第三節 神域の子

 化物を燃やした火を、ベッドの布団でばさばさと消した後、デルフィは首から下げたホタテの貝殻を耳に当てる。

「う~ん。やっぱりここ」

 そんなデルフィに男は後ろから話し掛ける。

「おい嬢ちゃん、何してんだ」

 デルフィはホタテ貝から手を離し、首を振る。

「ちょっと、調べてた」

 男は不思議そうに首をかしげる。

「それより、怪我、あれ?」

 デルフィはそう言って黙った。

「どうしたんだよ?」

 デルフィは首を振る。

「みんなの所に帰ろ。それと、さっき、助けようとしてくれて、アリガト」

 男は、わっはっはっと笑い、

「避けられて、顔を床にこすっただけだがな」

「ん」

 デルフィは優しく微笑み頷いた。

 デルフィは部屋に置いてあった燭台を持つ。そして、2人が部屋を出ようとすると、フェーネがぴょんぴょんと跳ねてデルフィの肩に戻って来た。その耳に顔を寄せささやく。

「まだ居る?」

「ん」

「どこに居るかわかった?」

「少し」

 デルフィの後ろから、男がいぶかしんだ表情で、

「おいおい、嬢ちゃん。誰と話してるんだ?」

 デルフィはかすかに振り向き、

「トモダチ」

と言った。男は眉根を寄せて、

「気味わりぃな、誰もいないぜ」

 デルフィは少しだけ口元を緩ませて、

「フェーネは見えない子だから」

 男はますます訳がわからないと言う風だった。


 二人と一匹がホールまで戻ると通路にいた全員が居た。デルフィは燭台を男に渡すと、二階より階段を降りる。顔をしかめた。

「凄い風」

 塔の入り口からこのホールまで、かつては扉があったのだろうが今はない。その為、外の風雨がホールの中へと滑り込み、渦巻いていた。

 老爺がデルフィを見上げながら言った。

「外は酷い嵐だ。これではとても出られない」

 母子は互いに身を寄せ合って、寒さに震えている。女の子はデルフィの背負い袋を大事に抱えていた。

 デルフィは女の子の下へ降りて行くと、

「荷物、ありがと」

と笑顔で言った。女の子もか細い笑顔を浮かべると、

「うん。守ったよ」

とデルフィを見上げた。デルフィは女の子の頭を優しく撫でた。それからデルフィは、そこに居た全員の方に振り返る。

「二階に安全を確認した幾つかの部屋があります。皆さん、そこに避難しましょう」

 男が階上から大声で言った。

「そうだぜ。部屋は埃っぽいが、ここより数段ましだ」

 ホールに居た老夫婦と母子は顔を見合わせ頷くと、二人に促されて、ぞろぞろと2階へと上がって行った。

 ホールに一人残されたデルフィは、入り口の方を睨むように見る。通路の暗がりで、その先はただの〝黒〟そして、凄まじい風と雨の音だけが木霊していた。


 デルフィの提言で、全員は一番大きな暖炉のる部屋に集まった。埃まみれの天蓋付きベッドから、天蓋も、布団も引き剥がし、それを燃やす事で暖を取る。クローゼットの中から朽ちた、かつては華麗であったであろう、数々の衣装も炉にくべられた。そして全員は、暖炉の前に集まり、地べたに座って話し出す。

 男がデルフィの寄生樹との戦いを面白おかしく語る。全員の視線がデルフィに集まった。老婆が言った。

「フェルミナさんなのかしら」

 デルフィは恥ずかしそうに首を振りながら、

「いえ、あの、わたしはそんなんじゃ」

 老爺も笑って言った。

「しかし、そんなら大活躍じゃな。こんな強い人が一緒に居るならわしらも安心じゃ」

 デルフィはぶんぶんと首を振り、その肩でフェーネが大きなあくびをした。


 話しが一段落着いた頃、デルフィは暖炉に当たりながら全員に言った。

「あの、その、みなさん。これから寝ると思いますが、その、必ず二人は起きている事にしましょう。やっぱり、その、この城は何があるか、その、わかりませんから……」

 男は頷き、老爺もそうじゃなと同意した。老婆は頬に手を当て、

「そうねぇ。なら順番を決めなくてはならないわねぇ」

と言う。

 デルフィは懐から懐中時計を取り出すと、暖炉の枠マントルピースの上に置いた。

「二時間毎、交代しましょう。あの、わたし、二回連続で、いいです」

 デルフィがぼそぼそ言うと、

「それはいけませんわ」

と母親が言う。デルフィは優しく笑って首を振る。

「あ、わたし、慣れてるから」

 組み合わせは老夫婦、デルフィと母親、デルフィと男となった。

 そうやって決めていると、エルフィがデルフィの下にやって来た。

「わたしも見張るよ」

 デルフィは口元を緩ませるとエルフィの頭を撫でる。

「うんう。大丈夫だよ。みんな大人だから」

 するとエルフィは頬を膨らませる。

「わたしだって大人だよ!」

 デルフィは確りとエルフィに向き直ると、その両肩を摑んだ。

「うん、エルフィは大人だね。だけれど、まだまだ体は子供。これから成長して、いっぱいいっぱいお母さんを手伝ってあげなくちゃ。だからちゃんと育つ為にも今は寝て、大きくなったらいっぱいみんなを手伝って上げて」

