えてはくれなかった。


 噂では、昔、秘儀を覗きに行った子がいて、孤児院から追い出されたとか、協会兵に殺されただとか言われていた。

 その話しの真偽は定かではないものの、現実的ではないと思われる。

 何故なら、秘儀を受ける子供は、その儀式の期間中、他の子供達から引き離される。孤児院の本館とは別、より森の奥にある別棟の部屋に籠らされるのだ。

 そして、その部屋に誰一人として近付かせないように、赤い両脇開きのコートタバードを纏った協会兵が二人ずつ、ハルバードを持って、別棟の入口と各子供の部屋を守る。

 秘儀は数人の子に同時に行われるものの、その子供達の部屋の距離も離される。

 そんな厳重な所に子供が忍び込めるとは思えなかった。


 ただどうしてそこまで厳重にする必要があるのか、理由については誰からも、一度も聞いた事はなく、また聞かなかった。

 昔からの慣習を、人は〝当たり前の事〟として、受け入れてしまうものらしい。


 孤児院で暮らし始め、だいぶ経ってからの事だった。先生の一人から、フェルミナの秘儀を受けるように言われた。

 わたしは特に何も感じなかったが、他の子達に取っては、この孤児院に残れるかどうかを分ける大事な儀式。それを受けるよう宣告される事を恐れている子はたくさんいた。

 また、フェルミナの秘儀を受ける時期に関しては、個々の才能や特性に大きく左右される。人によっては、受ける時期の差が、優秀さを示す証とも捉えられていた。

 フェルミナと言っても、持つ事の出来るフェルミナの力ヴィジョンは人によって違い、求められる能力も違う。一概に比べられるものでもない。

 それが優秀さの証等、どうしてなるのか、そんな考えを抱く事すらわたしに取っては不思議だった。

 ただ、その事によって、わたしは幾人かの不興は買っていたらしい。


 わたしの前にも、既にフェルミナになっている者は何人か居た。なのでどんな工程を踏むかは、当時のわたしでも大体は理解していた。

 わたしは宣告の数日後に規定通りに別棟の部屋に隔離された。そして小さな一室に一人で閉じ込められる。人の出入りは、日に二度、食事と水を持って来る先生だけ。それも一言も喋らない。それが決まりのようだった。

 そんな生活が数日続き、ある朝、ベッドの上で目覚めると、体は痺れ、しばらく身じろぎも出来ないでいた。

 そうしてじっとしていると、時折、胸が痛み、僅かに下着を下げて見ると、胸の中程に裂け目のような傷がある。

 そこにエスタンティア先生がやって来て、笑顔でこう言った。よく頑張りました、と。

 わたしには、何が何だかよくわからなかった。一体、何を頑張ったのか、皆目見当がつかなかった。

 わたしは体の疲れと胸の傷について、エスタンティア先生に聞いてみた。

 すると、その傷こそが、フェルミナの秘儀を乗り越えた者の証であり、聖痕と言うものであると教えてくれた。

 フェルミナとは、天命を授かった者の事で、その心にフェトゥスと言うモノを宿すのだそうだ。

 そのフェトゥス等というものが、わたしの胸から入ったのだろうか。その為にこんな傷が付いたのだとしたら、はなはだ迷惑なものだと思った。

 とは言え、フェルミナになったからには、わたしはこの孤児院に残ってもいいと言う事であった。

 実際、わたしと一緒に別棟に来た何人かの子供達には、その後、二度と会う事はなかった。


 わたしは疲労と痛みから、数週間、別棟で寝た切りの生活を送り、胸の痛みが収まった頃に、元の本館に戻された。


 フェルミナになると、まずは媒介パルが与えられる。与えられると言っても、実際は見せられるだけ。普段は先生達が預かっていて、それを使う授業の時だけ渡される。一人前になるまでは、管理は先生達が行うという事だった。

 媒介パルは心に宿ったフェトゥスの力を引き出す媒介で、それが破壊されるとフェルミナも命を失う。その為、扱いはとても慎重にしなくてはならないと教わった。

 だから、フェルミナは軽々しくフェルミナの力ヴィジョンを人には見せない。フェルミナの力ヴィジョンを使うには媒介パルを使う必要があるからだ。媒介パルは大きな力を振るう為に必要なモノ。だけれどフェルミナの弱点でもある。

 また、媒介パルはフェルミナによってモノが違う。最も適性にあったものが、そのフェルミナの媒介パルとなる。わたしは軍刀。

 でもフェルミナになり、媒介パルが渡されたからと言って、行きなりフェルミナの力ヴィジョンは使えない。フェルミナになり立ての頃にまずやる事は、自身がどんなフェルミナの力ヴィジョンを得たのかを探す事から始まる。

 フェルミナの力の発現はさまざまな時に起こる。先生達は、フェルミナの力ヴィジョンの大まかな種類を把握していて、わたし達にテストを受けさせる。大抵は、それを受けて自身の力を知る。

 でも、中には、そのテストを受けても、どんなフェルミナの力ヴィジョンを持っているかわからない子達がいる。特殊な能力であった場合等が特に。

 そして、わたしの場合はそれだった。何時まで経っても、どんな試験を受けても、何の能力も発現しない。しまいには力がないんじゃないかと、そんな風に思ったりもした。

 その頃から、わたしは、周りから〝木偶でく〟と呼ばれるようになった。

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