第二節 再会

 月の青い光が二人と一匹を照らす。

「シーラ……、クラウヴェル……、さん?」

 デルフィがそう呟くと、シーラと呼ばれた茶色い髪の少女は大きく頷いた。

「憶えていて下さって嬉しいです」

「ホント、こんな所でビックリだね」

 フェーネがそう呟くと、シーラはギョッとした顔をする。

「こら、フェーネ!」

 デルフィは眉尻を下げて、慌ててシーラに説明する。

「あの、その、これはね、フェーネって言って、わたし以外に見えない変なキツネなんだ」

 デルフィの言葉にシーラは小さく笑った。

「そうだったんですか」

「え? 信じるの?」

 キョトンとしたデルフィにシーラは続けた。

「わたしの町で、何度か聞いたお声だと思いました。デルフィさん、その、毎回誰かに話し掛けてたじゃないですか」

 その言葉にデルフィはフェーネを睨む。

「ほら! 何時も注意してるのに!」

 フェーネはツンと顎を上げると、

「話し掛けてたのはデルフィだって。だから全面的にデルフィが悪いね」

 一人と一匹の目付きが悪くなった所を、シーラの笑い声が溶かす。

「いい、相棒って感じですね」

「違います!」

 そう一人と一匹の声が重なり、同時にそっぽを向く。

 シーラはよけいおかしそうに笑った。

「ここ、座ってもいいですか?」

 見えないシーラは、フェーネがいる所を指し示す。フェーネは慌ててデルフィの肩に乗り、デルフィは首をすくめて頷いた。

 風が流れ、中庭パティオの木々を騒めかせ、噴水とその前後に流れる水路の上を漂う冷気を運んで来る。

「冷えますね」

 そう言って、シーラは自らの肩を抱くと、デルフィの横に腰掛けた。

 デルフィは緊張した面持ちで固まる。

「わたし、ここで今、働いているんです」

 驚いた顔をしてシーラを見るデルフィ。

 シーラは月に照らされる小さな噴水を見ながら話しを続ける。

「デルフィさんに、あの虫達の、町から救っていただき、わたしや、町のみんなにして下さった事は忘れません」

 デルフィは首を振る。その様子を横目で見て、シーラは微笑む。

「わたしには家族はいません。両親が死に、親戚もいませんでした」

「え~と、ほら、フレデリックって子いたじゃん? あの子どうしたの?」

 デルフィの肩の上、フェーネが口を挟む。

 シーラはうつむき、

「家族と南の方へ行くそうです。出来るだけ神域から離れたいと」

「そっか……」

 デルフィは呟き、フェーネは続ける。

「一緒に行かなかったの?」

 シーラは首を振った。

「わたしは、その……」

 言葉が途切れ、ジッと、きらめき吹きあがる水を見詰めるシーラ。目を閉じ、開け、

「わたしは、神域を忘れたくはないんです。だから断ったんです」

「何故?」

 首をかしげて聞くデルフィに、シーラは噴水を見詰め続けながら言った。

「もちろんどこに行っても神域の事は聞く事でしょう。でも出来るだけ近くにいたい。わたしから両親と故郷を奪った、神域に。神域って何なんでしょうか?」

 そう言ってシーラはデルフィの方に振り向くと、二人の目が合った。

「わたしにはデルフィさんのような力はありません。わたしにはフレデリック達のように何もかもを忘れてやり直すには、あの町にいっぱいのものを置いて来た気がするんです」

「シーラさん」

 デルフィは視線を落し、フェーネは黙って、ジッとシーラを見詰めた。

「実際、何が、どう出来るかわかりません。それでも、何か、何か、神域に関わっていたい、神域で困っている人の役に、デルフィさんの役に立ちたい。そう思ったんです」

 シーラはそう言って立ち上がるとデルフィに向き直り、頭を大きく下げた。

「本当に、本当に、ありがとうございます」

 デルフィも慌てて立ち上がり、デルフィよりも背の高いシーラの上半身を持ち上げる。長い茶色の髪がデルフィを撫でる。

 顔を上げたシーラは泣いていた。目をこすり、無理に笑おうとする。

「ホント、何してるんでしょ、わたし、すいません、すいません」