 エルフィは、お姉ちゃんだって小さいじゃん、と言う。デルフィは笑顔のまま、暫く動かなかった。

 エルフィはむぅと言ってから、懐から小さな細身の熊のぬいぐるみを取り出した。デルフィに向かって差し出す。

「お姉ちゃん、これ上げる」

 フェーネがデルフィの肩の上から覗き込む。

「どうしたの? 悪いよ」

 デルフィがそう言って首を振ると、

「うんう、貰って。これはおとうさんの形見なの」

 デルフィは眉尻を落して、

「それじゃ、ますます貰えないよ」

 エルフィはデルフィの顔を見上げながら、

「わたしが見張れないなら、わたしの代わり。わたしだってちゃんとみんなの役に立てるもん。だけれど今はこれでお願い。大事なものだから、これはわたしのケツイなの」

 デルフィが首をすくめていると、

「お父さんは言ったの。辛い時や勇気が必要な時には必ず友達が必要なんだって。そんな時は友達がきっと助けてくれる。だから友達にそれが必要な時はお前も必ず助けてあげるんだよって」

 デルフィは目を瞬かせると、

「わたし、その、あの、トモダチ」

 エルフィが悲し気に首をかしげる。

「え、違うの?」

 デルフィは大きく首を振った。

「うんう、うんう」

 そう言ってからだらしなく口を開けると、

「トモダチかぁ~」

と言った。

「お姉ちゃん、トモダチいないの?」

 デルフィはびくっと震えると、

「いるいるいるよ!!」

 と捲くし立てた。

 フェーネが小さくデルフィの耳元で、悲しいねぇ~、と言った。デルフィはフェーネをぱしんと叩くと、ぎゅうぅと、悲鳴が上がる。エルフィが目を瞬いて、

「お姉ちゃんどうしたの?」

 そう言うと、デルフィは首を振り、

「うんう、ちょっと肩に蚊がいたから」

 そう笑顔で言った。エルフィはふ~んと、不思議そうな顔でデルフィを見詰めるのだった。

 結局デルフィは、ぬいぐるみを城から出るまで預かる事にした。


 暖炉の前で身を寄せ合って寝る。見張りは暖炉の火を絶やさず、外の轟音を遠くに聞きつつ、入り口で何時、化物が襲って来てもいいように備える。

 だが何もなく、見張りの交代も順調に進み、朝の時間を迎えた。


 デルフィは起き出し、暖炉の枠マントルピースの上を見る。だがそこに時計はなかった。デルフィは辺りを見回すが時計はどこにもない。全員は寝ている。いや一人居なかった。

「よ、起きたか」

 デルフィが顔を上げると部屋の入り口辺りに男が立っていた。

「あの、時計、知らない?」

 言うと男は暖炉の枠マントルピースの上を見る。

「ありゃ、ねぇな? そこらに落ちてねぇか?」

 デルフィは首を振る。

 デルフィの横で寝ていたフェーネも起き出し、眠そうに前足で顔を擦ると、ぴょんとデルフィの肩に乗った。

「どうしたの、デルフィ?」

 フェーネが小さな声でデルフィにささやく。

「時計がない」

 フェーネも暖炉の枠マントルピースの上を見て、

「あぁ、ホントだね」

と言う。デルフィは溜息を吐き座り込んだ。横に置いてあった背負い袋をがさごそといじり出す。そして携行食を取り出すと、男に差し出した。

「ん」

 男は首を振って、

「俺はもう食べたからいらないさ」

「そ」

 デルフィは携行食の、固く焼いたパンをぱりぱりと食べ始めた。小さくした物をフェーネにもやる。

 そうしていると他の人達も起き始めた。全員と朝の挨拶を交わすと、デルフィは携行食と水筒の水をその場の全員に勧めた。所が全員首を振る。食欲も喉の渇きもないと言う。

「ですが食べないと、いざと言う時に力が出ません。どうぞ」

 そう言って、食料と水筒を無理に近くにいた母親に押し付けた。

 それから立ち上がると、

「あの、その、見回り、行って来ます。それと、嵐が何時まで続くか、わかりません。ここ、ずいぶん寒いです。燃料、探して来ます」

 そう言ってから若い男を見ると、また一緒にお願いします、と言った。

 デルフィは軍刀の柄に手をかけると、男を伴って出発した。


 デルフィ達がホールに出ると、ホール内に渦巻いていた風達も随分と落ち着いていた。吹き込んで来る風雨の勢いが明らかに弱まっていた。デルフィは期待して、塔の入り口から外に顔を出すと、外の様子は以前よりも悪化していた。

