第一節 奇妙な町

「さぶい……」

 黒いマントに赤い髪、びゅっと吹いた強い風にあおられて、ぼさぼさ頭をなびかせた少女は立ち止まる。

「お、お」

 少女は、荒涼とした大地に突き出す台地の向こう、厚く垂れ込めた黒い雲の中に、青い空を見付ける。

「デルフィ、発言、アホっぽい」

 少女の肩に乗る、光が収束して出来たような、キツネ似の生き物が人語を喋る。デルフィと呼ばれた少女は、目を細めると、

「うるさい。アホって言ったヤツがアホなんだ」

 暗い声でぼそっと言う。光キツネは澄ました顔で、

「ならデルフィはアホ何だね。あーほ、あーほ」

「うるさい!! あほあほあほ」

「あほあほあほ」

 一人と一匹は、光り差す地へと罵り合いながら進む。台地の終わる場所に着いた時、デルフィは、うわっと声を上げる。デルフィに釣られて、光キツネも空を見上げていた。

 そこは白い雲が散り散りとなって渦巻いている。青い空は、まるで空一面を覆う、黒い雲の中にぽっかりと現れた、湖のようだった。そしてその下には、木一本立たぬ台地に囲まれた、一つの町があった。



「神域の開拓村にしては、大きな所だね」

 肩に乗る光キツネがデルフィに話し掛ける。デルフィは口元に人差し指を当て、囁くように言う。

「フェーネは他の人には見えないんだから、人の居る所では少し黙ってて」

「ちぇ~、そんな事言ったって、人っ子一人いないじゃん」

フェーネと呼ばれた光キツネはそう言ってから首をすくめ、

「家の外にはね」

 そう続けた。


 デルフィ達は町の中央の道を歩いていた。大きな通りだが、そこを往来するのは、速足で駆けて行く、強くて冷たい風と転がり草だけ。両脇には木造の幾つもの家や商店が連なっているが、どの家も扉を固く閉ざしている。