 また頭を下げようとするシーラをデルフィは慌ててベンチに座らせた。デルフィはその横に座り、その背中をさする。

「本当にすいません。その、デルフィさんの顔を見て、町の事を思い出してしまって」

 デルフィは微笑むと、

「仕方ないよ」

 そう優しく言った。それから、

「協会で働いてるんだよね。だったらわたし達、同僚だね。困った事があったら、何でも言ってよ。ここの生活でなら、ちょっとは先輩だし」

「頼りない先輩だけどねー」

 フェーネの軽口にデルフィはジロリと視線を動かす。

「ありがとうございます。その、こんな、泣いちゃうなんて、ちょっと、自分でもびっくりです。久しぶりに、故郷の事が話せる人がいたので、ちょっと油断しちゃったのかも知れません」

 デルフィはシーラの背中を撫でながら、

「ここを故郷にすればいいよ。かく言うわたしも、故郷から追い出されちゃった口だから」

 シーラは驚いた顔をして、デルフィを見る。

「そ、そうなんですか?」

 デルフィは優し気な笑みを浮かべて頷いた。

「フェルミナって言うのはみんな孤児なんだ。幼い頃から協会に育てられ、フェルミナとして訓練をされて行くのがわたし達」

「それでは」

 デルフィは首を振る。

「でもわたしの故郷や両親がどんな人かなんて憶えていないんだ。それでも育った場所はある。それを、わたしは」

 そこまで言って、デルフィはうつむき、口を閉じた。それから顔を上げ、ぎこちない笑みを浮かべ、

「と、とにかく、わたしも今はそこそこだし、町はそんなに悪い所じゃない。ここは神域への最前線って言ったって、クリシュナスピールがあるんだし」

 デルフィの言葉にシーラは協会の建物を囲む壁の向こうの空を見る。

 そこには幾本もの赤い光の柱が、空に向かって延びていた。

「あれ、協会が作ったものなんですよね」

 シーラの言葉にデルフィは頷く。

「どう言う原理かは知らないけれど、見ての通り、あれで神域の雲を打ち払っている。それに地上を神域化させる侵蝕菌からも防いでるんだ」

「凄い、ですよね」

 デルフィもクリシュナスピールが放つ赤い光を見上げる。

「取り敢えず、あれがあれば、ここは他の神域への前線のどこよりも安全だと思うよ。南は今は壊病かいびょうって言われる流行り病もあるようだし、ここにはそれもないから、下手したら南より安全かも知れない」

「かいびょう? ですか」

 心配そうな目でデルフィを見るシーラ。

 デルフィはシーラを見ると、

「そっか、シーラさんは、神域の中の町で育ったから知らないんだ。最近人類の領域、つまりアフラニスの大地全体で流行している病だよ。体中が爛れて死んでしまうんだ。不思議と一部の地域と神域の近くではかからないらしいけれど」

「不思議、ですね」

 心許ない表情のシーラに、デルフィは努めて笑顔で話す。

「心配ないよ。ここ、ランナカイでは流行っていないんだ。こうして死病が流行らない地域は神の祝福を受けた地、何て言われているくらいだし」

「神、ですか。なんで人は、あのような地を、神の領域なんて名付けたのでしょう」

 デルフィは顎に人差し指を当てると、天を仰ぎ見る。

 青く暗い空は、クリシュナスピールを境にして澄み渡っていた。

「メルビス教だと、異形の地を打ち払う為に、神様が北へと向かったとあるらしいよ。今でも戦っていると言う事だから、神様の居る地、もしくは神様でなきゃ手に負えない地、だから神域なのかも」

「そう、なのですか」

 デルフィはシーラを見て頷く。

「そうみたい。他の宗教では、神がこのアフラニスの大地を見捨てて神域へと去った、だから神域、って言ってる所もあるけれど、なんだかどれが正しいかなんて今じゃわからない位、昔からそう呼ばれているからね」

 シーラは首をすくめて見せた。

 デルフィは真面目な顔で、

「伝説は伝説。その呼び名の成り立ちがどうあれ、わたし達を脅かしているのは変わらない。なら何時も通りに一生懸命、ただ前に進む事しか出来ないんだ。それはきっと神域がなくたって同じこと。誰だってそれは同じでしょ?」