「風向きのせいか」

 男は両手を広げて、この嵐は何時止んで、何時俺達は出られるんだと呆れたように言う。デルフィは、さぁ、とぽつりと言った。デルフィはそのまま一階の奥にある大扉へと向かう。そこを開けると城壁の中へと続いていた。

 長い長い通路を歩く。途中に幾つもの部屋があった。中を覗くと、多数の木製や布製の調度品や衣服があった。当分は〝薪〟の心配は無いように思われた。

「これだけのものを残して、ここに住んでいた人間はどこに行っちまったんだろうな?」

 男が大きく溜息を吐いた後、そう言うと、デルフィはぼそぼそと、

「全員、逃げたか、それとも」

 目を細めて、

「体も残さないような〝子〟がいるのかも」

 デルフィの言葉を聞き、男は身を震わせる。

「嬢ちゃん、脅かすのはやめてくれよ」

 デルフィはわずかに口元を緩ませると、

「案外、今も、城の中にいるかも知れないよ」

と言った。


 外の嵐は続きに続き、一向に衰える様子が見えない。外は真っ暗で、明かりは何時も、暖炉と燭台だけであった。時計がなくなり、朝も昼も夜もない生活。そんな中、デルフィは空腹や喉の渇き、眠気と言ったものを忘れていった。

 デルフィは城の中を三度探索し、城の中で三度眠った。それでも嵐は収まらない。城の中は、外の暴風と対照的に静かで、寄生樹の1件からは、何の事件も起きなかった。


 デルフィはある時一人、そっと部屋から出て、首から下げていたホタテ貝を耳に当てる。

「ここで間違いない」

 溜息を吐く。

「ねえ、デルフィ、やつれてる」

 フェーネがデルフィの肩の上で心配そうに言った。

「うん」

「デルフィ、ずっと何も食べたり飲んだりしていないの気付いてる」

「うん。何故かお腹も空かないし、喉も乾かないんだよね」

「外は何時が昼か夜か分からないけれど、何度も寝たよね? もう何日が経ったんだろ?」

「さあ」

 フェーネは静かに言った。

「みんな元気だよね」

 デルフィは俯き頷いた。

「デルフィみたいにやつれている人はいないよ。もう認めたら」

 デルフィは首をすくめて言った。

「わかってる」

 デルフィは懐にしまってある、ぬいぐるみを握った。

 扉を開ける、部屋に戻る。

 それに気付いた老婆が優しそうな笑みを浮かべる。エルフィがデルフィに寄って来た。

「何してたの? さ、温まろ」

 そう言ってデルフィの手を引く。デルフィはかがむとエルフィにぬいぐるみを差し出す。エルフィは不思議そうにデルフィを見上げた。

「え、どうしたの?」

 デルフィはエルフィの頭を撫でると、

「わたしは、もうここを出るんだ。だから約束通り返すね」

 そう言って無理に渡すと立ち上がる。

「え、どう言う事?」

 デルフィは何も言わず、自身の背負い袋がある所に向かった。

 その場に居た全員がデルフィを見る。

「おいおい、出るってどういう事だよ、嬢ちゃん!?」

 男の声に、背負い袋を担いだデルフィが振り返る。

「怪我、しませんでしたよね?」

 男が怪訝な顔をする。老爺が、

「お嬢ちゃん、出るってこの嵐の中でかい?」

 デルフィは床に置いてあった燭台を持ち上げると頷いた。

「わたし、間違っていました。ずっと、子は、あなただと思っていたんです」

 そう言って男を見た。それから全員に視線を戻すと、

「みなさん。元気ですよね? それにここらは何もない所です。旅をするにしても荷物は必要でしょう?」

 そう言うと、デルフィとフェーネ以外の全員の表情が瞬時に消えた。

「あなた達、傷付かないなら本体じゃない」

 そう言いながら、デルフィはゆっくりと部屋の扉に向い、それを開ける。

 部屋の外に出て、デルフィが振り返ると、部屋の中の全員は棒立ちで、瞳孔のない白い目をデルフィに向けていた。

「きっと、あなた達がここにいたのは、ずっと昔だったんだ」

 通路に突風が吹き、部屋の扉がバタンと閉まった。

 デルフィは小さく、さよなら、と言うと歩き出し、塔の外へと出た。暴風はデルフィを襲い、手に持った燭台さえも吹き飛ばした。フェーネは慌てて、デルフィの懐にもぐり込む。デルフィは真っ直ぐ、真っ直ぐ進んだ。

 そして跳ね橋に辿り着いた頃、嵐はぴたりと治まったのだった。

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