 人は多数居た。だが誰もが、窓の奥からデルフィを見詰めるだけで、出て来ようとしない。それ所かデルフィの視線がそちらを向くと、その窓すら直ぐに閉じてしまう。


「何か感じの悪い町だねぇ~」

 フェーネはあくびをしながら呟くが、デルフィの方は身を縮こまらせて、

「な、なんか、わたし、悪い事したのかな」

 そう呟く。

 フェーネが呆れたように、

「来たばっかりで、どうやってするの? そんな事出来るんだったらデルフィは〝神域の子〟だね」

 デルフィは無言でフェーネを叩いた。

「うぐぅ」

「それにしても、この町、クリシュナスピールも使わず、どうしてこんなになってるんだろ。あれがないと、雲はこんな空洞を作らないはずだ」

 デルフィが空を見上げながら呟く。

「あの球根みたいなヤツ? 協会が作った機械は何だか苦手だな」

 フェーネの言葉にデルフィは頷く。

「神域のほとんどの場所は、日が射さない。射す場所も見た事はあるけれど不自然過ぎる」

「何かあると?」

 その言葉にデルフィは再び頷く。フェーネは小さく溜息を吐いた。

「つまり、それがボク達がここら一帯に派遣された理由だね?」

「そだろね。でもさ、多少の調べがついてるなら、あらかじめ何か教えてくれてもいいと思うんだよね」

「ま、協会はよっぽどの事がないと、事前に情報を教えてくれないのは何時もの事じゃない」

 そんなフェーネの言葉にデルフィは俯き溜息を吐いた。

「まあね」

 そしてデルフィは顔を上げ、あ、宿、と呟く。

 通りの一軒に、宿を示す看板がぶら下がっていた。

「泊めてくれるかな?」

 デルフィは宿屋の前に行くと、その閉ざされた両開きの扉を叩いてみる。暫く待つが反応はない。引いてみる。開く気配はない。押してみる。やっぱり開かない。

 デルフィはフェーネを見る。

「また野宿したい?」

「いいえ」

「んじゃお願い」

 デルフィがそう言うと、フェーネは大きく溜息を吐く。

「デルフィは何時も悪い事をさせる。悪い子だ」

 デルフィは首をすくめると、

「わたしは別に野宿でもいいんだよ」

 そう言うと、フェーネは、はいはい、と言って、ぴょんとデルフィの肩から飛び上がると、宿屋の屋根に飛び乗った。そこから開いている二階の窓の中へと飛び込む。

 暫くすると、デルフィの眼前の扉がガチャリと音をたてた。それを合図にデルフィはその扉を開ける。開けた隙間からフェーネが出て来てデルフィの肩に飛び乗った。

「ごくろうさん」

 デルフィはそう言って、扉の中に入った。


 中では大柄な男が固まって、デルフィ達を見ていた。怯えるような表情で、

「なんで……」

 デルフィは首をすくめて、

「あ、あの、その、どうも、開いてましたんで」

 男に頭を下げる。

「あの、宿、一泊、したいんですが」

 その言葉に男は正気を取り戻したのか、デルフィを睨むときつい口調で、

「うちは宿屋はもうやってないんだ」

 そう言う。

「えと、あの、お金は払います」

「やってないんだよ! 出て行ってくれ!!」

 男はそう言いながら、驚いた表情を浮かべる。男の視線の先、デルフィがお金を出そうと懐に手を入れた、その先に、ホタテの貝殻があった。

「あ、アンタ、協会の人かい?」

 デルフィはきょとんとした顔で男を見る。それから首から下げたホタテの貝殻を見て、

「はい。あの、そうです」

 そう言うと、途端に男は笑いだし、

「そうか、そうか!」

 そう言ってデルフィに近付いて来ると、その背中をばんばんと叩いた。デルフィは痛そうな顔をする。

「ア~ンタ、最初から言ってくれよ! 金なんていらないよ!! 是非泊まっていきな!」

 そう言ってデルフィの背中を押すと、二階の上等な部屋へと押し込んだ。


 男は気持ち悪いくらいの愛想笑いを浮かべ、

「いやぁ、旅は大変だったでしょう? 今、暖かいお茶でも入れるから、荷物でも降ろして楽にしててください」

 そう言って部屋から出て行った。

 デルフィとフェーネは顔を見合わせた。

 デルフィは床に背負い袋を降ろし、ベッドに座る。フェーネもデルフィの肩から降りると、ベッドの上でごろごろと転がり出す。フェーネが転がりながら言う。

「あの親父さんの態度、何か変だよね」

 デルフィは頷く。

「何、企んでるんだろ」

 フェーネの言葉に、

「さぁ?」

 デルフィが首をかしげる。

「あの親父さん、戻って来るの遅くない?」

「そだね」

 デルフィがそう言った時、階段を登る足音が聞こえた。一つではない、複数。デルフィは腰の軍刀に手を添える。部屋の扉が開き、そこには宿屋の親父と杖を突いた老人が居た。


 デルフィはベッドから立ち上がり、フェーネがぴょんとデルフィの肩に飛び乗った。宿屋の親父と老人は部屋へと入って来る。

「あの」

 デルフィがそう言いかけると、宿屋の親父が言う。

「あ~、協会の方、こちらは、この町の長老さまです」

 長老と紹介された、長い顎鬚を生やした老人は深々と頭を下げ、ラムストックと名乗る。

「あ、どうも、デルフィ、デルフィ・イルミナーゼです」

 デルフィも軽く挨拶を返す。

「協会の方とは知らず、この町の者が失礼をしました。どうぞ許してくだされ」

「いえ」

 デルフィは首を振る。

「でも、どうして、その、あの、あんな、みなさん、怯えてらっしゃるんですか?」

 デルフィの問いに親父と老人は顔を見合わせた。それから老人は言う。

「この時期、この町の住人は、知らない顔を見ると、みな怯えるのです」

「どうして?」

 デルフィの言葉に、老人は言い辛そうに、

「この町では、この時期、知っている人間が、何時の間にか知らない人間に擦り替わるんですよ。だから知らない顔に怯えるんです」

 デルフィとフェーネは、首をかしげた。

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