 デルフィは首をかしげて見せ、シーラはそれに頷いた。

「人は辛い事も背負っていかなくちゃいけないけれど、わたしは何時もここにいる訳じゃないけれど、ここは帰って来る場所。会った時は泣いたり話したりしていいからね? 想い出って大切なものだと思うし、想い出でそう出来る事って、素敵な事なんだと思う」

「おーや、おや、何時になく詩人だね」

 フェーネがそう言い、デルフィに叩かれて、いてっと言う。

 シーラはその様子を見て、笑ってから立ち上がると、くるりとデルフィ達に向き直った。

「ありがとうございます」

 そしてニコリと笑い、何かに納得するよう、大きく頷いた。

「わたし、ここに残って良かったです。過去も未来も忘れずに行けそうですから」

 デルフィも笑顔で頷いた。

「良かった」

「でもデルフィさんばっかりずるいです」

 そんなシーラの言葉にデルフィは首をかしげた。

「わたしもデルフィさんの力になりたいです。何かあったら、デルフィさんもわたしに話して、笑ったり、泣いたりして下さい。絶対にお力になりますよ」

 そう言って、両腕で力こぶしを作って見せる。

 デルフィは笑顔で、ありがとうと言った。

「わたし、住居棟の五百六号室に住んでいます。何か、いえ、何もなくても何時でも来て下さい。お仕事のない時は大抵いますんで」

「うん」

 シーラはデルフィに手を差し出した。

「もし、良かったら、お友達になってくれませんか? 何から何までお世話になって、その上で差し出がましいとは思うのですが」

 デルフィは首を振ると、その手を摑んだ。

「よろしくね」

 シーラはとても嬉しそうにニッコリ笑う。

 夜の闇の中でもその顔は、デルフィには輝いて見えた。

「それと、シーラさんはやめて下さい。シーラ、でいいです」

 デルフィは首をすくめると、

「えと、なんか、その、言い辛い」

「ダメです! さ!?」

 シーラが首をかしげて迫って来る。

 デルフィはうつむくと、もごもごと、

「シーラ……さ、シーラ」

 と言った。

 シーラは頭を下げ、

「ありがとうございます!」

 そう言った。

「なら、わたしもデルフィで」

 デルフィがそう言うと、シーラは顎に人差し指を当て、

「ですがデルフィさんはわたしの、わたし達の恩人です」

 そう言って胸に両手を宛がい、

「ですから、わたしはデルフィさんって呼ばせていただきます」

 デルフィが目を細める。

「え~、ずるい」

 シーラはにっこり笑うと、首をすくめ、

「尊敬しているんです。ですからお許しください」

 そんな言葉にデルフィは顔を赤らめた。

「わ、わたしは、何も」

 そんなデルフィにシーラは頭を下げる。

「今日は何だか一方的に喋って、わたしの事ばかりですいませんでした。本当に、これからよろしくお願いします。わたし、デルフィさんの為なら何でもしますから」

 デルフィは慌てて両手を振る。

「わたし、明日が早いので、そろそろお暇致します。お時間をいただいてすいませんでした。また明日」

「う、うん」

 デルフィが返事をすると、シーラは手を振り、何度も何度もデルフィを振り返りながら、協会の建物の中へと消えて行った。


「懐かれちゃったね」

 シーラの姿が建物の中に消えてから、フェーネが呟いた。

 そんなフェーネの言葉が届いていないように、デルフィはぶつぶつと呟く。

「尊敬、友達、尊敬、友達、どうしようどうしよう、わたし、動かずに一日中、布団の中にいるのが好きなんだけど。仕事で遅刻して怒られた事は数知れず、そもそも人と話す事なんて仕事以外、何話せばいいの? 最近の女の子って何が好きなの? 朝って髪梳かさないとダメ? 顔洗わないとダメ? きっと嫌われちゃう」

 そんなデルフィを眺めながらフェーネは溜息を吐く。

「仕事中と私的な時間で何でこんなに格差があるんだろ。シーラの存在であせらされて、少しは治ればいいけどね~」

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